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あの日も、ごちそうさまでした

4年前の夏、僕は何を食べても味を感じなくなってしまった。
暑いのか寒いのかもわからなかったし、左耳もうまく聞こえない。

まだまだ若手だったけど、過大評価をしてもらえて、春から年齢もキャリアも先輩な部下をたくさん抱えていた。

出来ることよりも知らないこと分からないことの方が多いけど、それでもやるしかなくて。意地もプライドも自意識も大盛りだった。

残業は100時間を超えてから数えるのをやめたし、家に帰るよりも会社に泊まることの方が多くなって家賃を損した。

それでも、ただただ実力が足りなくて、どんなに考えてもタスクは減るどころか増えるばかり。

ゆっくり昼休憩を取れる余裕は無かったけど、何か食べておかないと倒れそうで、毎日松屋に通った。比喩じゃなくて、文字通り毎日。

特別に好きなわけじゃないけど、近所で帰社までの時間が計算できたから。

食券を買って、入り口に一番近い席に座る。
牛丼がくる2分くらいの時間で溜まったメールの返信。

いざ食べようとしても電話は鳴り止まなくて、食べてる途中で外に出ることも多かった。電話が終わって席に戻ると、食器が片付けられていたのは落ち込んだ。


あの夏1番の暑さだった日、上司と一緒にいつもの松屋に行った。

「最近、味がわかんないんすよね」僕がそう言うと、
「ここの味噌汁、お湯みてーに薄いからな」と返ってきた。
そういうことじゃないと思ったけど、言う勇気なんて持ってない。

どうしても最後まで食べ切れなくて、半分以上残してしまった。

チェーン店だしアルバイトの人がオペレーション通りに作ってるのも分かっているけど、誰かが作ってくれたご飯を残したり、毎日きちんと味わって食べられないのが心苦しくて、申し訳なかった。

「ごちそうさまでした」を言えなかったこの日を最後に、松屋に通うのをやめた。

今は会社も辞めて環境が変わって、体調はだいぶ回復している。

それでも松屋だけはいろんなことを思い出してしまいそうで、行けないまま4年が過ぎた。


夏だからと浮かれて飲み過ぎた夜中の帰り道、黄色い看板が目に入る。
「もし全部食べられなくても、酒と夏のせいにしよう」
よく分からない理由で自分を納得させて、入ることにした。いつまでも引きずってるの、悔しいもんな。

食券を買って、入り口に一番近い席に座る。
牛丼がくる2分くらいの時間、メールを返信する必要はない。

「オマタセシマシター」外国人の店員さんが、僕の緊張なんてお構いなしに牛丼を目の前に置いた。そりゃそうか、緊張しながら待ってる人なんていないもん。

深呼吸をしてから、牛丼を食べる。



「美味いなぁ」口から自然と漏れていた。


「そんなに美味いんか?」作業着で麻雀のゲームをしながら食べていた隣のおっちゃんが話しかけてきた。


「美味いっす」
「ふだんどんなもん食ってんだよ笑」
「なんかトラウマっていうか、いろいろあって4年ぶりに食ったんすよ」
「おお、そうか。いろいろあったんか」

いろいろの部分を簡単に説明した。

「兄ちゃん、ビール飲むか?」
「飲みたいっす」
「すんませーん、生1つと牛皿ちょうだい」
「なんで牛丼食ってんのに牛皿も注文するんすか」
「若いんだから食うだろ」
「もう30なんでそんな若くないっす」
「俺からしたら若い若い。飯が美味いってのは良いことだから、食える時に食っとけ」
「うす、ありがとうございます」

久しぶりに大人の人に叱られた気がして、嬉しかった。

作業着のおっちゃんは僕が食べ終わるのを待たずにさっさと帰っていった。


ゆっくり味わって、最後の一粒まで全部食べた。
店員さんに「ごちそうさまでした!」と言うと、「アリガトウゴザイマーース」とカタコトで返ってくる。

外に出ると蒸し暑いしお腹はいっぱいだし、でも気持ちよかった。


あの夏、すげーしんどかったよなぁ。
なかなか時間はかかったけど、ちゃんと美味しいって感じるようになるから、諦めなくて大丈夫。

あの日の「ごちそうさまでした」も、やっと言えたよ。

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