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無気力

時々、何にも手がつけられないと言うよりかは、どんなものでも手をつける気力が完全に無くなる時がある。ずっとエネルギッシュだったわけではなく、その時々で気分の浮き沈みはあった。けれども、徐々にエネルギーが消耗していった感覚もなく、ただフッと、急に目を閉じられたように、一瞬自分を見失った。そして気がつくと、何もやる気が起きなくなっていた。


そのやる気は普段趣味にしている読書から、仕事関係の勉強まで及んだ。どちらも嫌々やっていたわけでもなく、フワフワしていたがある程度目標があり、それに向かって勉強も行なっていた。「毎日しっかり淡々と」と言うほどではないが、程々に行なっていた。それが急にやらなくなり、教科書などに手を伸ばす力もなかった。手を伸ばせば届く距離にあるのに手が伸ばせない。諦めてスマホに手を伸ばせばYouTubeでひたすらお笑い動画を見て日を跨いでいたなんていう日が1ヶ月にも及んだ。


うつ病だったんじゃないか?うつ病じゃなくても何かしらの症状なのでは?精神的に追い込まれていたんじゃないか?色々と考えたが、そこまで追い詰められていた感覚はないし、仕事の内容にも職場にも楽しみはあったし、プライベートで嫌なことがあったわけでもなかった。「みんなそう言うけど実は無理してたんじゃないのか?」や、「ただダラけていただけだろ」と言われてしまえばそれまでなのだが…

ダラけていただけならそれでいいのだ。精神的な問題はないのだから。精神的に本当に追い詰められていたとしたら一度病院にかかった方がいい。それが自分の健康のためなのだから。

しかし、1ヶ月も自分の目標のための努力が止まってしまうのはいささか厳しいものがある。努力をしないと言うことは「維持」ではない。他の人たちが努力をしているのだから、じんわりと「後退」、「降下」しているのだ。

しかも、このような時期を僕は過去にも一度経験しており、それは今でも思い出したくない過去として記憶に残っている。

それに、僕以外にもこのような経験をしたことのある人はいるのではないだろうか。僕自身、誘引ははっきりとわかっていないし、いつまで続くのかもわかっていない。ただ、誘因としての可能性と、その脱出の糸口はうっすらと見えてきた気がする。


まず、誘因としては「退屈な日常」があると思う。今年で社会人2年目なのだが、1年目の頃はこのようなことは起こらなかった。仕事に慣れておらず緊張していたからかもしれない。そして、2年目になってある程度仕事に慣れてきた。この「慣れてきた」が、ある意味注意すべき点なのではないかと思う。

「慣れる」ということはある種行動がテンプレされていると考える。テンプレ、つまり型にはまりすぎてしまうと、つまらなくなってしまう。逆に1年目の頃は型なんて見つからないから試行錯誤や挑戦を繰り返す毎日だ。(もちろん、今それが疎かになってきたというわけではない。ここで一応断言しておく。)このつまらないは仕事だけではない。プライベートでもルーティーンのように毎日同じ行動を取りすぎていると、楽しみがなくなってしまう。1年目の時の僕は休日は誰かと遊んだり、一人でふらーっとどこかへ出かけていた。その頻度が圧倒的に減った印象がある。


そこで、無気力状態に陥らない解決策としては、仕事やプライベートで新しいことに挑戦すること。

例えば、仕事では普段やらない業務をやってみたり、自分から先輩に話しかけたりしてみるなど。

プライベートでは、まだいったことのない場所への旅行や、遊んだことのない場所へ行くなど様々だ。

とにかく、自分がまだ経験していないことを経験することが大事なのだ。新しいことに挑戦するのはとても不安だし、どうなるかわからない。

しかし、わからないからよいのではないか?

成功が分かってばっかりでは、何も楽しくない。自分が恥ずかしい思いや相手に不信感を抱かせてしまうことも、もしかしたらあるかもしれない。しかし、それも一つの経験だと思う。そういう経験をして、人は成長していくものだと思うし、失敗から学ぶことは多い。失敗は成功の一つでもある。また、こういうことは「できる」ことが目的なのではない。「やってみる」ことが目的なのだ。

普段やらないことというのは、自分が無意識に選択肢から距離を置いていること。そこには新しい発見が広がっている。そこに飛び込んでみるとまた面白い世界が見えてくるはずだ。


このnoteを始めたのもその一つだ。

新しいことというのは、目の前に広がっているし、なんならインターネットの世界には無数に広がっている。

どんなことでもいい。まずはやってみることが大事だ。


ちなみに、本当にどんなことにもやる気が出ない人は、しっかりと休養を取ることをオススメする。

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