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初秋の誓い

昨日あたりから急に秋を感じる。エアコンを付けずに家にいられた。今年の夏は来るのが遅く去るのが早いのか。潔いな、君は。

朝からお向かいのマンションの一室の出窓に、白猫さまが寝そべりながら朝偵察をしているのを発見。初めて見たものだから、しかもファンだったオッドアイのてふちゃんにどことなく似ていたから、親近感が多めに湧く。ゆっくりまばたきをくれ、こちらもニャー声とまばたきで返事をする。

するとその後友人からどこかの猫が庭でくつろいでいると写真が送られてきて、笑った。自然でゆっくりしたいなぁと思っているとその子のうちに誘われ、テレパシーで会話しているなと思う。こちらが送っているのかあちらのを受け取っているのかわからないこともあるけれど。

昨日は何だかそういうのが多めの日だった。そういえば朝方見ていた夢も結構覚えていて、意味ありげな、シンボリックなかんじの内容。Twitterでしか知らないひとも出てきた。気になったけど放っておいたら、寝る前にリツイートされたその人を見て、あ、予知夢、と思う。少し後味の悪い、無意識に気にしていることが表面化された、みたいなかんじの日だった。月は蠍座にある。そうだよね、となる。月星座蠍座の友人も夢に出てきて、同じく月星座蠍のピアニストの友人の演奏をYouTubeで見たらものすごく無意識が揺さぶられるかんじがあって、蠍座祭。今日も引き続きそんなかんじがしている。誰かと何かと、集合無意識全体とつながりやすくなっている。わたしは意識に潜るのが好きで、蠍座=冥王星的な領域は恐怖を伴うけれど愛しているので、元気がなくても何だか変なかんじがしても、委ねてみている。こんな時だからこそ出てくるものを見て、感じられる。

この世に生まれ落ちて数日、わたしは何を感じていたのだろう。しばらく誕生日モードのうちは、そんな風に思いを馳せる。秋の風が吹いて、頭が冴えてきて、太陽が乙女座に移ったこの頃が自分には一番スタート感がある。あんなに夏休みのはじまりにそわそわしていたのが遠い過去のよう。今までのどんな年よりも、あたらしく生まれた感が強い。古いもののほとんどが剥がれ落ちて、つるぴかの自分が出てきて、ようやく、いよいよ、わたしの人生が始まるような。

長い間わたしを悩ませていた気持ちは、誰かがそれを表現してくれたときに、あぁそうだった、あなたもなのか。と愛おしく感じる。動かなかったもの、囚われ、そんな何かの反対側に来てしまったら、もはやもうどちらにもいられなくなり、そしてまたどちらへも行ける自由を手にする。どちらでもよいという境地を知りながら、またどちらかに向かう。選ぶ。選べる。自分ですべて選べる。選ぶってものすごい力。自由。自立。わたしたちに元々備わっている力。自分はどうしたいのか?あなたはどうしたい?

今日はタイトルから先に浮かんだけれど、誓ったことについて書きたかった気もするけれど、なんだかそれももう違うので、このままにする。すべては過ぎ行き、留めておけない、だから言葉にしてみるけれど、それさえも書いているうちに変わっていってしまう。流れと共に行く、そして感じることをやめない。瞬間瞬間、感じ続け、潜ったり息をしたりする。その中でしかわからないことをまた感じて、確かめて、生きる。

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