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映画「LAMB」を観た

Lambをついに見ました。
※犬が死にます
※猫は生きます
※羊は死んだり産まれたりします
※羊の出産シーンがあります

日本語版予告

オフィシャルサイト 

あらすじ
ある日、アイスランドで暮らす羊飼いの夫婦が羊の出産に立ち会うと、羊ではない“何か”の誕生を目撃する。2人はその存在をアダと名付け育て始めるが——。(オフィシャルサイトより引用)


※以下ネタバレ有感想※

正直、この映画は気持ち悪いなと感じました。意図的なチグハグさというかしっくり来ないというか…。
その辺の違和感はvvitchという映画に似てる気がしました。(これも宗教が関係する話なのでLambの空気感が肌に合えば観てみるのも良いかも)

勿論、ずーーっと気配はありました。なんなら冒頭から存在の匂わせはあったんですが、ラストに出てきたあの羊男。めちゃくちゃ思考の範囲外の存在だったから、リアルに「えー!」って言いました。
例えるなら「マジシャンが実は超能力者でトリックなんてありません」「殺人事件の犯人は悪霊でした」に近いイメージ。
そんなのあり!?って思っちゃうくらい唐突で異分子な存在でした。
でも、繰り返しになるんですけど、あの羊男の存在は冒頭から示唆されてたんですよね。
ずっとあからさまに「何かがいる気配」はあったのにその存在に気づけなかった…。
考えてみればあの羊男を許容出来ないのがそもそもおかしいんですよね。だってこの物語の核になる「アダ」がもう、そうなんですから。
でも、アダって絶妙に可愛いんですよね。良くも悪くもちゃんと子どもというか。終盤の猫ちゃんと一緒にいるシーンとかちょっとニコニコしました。
アダは許せてあの羊男は許せないのは、やっぱりあの夫婦をベースに物語が作られているからなんですよ。夫婦(主にマリア)にとってはアダは可愛い娘で、神様からの祝福で、唯一無二の当然愛すべき存在なんです。一方羊男、あいつの存在を認めてしまうと、羊男がアダの父親だということも認めてしまうわけで、つまり神様からの祝福でもなんでもないんですよね。ただの「異形の子」「化け物」と称されてもおかしくない異分子になってしまう。だから夫婦は徹底的にその思考に蓋をしたのかも知れません。
この映画、聖書を元にしてるんですよね。確かに「アダ」だの「マリア」だの「第〇章」
だの、連想せざるを得ない要素は散りばめられています。
アダをキリスト的立ち位置とするなら、きっとアダは「神の子」。ですがあの羊男は神では無いでしょう。むしろあの容姿は悪魔のそれと言っても過言ではないですね。
そして「アダ」=アダムなら、あの羊男はイブ…?創世記はじまる…?
ここまで書いて気づいたんですけど聖書の内容を反転させてるんですね。悪魔のための聖書?

最後、恐らくですがマリアは妊娠していたんでしょう。実の娘のアダが死に、その後に生まれた「アダ」。ではイングヴァルが死にその後に産まれるのは…?


長くなったし思考もまとまらなくなったので、最後に戯れ言。
この映画を観る前に「スプライス」という映画を観ていました。終わ倫理観の映画です。
スプライスの感想はこちら
この映画、それこそ観終わるまで脳内にはスプライスがずっとチラついていました。(なんなら皆さんの感想ブログ見るまでスプライスと同じく倫理観さよならしてる夫婦だと思ってました)
そんな私が初見でしたすげー嫌な解釈を以下に備忘録として置いておきます。

・マリアは子どもが出来にくい身体
・やっと授かった娘アダを亡くしてしまった
・悲しみにくれたマリアとイングヴァルは子どもを「造る」ことを決意
・その結果産まれてしまった「アダ」
・「アダ」が女の子だったから、アダの代わりとして育てることを決意
・「アダ」は羊の血が入ってるので人より成長が速い
・ラスト、イングヴァルを殺した羊男は「アダ」の兄
・男だったが故にアダになり得なかったので産まれた段階で処分された(恐らく川に流した)が生き延びてしまった存在
・母羊をマリアに奪われたこと、新たに産まれた「アダ」が愛情を持って育てられていること、それが耐えられなかった


以上です。

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