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言語という荒いメッシュ

無職旅さん

無職旅というYouTubeチャンネルのファンです。日本人男性が運営するチャンネルで、彼が世界中を旅する様子を紹介しているのですが、編集が最小限で彼の等身大を感じられるチャンネルです。旅行先は中国やタイやベトナム、東欧やロシアなど、私たちが気軽には行けそうもない地域ばかり。見ていて新鮮味がありますし、情報もすごく一般の旅行者目線と同じで嘘がない。運営者の一人の日本人男性を主人公としたロールプレイング・ゲームを見ているような感じ。しかも動画を見終わった時点で、そこに行きたいという気持ちが高まっている。派手さはありませんが、とてもリアルで面白く見させてもらっています。

しゃべれないけど旅上手

無職旅さんは決して言語が達者というわけではありませんが、旅行地各国の最低限のコミュニケーションに必要なフレーズを使って、何不自由なく旅をされています。騙されるどころかしっかり交渉してらっしゃる。コミュニケーション能力がとても高い。

言語ってすごくメッシュの荒いメディアだと思います。日本人同士で日本語で話しても誤解が生まれることがある。伝えたいアイデアや感情はシルクのように滑らかで肌理(きめ)が細かいのに、言語に変換するのには不完全性が常に付きまといます。母語でこれなんだから、本来の伝えたい情報の細かさを、外国語を用いて伝達するというのは、難易度が非常に高い。

私たちは教育課程で母語(国語)を学んで、なるべく肌理の細かい言語能力を身に着けようとする。そして、外国語を学び始める。それはどこまで行っても不完全なものだと知りながら。

文字の羅列だけでは足りない

言語以外にも意思伝達の方法はあります。無職旅さんは参考になる。事前に現地のルールを知っておくこと、表情やボディランゲージ、それらを読み取って相手の意思を把握すること、その人自身の醸し出す雰囲気と自己認識の一致による相手に与える安心感、などなど。

これからの日本を考えたとき、英語を話せるようになる事よりもこちらの優先度が高いんじゃないかな。英語自体には、本当に何の価値もないんだと思ってます。肌理(きめ)が粗いから。その人の人間性や人生を本質的に豊かにするのは英語自体ではありません。じゃあ何かって自問しても答えは出ないんだけども。異文化理解だとか、もっと解像度の高いコミュニケーションだとか、自動翻訳機とは全く逆のベクトルで言語を捉えることで近づくことができるかもしれません。

日本は今後、今までよりさらに外国文化とのインタラクションが増えるでしょう。まず、確実に外国人労働者が増えます。彼らはもちろん同郷の間でコミュニティを作ります。それは既存の日本社会にとって異質です。どうやってコミュニケーションをとるのか。もしくは、コミュニケーションはいらないのか?日本人は異物を平和的に放置・無視することができるのか。言語も通じないコミュニティに対して、不安に駆動されて、排除しようという動きにならないだろうか。

言語化できない感覚こそ

言語というのは肌理(きめ)の粗いメッシュのようで、とらえきれない感情や文化の機微があるわけです。言語化できない感覚が確かにある。その存在を知り、リスペクトをするというのが異文化理解の入り口です。

きっと語学というのは、その異文化理解の入り口に立つ一つの方法だろうと思う。しかし、明らかに言語だけではない。たくさん世界中を旅してきた無職旅さんは別のルートから異文化との接し方を心得ていらっしゃる。オープンマインドであったり、理解できないことに対する関心や尊敬であったり。異文化理解とは今自分がいる世界の外に踏み出してみること、その積み重ねの先にしかないような気がしています。



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