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会社を辞めることにした理由。

会社を辞めることにした話。

今日は辞めることにした理由について書いていきたい。前回の話は以下です。

辞めることにした理由をもう少し掘り下げてみる。いくつか思い浮かぶが、大きな理由の1つは「余裕の無さ」だ。

結局「激務のヤバい会社」は、給料はいいがその分余裕のない日々を送ることになる。余裕とは、さらに具体的に言えば、「時間的余裕」と「精神的余裕」だ。

時間的余裕を失う

仕事に拘束される時間が長いため、平日は家に帰ったら寝るだけになる。また、平日で仕事が終わらず休日出勤せざるを得ないことも多く、土曜日の午前中にはできるだけ予定を入れないようにしなければならない。

こういった勤務状況のために、仕事のおかげで友人と会う機会を失ったことはこれまで何度もあった。自分が幹事だった合コンが仕事の為になくなったこともあった。

哲学者のバートランド・ラッセルはこう言っている。

かなりの余暇時間がなければ、人間は人生における最良のものの多くから切り離される。

時間的余裕を失ってから気が付いたが、僕は思っていたよりも友人や家族と過ごす時間を大事にしているようだ。仕事に時間を食いつぶされ、親しい人と過ごす時間が失われるのは悲しみが深い。

はて、より良く生きるために仕事をしているのではなかったのか。月並みな言葉だが、仕事はより良い人生のための手段であって目的ではない。手段のために目的が失われるようなことになってしまっているのだ。仕事とはお金を稼ぐ場所で、お金を稼ぐのは不自由ない生活を送るためだったはずだ。生活が仕事に侵食されている。あれ、何かがおかしいぞ。

精神的余裕を失う

冬のある日、群馬県某所の炎上現場から解放されて見上げたオリオン座のことを、きっと僕は忘れない。ロマンチックに書いてみたが、ただの修羅場だった。

そして結局それが最後ではなく、数日後また呼び出されて現場にいた。

弊社で働いていると平穏に終わる1日というのがない。上記のような炎上は数ヶ月に1回ぐらいなものだが、ボヤがいつもどこかで起きている。こうした火種を抱えた状態が続くため、常に切迫した精神状態だ。もう全て投げ出したくなる。吐きそうになる。というか吐いたことがある。

まあ、この精神状態そのものが悪だが、悪影響は仕事が終わった後にも残る。一旦仕事から解放されていると思いきや、どうやらエネルギーを使い切ってしまうためか、無気力人間になってしまう代償があった。帰宅後はLINEを開く元気すらなく、なんとか読んでも文字を打つのがだるく返信ができない。悪気のない既読スルー。

休日で時間があろうとも、何か自己研鑽を積もうだとかランニングをしようだとか、何かに取り組む元気は失われる。休日は酒を飲んで馬鹿騒ぎすることしかできない。まあそれも楽しいが、終わった後には何も残らない。仕事以外の生産的な活動はできなくなってしまった。

切迫した日々は精神的エネルギーを失わせ、人間的な生活に支障をきたす。ああ、心穏やかな生活がしたい。

まとめると

結局、僕は親しい人と過ごす時間や、心穏やかに過ごすことの方が「いっぱいお金を稼ぐ」ことよりも大事だと感じているようだ。ここにきて、就活時に真面目に自己分析を行わなかったひずみが顕在化してきてしまったらしい。

お金がなくても幸せ、なんていうのは現代では綺麗ごとだ。だがそれでも、お金があってもそれを稼ぐ仕事のために自分の幸福の源泉を枯渇させては意味がない、と僕は思う。まあ、そんな大層なことを言えるほど稼いでいるわけでもないんだけど。

とにもかくにも、精神的に波風の立たない日々を送りたい。もう炎上現場から見上げるオリオン座はたくさんだ。星空は穏やかな気持ちで眺めるものだと、思いませんか。

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