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米国で湿布が売れない理由


今回のテーマの結論から書きます。
定義が人の行動をつくる です。

日本人なら誰しも日常的にかなりお世話になっているであろう湿布薬。2016年には処方が乱発されすぎて医療費を圧迫していることから処方数に制限がかけられたというニュースもありました。


以下のリンクは竹村洋典医師による記事ですが、日本人が愛してやまない湿布が、なんと米国ではほとんど売られておらず医師も処方に使わないといいます。竹村先生曰く、「鎮痛薬を内服して患部を冷やすのがこの国のやり方」だそうです。要するに「専用の治療法/医薬品はない」ということ。頭だろうが肩だろうが、痛ければ鎮痛薬を飲む。なぜ専用の医薬品がないのだろう?と疑問に思うのですが、日本人にとっては斜め上すぎる説がありました。

米国人は肩がこらない

斜め上すぎる!!! んなわけねーだろ!!!
国や文化こそ違えど、同じ時代を生きる同じ人間であり、ライフスタイルにそこまで大きな差はない。それが「米国人は肩がこらない」?そんな「とんでも説」にわかには信じがたい。僕も最初はそう思いましたが、これにはもう少し深い理由があるようです。


英語には「肩こり」がない

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直訳すると、肩こりは「stiff shoulder」と表現するのだそうですが、これは英語的なニュアンスで言えば「肩が硬い」であって、日本における「肩こり」のように「病名」として定着しているものではないそうです。厳密に言えば米国人にも「肩がこる」に相当する痛みや張りは発生するそうなのですが「肩こり」という病気的な認識/定義をしていない。「今日も一日たくさん歩いて足がパンパン」→「よく寝れば明日の朝には治る」程度の感覚なのでしょう。病気として定義されていないから専用の治療法もない。なるほど。


【検索ボリュームを見てみた】

まぁ理屈はなんとなく理解したけど「本当かよ」って疑念が残ります。そこで検索ボリュームという客観的データで見てみることにしました。日本における「肩こり」と米国における「Stiff shoulder」の比較がコチラ。

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Ubersuggest
https://neilpatel.com/jp/ubersuggest/

単純比較ですが、検索ボリュームの差はなんと約38倍。(米国の人口は日本の約2.5倍です。)肩が固まるようなことはあるけど、問題と考えていない。だから検索もしない。ということなのでしょう。湿布は典型的な「ソリューション型商材」。すなわち「課題を解決したいと思う人の数=需要」となります。日本では処方に制限がかかるほど人気の湿布が、米国では全く売れない理由の一つが「認識/定義の差」にあると考えることができます。

定義が人の行動をつくる

「肩こり」と「Stiff shoulder」の最大の違いは定義としての名付けがされているか否かです。現象が名詞化されると、課題という認識が強まり、結果として解決策が求められるようになる。「代謝が落ちて痩せにくくなった体質」は「メタボ」と定義されることで、「単なる中年の笑い話」から「社会的課題」に変化し対策グッズが求められるようになりました。「緑や自然から得られるエネルギー」は「マイナスイオン」と名付けされたことで、足りないと感じる人や、それを求める人が急増し様々な製品に取り入れられた。逆の効果としては「学校に文句を言う過保護な親」が「モンスターペアレント」と定義されたことで、「自分はそうならないようにしよう」というような自重が生まる。ということもあります。

先日書いた「購買基準のルールを書き換える」に通ずる点も多いのですが、曖昧になっていたものや、意識の潜在領域にあったようなことを言語化し、明確に定義をすることによって人の認識や行動は大きく変わる可能性があります。「モノ」自体は変えずに、それが売れる環境をつくる。これがコミュニケーションデザインの醍醐味だと思います。

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