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あの日の感想文を破り捨てる

夏の終りが近づくと、思い出すことがある。

小学校5年生の時、夏休みの宿題にあった読書感想文。
僕の書いたものが地元の小さなコンテストに入賞して、校長先生から賞状をもらった。担任の先生も褒めてくれるし、両親もご機嫌だった。

「やっちゃったな…」
11歳だった当時の僕はものすごく後悔をしていた。

『イチローのすべて』という本を読んで感想文を書いた。

誰もが知っているスーパースターのイチロー。彼のすごいところは、僕がわざわざ紹介しなくてもすごさが伝わるところだろう。
そんな彼が幼少期からどれだけの努力をして、たくさんの困難に打ち勝ち、イチローとしてプロ野球で活躍できるようになったかの自伝みたいな内容だった。

少年野球チームに所属していた僕は夏休みが始まってすぐに夢中でこの本を何度も読み、毎日練習に励んで、試合でホームランを打った。将来は甲子園い出場してプロ野球選手になって、たくさんの子どもたちに夢と努力する素晴らしさ伝えられるイチローみたいな選手になりたい (純粋で真っ直ぐな瞳)

っていう雰囲気の、"いかにも大人ウケしそうな感想文"を8月31日に慌てて書いた。

イチローに憧れていたのは本当だし、ホームランも本当だ。
でも本は何度もどころか一度も最後まで読んでないし、練習もしてない。
親には「公園で素振りしてくる」と言ってバットを持って家を出て、カブトムシを探して木登りばっかりしていた。

『イチローは小学生の頃からこんなにすごかった』みたいなところで本は読むのをやめた。だって同じ11歳の時には150キロのボールを打ってたとか書いてるし。小学生なんて100キロでも速いのに。

「あーこれどうやってもイチローにはなれないわ」と気づいて諦めた。
チーム内でそこそこ上手いやつレベルの僕とは次元が違いすぎるもん。

この頃から、目標と自分の距離を測っては諦める癖がついた。

今でも野球は好きだ。プロ野球は年に何回か観戦に行くし、甲子園も観る。
ハツラツと白球を追う高校球児を見るたびに思う。
「負けて泣いて悔しがれるほど努力ができてすごいよ本当に」

人生のなかで何かを夢中で頑張ったことが無いのは、僕のコンプレックスのひとつだ。言い訳ばかりをしてしまう。

ただ最近、悔しいと思う機会がたくさんある。
自分が書きたかったテーマを他の人がめちゃくちゃ最高に書いた作品を読んだ時、めちゃくちゃに悔しい。

「この人達とは経験値が違いすぎるよな」と言い訳がまた頭に浮かぶ。

準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。

イチローの言葉が胸に刺さる。
まだ間に合いますかね?イチローにはなれなくても、イチローみたいに言い訳をしない人にはなれるのかな。

11歳の僕が睨みつけるような目でこっちを見ている。
嘘の感想文で褒められても嬉しくなかったよな、ごめん。
おっさんになっちゃたけど、やってみるわ。

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