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自分が「書く」を選ぶ理由

世の中には、いろんな「表現者」がいる。絵を描く人、服を作る人、料理をする人、映画を作る人、建築物を作る人…などなど。表現する理由も様々なんじゃないかな。私は、書き手としてもただの素人だけれど、今のところ表現方法としては「書く」が最も心地が良い。そんな中、自分はなぜ書くのか、を、ここに書いてみることとしよう。

1番の理由は、自分のため

私は、いつも、自分をもっと拡張(変化)させたいと思っていて、さらに自分の変化に、自分自身で追いついていたい。最新の自分を、自分自身でちゃんと知ってあげていたい。そのときに、私の場合は、今のところまだ言葉以外に方法が見つかっていない、ということなんだと思う。自分の中で起こっていることの本質を、言葉で「掴みたい」気持ちがすごく強いということもあり、今のところは「言語化」に落ち着いている。RADWIMPSの野田洋次郎さんが、「歌詞を書き終えた時に、自分や、対象の人や、世界のことを、前よりも知っていたいな、と思う」と言っていたけれど、恐れ多いが(笑)、私はその感覚に近い。自分にとって、書くことは、紐解き作業であり、抽象化作業であり、対象(大体、自分)への理解を深めてくれる行為なのだ。

口下手だから

本当は、気持ちを言葉に乗せて、口頭で、伝えられる人が、うらやましいと思う。私は、実は、大切な気持ちを口に出して伝えようとすると、涙が出そうになる性質を持っている。Soarさんのこの記事を読んだときに、すごく共感した。

だから、伝えるときに、それがポジティブな内容であっても、茶化してしまったり、敢えて感情を込めずに言ってみがり、照れて言えなかったりする。そして、これをやっているうちに、こちらの方が楽ちんになり、もう抜け出せなくなっている。こちらのキャラクターも何気に好きというのもあるから厄介なのだが、この相反する2人を、ちゃんと共存させてあげたいという願いも、やっぱりある

まあ、なので、ある意味、妥協案として、文章を書いているという部分も、実は大きい。

(こんなに赤裸々に書いてしまった...)

人の時間をいただくのが申し訳ない問題

とある人と話していて、不思議な個所にお互いの共通点を見出したので、シェアしてみる。誰かと1対1で対話をするときに、相手7割 自分3割くらいがちょうどよい、という共通点だった。自分が話している割合が増えると、不安になる。自分の話に興味あるかしら...という、不安。文章は、勝手に書いて、興味がある人が見てくれる。この気楽さが、私は好きなのだ。

ちょっと雑めで、ネガティブな理由もいくつかあるけど、現在地はこんな感じだ。

他の表現方法も見つかったら楽しそうだな、とも、願いながら。

サポートいただいた分は、自己拡張の機会に使わせていただきます。学びや気付きは、noteの記事に綴ってゆきます。