シュシュ

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  • 成層圏 こころにのこる言葉

    メモにとってきた詩や文章、そしてコラム、映画のせりふを書いていきます。 対象とするひとは意識しておらず、ひとり言としてふりかえることで、こころにのこる言葉を反芻したいと思います。

最近の記事

なぜするのか。なにをするのか。

ハルバーソンの著者を頭のなかで組み立てみた。 なぜ取り組むのか。なにをするのか。 前者は抽象的であり意訳、目標、鳥の目といった言いかたもできる。中期的な意志力につながる。 後者は具体的であり一歩、計画、虫の目といった言いかたができる。毎日の実施力につながる。 ふたつをおり混ぜて考えることでひとのモチベーションは高まり、そして実行力があがる。やってのけるちからが備わるという。

    • 乗り越えた壁

      乗り越えた壁はやがて自分を守る盾となる。

      • 失敗とはひとつの成果である。

        挑戦することで得られる成果のひとつ 果実ではないが次への肥料になる。 ネット上の言葉を一部変更

        • 過程をほめる。人ではない。

          褒めるのはその人の行動を対象にすべきです。 能力ではなく、やり方や工夫、ねばり強さ、ポジティブな態度を認めていくのです。 コロンビア大学心理学教授 ハイディ・グラント・ハルバーソン ハルバーソン氏の原文には、  ほめるのは、その人がコントロールできるものにすべきです。  ともある。 「コントロール」や「褒める」という単語がつくる機械的な響きは、ハルバーソン氏の意図とは異なるのでないだろうか。興味が湧いたので、ことばの背景を深堀り

        なぜするのか。なにをするのか。

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        • 成層圏 こころにのこる言葉
          9本

        記事

          こころに残ることば: 見の目は弱く、観の目はつよく。田中一村

           見の目は弱く、観の目はつよく。

          こころに残ることば: 見の目は弱く、観の目はつよく。田中一村

          ではたずねるが 金と泥 どちらが役に立つ?

          ジャッキー・チェンの映画、少林寺 老師と弟子の一節 では尋ねるが 金と泥 どちらが役に立つ?  金です。 種をまくなら?  ……。 泥の方であろう  ……。 みな なにかの役に立っているのだ。

          ではたずねるが 金と泥 どちらが役に立つ?

          放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない

          あれはいつだったろうか、日経新聞の春秋で目にしたことば。 「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」「百歳の人はいないが千年の言葉はある」。モンゴルの格言である。物に執着しない人々は、その代わり言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう。見習うべきかもしれない。

          放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない

          「みんなが格闘技に走るんで、私、プロレスを独占させていただきます」ジャイアント馬場

           メモに取っていたこの言葉を調べてみると1989年ジャイアント馬場さんの全日本プロレスのポスターの言葉という。  示唆に富むユーモラスな言葉はいつもこころに留まっている。  「本物の格闘技」が支持をされはじめた当時、ジャイアント馬場さんはファンの心移りを感じたのでないだろうか。会社の行くすえの厳しさを直感したのではないだろうか。  空白となるプロレス市場に商機を見いだす。ホンモノのプロレスの希少性を見い出し、そして自分たちができることへの愛情。  本物とは。商機とは。ヒト

          「みんなが格闘技に走るんで、私、プロレスを独占させていただきます」ジャイアント馬場

          声無きを聴き 形無きを視る 礼記

           原文はすこし異なり  声無きに聴き 形無きに視る  儒家の経典のひとつ礼記(らいき)の言葉だとという。  この言葉は仕事に取りくむとき、つねにこころにもっておきたい言葉だと思っている。社会でのできごとや事案のとらえるとき、そして仲間を思うときの大切なよりどころになっている。  ただこうして書いてみると、この言葉は家族やふだんの生活においても、礎になっていることに気がづいた。

          声無きを聴き 形無きを視る 礼記

          こころにのこる文章: 「レヴィ=ストロースを悼む」 写真家 港千尋

          下記、港千尋氏の寄稿。 日本経済新聞朝刊 2009年11月6日 レヴィ=ストロースを悼む 写真家 港千尋  フランスのある田舎では昔、誰かがなくなったとき、司祭が蜜蜂にそれをささやき、村に野に告げるよう言ったという。レヴィ=ストロース氏の訃報が伝えられ嘆き悲しんでいる世界の中には、きっと人間だけでなく、蜜蜂たちに知らされた草花や動物たちもいるだろうと私は思う。涙の一滴一滴を通して、彼が書いてきた言葉が浮かんでくる。この世のもっとも小さないきものたち、いちばん弱きものたちの

          こころにのこる文章: 「レヴィ=ストロースを悼む」 写真家 港千尋