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共に "冒険" をする

このテーマについての文章を、ずっと書きたいと思っていた。自分にとって、とてつもなく大事だから。「誰かと知り合ったときに、どういうプロセスを踏めば、お互いを理解し合えるのだろうか。」これは、コミュニケーションをライフワークにしている自分にとっては、とても大事な問いである。

共通言語があり、お互い自己認知レベルが高い場合は、言葉を用いた「対話」はやはり、便利だと思う。しかし、それだけでは理解し合えないこともたくさん、たくさん、たくさん、ある。コミュニケーションの取り方に正解はもちろんないけれども、これだけは、確実なんじゃないかと思う。「言葉での対話だけでは、足りない」。

言葉と、観察

自分にとって、「言語化」は、何気に、大事だ。何かを感じた時に、その感情を言葉で掴みたいという気持ちが、とても強い。だからこそ、他者と関わるときも、言葉でのコミュニケーションに、かなり比重を置いてきた。(ある意味、自分にとって大事なことを、他者にも押し付けていた部分もあったと思うし、今も、ある。)けれども、最近は、「観察」の大事さを感じるようになった。昔から観察は好きだけれども、もっともっと、観察するようになったと思う。

一緒に暮らしているメンバーとの、鎌倉旅行

そう感じるようになったきっかけは、同じ家で共に暮らすメンバーたちと「旅行」に行ったことだったと思う。

現在私は、Ciftというコミュニティの拠点で、約25人で共同生活を行っている。住んでいるメンバーのやっている仕事も、年代も、様々だ。

そんな私たちは、普段の暮らしの中で、「対話(言語での)」を大事にしている。生活の中で誰かに対して違和感を感じるような出来事があったとき、何か話したいことがあるとき、いつでも、「対話」をする。なので、我々は、対話を通してお互いを知る ということは、日常茶飯事的にやっているのだ。

そんな、いつも対話ばかりしているメンバーで、なぜか、一泊の鎌倉旅行に行くことになった。8人だったかな?

海で遊んだり(雲の終わりを知りたいといって走り始める、当時6歳の少年が、とても可愛かった)

手巻き寿司をしたり

花火をしたり(この後、服を着たまま真夜中の海で遊んだりもしたね。)

とにかくはしゃいで、何を話したかなんてなーんにも覚えてないけど、ただただ、楽しかった。

実際は、メンバーはいつメン。そして、箱が変わっただけに過ぎない。何が違ったかと言えば、共に新しい何かを経験した(=冒険をした)というだけだったと思う。さらに言うと、経験に対するお互いの反応を観察し合っていたんだと思う。同じ景色を見て、同じ経験をしても、見えている世界は人によって全然違ったりするものだ。何かを共に経験することで、「この人、こういうことで喜ぶんだな」とか、「こういうことで寂しい気持ちになるんだな」とか、新しいその人の顔を知ることになる。これが、「観察」だ。対話だけでは知りえないその人の顔を、共に何かを経験することで、知ることができる。自分にとってはなんでもない景色でも、他者の目でそれを見ると、とっても美しく輝いて見えていたりする。それによって、世界の美しさを再発見できたりするのも、私はとっても好き。

どこの国でも、恋人たちはデートに出かけるし、家族旅行にも行くし、「そんなの当たり前じゃん!」と思う人もいるかもしれないけれども、言語での対話だけで全部理解し合えるとか思っちゃってた自分的には、この発見は結構大きかった。

言語はやはり、「自己認知」というフィルターを通すから、共通経験⇒観察のプロセスで見えてくる顔は、なんだかもっと、生っぽくて、リアル。

対話と合わせて、こんな風にお互いを知り合って行くって、とても幸せ。

これ以来…

冒険。「危険な状態になることを承知の上で、あえて行うこと。成功するかどうか成否が確かでないことを、あえてやってみること」という言葉の定義もあったりするけど、私がここでいう「冒険は」そこまで重いものではない。「やったことないことをやってみる」程度だ。

これ以来、もっと知りたい人が現れたときに、何かを一緒にやってみる(冒険)ようにしてみている。それが、「どこかにお出かけする」のときもあれば、「プロジェクトを立ち上げてみる」ときもある。「何かを作る」ときもある。冒険には色んなやり方があるけれど、こうして人を知るのは、本当に楽しい。

特に子供たちとの関わりにおいては、「共に冒険をする」ばかりをやっている。7歳少年とは、合同誕生日パーティー(たこ焼きパーティー)を一緒に企画したり、自分がボランティアとして参加する予定だったイベントに彼も連れて行って一緒にボランティアスタッフとして動いてみてもらったり、なんか色々やってみている。彼のいろんな特性を発見できるし、世界の美しさを再発見できるし、毎回、めちゃくちゃ面白い。

というわけで。「もっと知りたいな」と思う誰かが思い浮かんでいる人は、是非、共通経験⇒観察をやってみてくださいな。

サポートいただいた分は、自己拡張の機会に使わせていただきます。学びや気付きは、noteの記事に綴ってゆきます。