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恋とピアノと私 #2

ピアノのレッスンは30分。どこもそんなものだろう。

小学校高学年の頃の自分は、たしか火曜日、夕方4時半かそれくらいの時刻からレッスンを受けていたのではなかったか(4時半ということにしましょう)。

「もう時間でしょ」

ほらほら、と母親から追い立てられるように家をあとにする少年。

教室まで徒歩5分とはいえ、4時半ぴったりに出たのでは遅刻してしまう。4時27分には家を出て走った。

直前まで練習していたのだ。前回出された1週間分の課題。レッスンのある日にしか練習しない猛者もいるだろうが、自分はほぼ毎日……とは言わないまでも、暇があれば触るくらいには練習していた。

ピアニストを目指して何時間もピアノに明け暮れたりはしていない。そんなマネは無理だ。それでも1回に30分から1時間ほどは練習していたと思う。夕食前の夕暮れ時が、我が家の演奏タイムだった。下手な演奏を「うるせぇ」と言わず聞いてくれた家族に、この場を借りて感謝する。

夕闇の迫る中、住宅街を駆ける。

肩には楽譜の入ったトートバッグを掛ける。

4時半と言えば太陽の沈む前で、薄暮の空を悠々とカラスが飛んでいく。



自分の前には、もっと小さな子のレッスンが入っていて、自分が到着するのと入れ違いに出てくるのがつねだった。お母さんと一緒だ。

よくよく名前も知らない親子だが、何度もすれ違えば顔見知りにもなる。頑張ってあいさつや会釈を交わす。小学生は、そういうのがちょっと恥ずかしい年ごろだ。

レッスンは前回の続きから始まる。まずは先生の前で、指示された課題を披露する。小学校の高学年ともなれば、もうだいぶ長い楽曲に挑戦していたから、

「この曲のここからここまでの譜読みね。あとはこっちの曲の仕上げ。難しいところ、よく練習しておいてね」

課題はこんな感じで、出来ていたらどんどん進むし、出来ていなければまた来週ね、である。3曲くらいの同時並行だ。楽譜は鉛筆による書き込みでしだいに黒くなり、繰り返す譜めくりで端のあたりから擦り減っていく。勢い余ってときにページが破け、破れたところにはセロテープが貼られる。一種の勲章である。

課題の出来栄えはレッスン前の時点で分かっている。

誰よりも自分で分かっているものだけれど、それでも、先生に褒められたらうれしいし、きっぱり問題点を指摘されたらショックは大きい。特に、指示された譜読みが全然出来ていないときの先生のまなざしは冷たい。ため息に震える。練習していないのは完全に自分の責任なので言い逃れはできない。ただ恥を忍んでぽつぽつと拙い演奏を繰り広げるのみだ。

満足のいく演奏ができた楽しいレッスンでも、苦行のようなしんどいレッスンでも、やがて終わりの時間は近付いてくる。

「いいよ。そしたらこれ一回弾いて終わろうか」

先生のあたたかい声にほっとする。

課題がこなせていてもいなくても、最後は得意の曲で気持ちよく終わらせてくれる日が多かった。



その日も最後は、もう一息で仕上がりそうな曲を弾いていたのだと思う。

意気揚々と演奏を続けていた。

時計の針は5時を回ろうとしている。いつも自分のあとの時間は空き時間で、数分レッスンが延びるのはよくあることだった。しだいにお腹がすいてくる。今日の晩御飯は何だろう。いやいや、集中集中。

突然部屋の扉が開いた。

ぎょっとする。レッスン中に誰か入ってくることはほとんどなかったからだが、それだけではない。

視界の端に映ったのは見知った顔。

クラスメートの女の子である。

ちくりと感じる視線。思わず伸びる背すじ。


(続く)