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「大嫌い」を「大好き」にできた時(爪に気付かされる編)

私は自分のことを比較的に大切にしている方だと思っている。

疲れてなって思ったら飛び切り一人を楽しむし。
ハーゲンダッツ買って、超高いのにウーバーイーツして、
ごろごろして、好きなだけ寝て、
あーなんて自分勝手なんだろうと思いながら、

「まあ、疲れてるし、いいんよ」

って言う、思う。


自己肯定感という言葉、最近トレンドだなあと感じる。ほんまにこのご時世、自分のことは自分で肯定しなきゃいけないんだなと。

だけどそう思ってるだけで、実際コンプレックスばかりだ、昔から。自己肯定感高め風なだけなんじゃないかとふと思う。深く考えたら弱虫になるから、考えるのをやめてるだけ。


最近はそんな肯定感高め風の私を、本物の自己肯定高い人のところに導いてくれている存在がいる。


それは”爪”だ。


私の爪。
なんで爪?爪ってこんな漢字やったっけ?ってなるけれど。


私には沢山コンプレックスがある。それは、爪のみすぼらしさだ。

自分の手元を見るたびに「はあ、なんでこんなに可哀そうな感じなん。」とストレスになっていた。手元は自分でもよく見てしまうし、なによりも人から見られている。だから余計に辛い。

可哀そうに見えてしまう原因は爪をはがしてしまう癖だと思う。
何か上手くいかないことがあると、自然と爪に手が伸びる。
資格の勉強中や卒論の製作中、
入社したばかりの頃などは、様々な心の歪みによる鬱憤を爪にぶつけていたものだから、人前に出せないような有様になっていた。

『美意識は爪先に出る』
そんな言葉を聞くたびに疲れた。
どんなに着飾っても、メイクをしても、痩せても、爪に全てが集約されちゃうならもう何もしちゃあかん気がするなって感じてた。


そんな中、某日。
急に爪切りをやめてやすりで整えようと思い立ち、ドンキで爪やすり購入。ついでに秋っぽいマスタードカラーのネイルも。

その日から自分の爪をいじれなくなくなるどころか、労わるようになり、
ネイルオイルやハンドクリームで保湿も怠らないようなプロっぷり。
そうすることで爪は自然と伸び、指も手の甲も美しく見える。

しまいに手の動かし方まで意識するようになる。


『ああ。なんか素敵な女性になってきてるかも…!!!』


馬鹿だなあって笑って、笑われたいくらい馬鹿だ。
そう思うけど、「自分を愛する」ってこういうことから徐々にできるようになるのかもしれない。訓練なんだろうな。
とにかく自分がとりあえず変化を感じることができればいい。人からどう言われようと、自分が変化してる!と感じることができればもう最高。


「大嫌い」を「大好き」にできた時、自分をものすごく愛せる。
「嫌い」を「大好き」にするよりも、もっと。
少し重い腰を上げなければいけないかもしれない。
少しお金がかかるかもしれない。
少し考え方を変えなければいけないかもしれない。
けど、大嫌いを減らすことができるなら、かけてみてもいい。


ただの爪からそんなラブが生まれるとは思えなくて、
だけど思えたから、今綴っているんだろう。

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