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恋とピアノと私 #4

さぁ、今日は発表会――


会場は、市内の公共施設に付属するいつものホールで、毎年使わせてもらっているなじみの場所だ。

それほど広いホールではないが、階段状に数百の席が用意されている。木目調の壁や床はあたたかみがあって、とても雰囲気がいい。音の響きも申し分ない。

見回せば着飾った子どもたち。

演奏の終わった子はほっと和やかな表情だが、一方で、順番を待つ子の顔には、見ているこちらまでそわそわするような、固い緊張の色が浮かんでいる。

見守る保護者も必死のようだけれど、彼らが気にしているのは、どちらかといえば、セッティングを終えたビデオカメラが上手く作動してくれるかどうか、かもしれない。

正面のステージに目を向けると、降りそそぐスポットライトのまばゆい光の中で、今日の主役――ピアノが堂々鎮座する。

コンサート仕様の巨大なグランドピアノは、鏡のように磨かれたその漆黒の体躯にオレンジ色のライトを浴びてあやしく輝き、大きな黒い鳥が翼を広げるがごとく高々と開かれた「屋根」が、華麗に音楽を振りまこうと息巻いている。



少年は舞台の袖に控えている。

順番待ちの椅子に浅く腰かけ、両の手は軽く握って膝の上に。その両手は、暑くもないのにじっとりと汗ばんでいる。

彼の演奏順はいよいよ次に迫っていた。


前の演者の演奏が始まる。

静かな序奏。フォーマルな衣装に身を包んだ小学生の女の子で、あからさまに緊張の伝わってくる演奏はお世辞にも上手いとは言えない。拙い部分が目立つ。舞台袖が一番音を聞きやすい特等席というのは本当で、細かなミスさえよく分かる。

それでも、彼女がしだいに落ち着きを取り戻すにつれて、ときおりハッとするような美しい旋律が浮かび上がってくる。シャボン玉のように丸い音の玉がふわりとホールに漂い、その表面にのびやかな虹色を描く。

曲に翻弄されながらも必死にコーダを目指す少女の、渾身の演奏が続く。


演奏はいやでも少年の耳に届く。

目はぎゅっとつぶれても、耳は閉じることができない。息も鼓動も早くなる。唇が渇く。得体の知れないプレッシャーがのしかかる。不安の波が押し寄せる。うまく弾けるだろうかという不安。最後まで弾き切れるだろうかという不安。発表会は暗譜だ。楽譜はない。

落ち着け。

勝負してるんじゃないんだから。

練習ではうまくいっていたんだから。

何度目の発表会だ。こんなに緊張することはない。自分よりずっと小さな子だって、しっかり弾き切っている。きっと自分も大丈夫。

そういくら自分に言い聞かせても、少年の不安は収まらない。収まるどころか膨らむばかり。ぬぐってもぬぐってもにじみ出る汗。

舞台上の演奏が終わる。客席から沸き上がった拍手は、そのまま少年の鼓動をいっそう加速させる。

「行っておいで」

やさしい笑顔の先生に促され、席を立つ。

ステージにゆっくり歩を進める。静まったホールに足音が響いた。客席からの視線が痛い。スポットライトが熱い。

ピアノの前でくるりと客席を向き、軽く顔を上げる。薄暗い空間でじっとこちらを見つめる観衆の、誰にともなく一礼する。

自分にだけ向けられた拍手を、全身に浴びる。不安は最高潮に達する。

それでも、もう引き返すことはできない。

ピアノに向き直る。相手はこいつだ。

やるしかない。弾くしかないのだ。



楽器を人前で演奏するという行為は、独特の緊張感と羞恥心を伴う。それはほかの何にも代えがたい。

絵画や文章、書道や彫刻なども、他人に見てもらう、評価されるというのはこの上なく恥ずかしいものだが、しかしすでに作品は完成しており、ふつう、それ以上は作者の手が入らない。一度創り上げて世に出れば、作者でさえも手の届かないところに行ってしまう。あとは見てくれる人の心にゆだねるまでだ。

リアルタイムに表現される種目、たとえばダンス・バレエ・体操などは楽器演奏と似たような部分があるが、視覚情報に頼るこれらのパフォーマンスと、聴覚に訴えかける音楽という芸術は、それを生み出す演者の緊張感・羞恥心という点で、少しばかり趣を異にする。


楽器演奏は音楽を生む。

その日そのときの空気感。温度、湿度、風、雰囲気、観衆の息遣い。そして演者の心の持ち方や個性によって音はゆらぎ、変化する。

叩いただけで音の鳴るピアノが、弾き手によってまるで違う音を奏でるというのは、にわかに信じがたいことだけれど、それでも確かな事実で、それはちょっとした淹れ方ひとつで味の変わるコーヒーに似ている。

誰が飲んでも分かる明らかな違いだったり、あるいはコーヒーを飲み慣れた人がようやく気付く微妙な差だったり。そこには一定の差異が生まれる。

単に技術上・表現上のうまい下手というだけでなくて、一音一音の最小単位にあっても個人差が存在するというのは、本当にピアノの不思議なところだ。



少年は無事に演奏を終えた。

最後の和音がホールに余韻を残し、一瞬遅れてわっと拍手が沸いた。

立ち上がって一礼し、客席に戻る。

もたれかかるように席に座ったところで、着慣れぬ襟付きのシャツが、首に擦れて痛むことにようやく気付く。喉元の一番上のボタンを外す。手首のボタンも。それでやっと一息つける。こんな服、着るもんじゃない。

無性に喉が渇いているが、次の奏者の演奏が始まってしまった。この演奏が終われば、次は休憩時間だ。このまま待つことにする。

舞台で演奏するのは中学生。セーラー服の板についた彼女が奏でる音は、やはりいくぶんオトナの音。おおらかで朗らかで、そして自然だ。

ゆったりとした調べを聞きながら、自分の演奏を振り返る。緊張で固くなった。ミスタッチもあった。山ほどあった。練習のときのほうが、ずっとよい演奏ができていたように思う。恥ずかしい。

それでも最後まで弾き切れたのは確かで、暗譜の染み込んでいた自分に安堵する。心配していた速いパッセージもうまく乗り切れた。ごまかせた、と言うべきかもしれないが。

ほんのり熱を持った両の手を愛おしく思いながら、ぼんやりと背もたれに体を預ける。



「あの」

声を掛けられたのは、飲み物を摂ろうと席を立った直後だった。休憩時間。ホール内には明かりが灯り、ざわめいている。

声の方向を向くと、スーツを着た女性が立っている。知らない大人の人に声を掛けられたと気付いて身構える。

すると、女性のかげから、かわいらしい女の子が顔をのぞかせた。少年より3つ4つ小さな、おそらく小学1年生か2年生で、素敵なドレスに身を包んだ女の子は、こそこそと恥ずかしそうに母親の背後に隠れている。

女性が言う。「演奏、とってもカッコよかったです」

そう言って「ね、ほら」と傍らの女の子を促すが、彼女はもじもじとして出てこない。

この子、すごく感動したみたいで、というようなことを女性が話す。自分は咄嗟のことに、なにも言葉が出ない。

「あ、は、はひ……」

ただ息もれのような声しか出てこない。ここで気の利いた一言を言えというのは、小学生男子には少々荷が重すぎるというものだ。

「また聞かせてください」

そんなふうに言って、二人は去っていく。

ドレス姿の小さな後ろ姿を見送りながら、

カッコよかったです――

賞賛の言葉が遅れて脳に届き、とたんに頬が火照る。

何にも代えがたい照れくささと誇らしさが同時に押し寄せ、少年はしきりに鼻の下をこすりながら、飲み物を求めてふらふらとホールの出口へ向かった。


(続く)