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童貞は文通をする

大学での初めての恋が、2か月余りで何も起きないまま終わった僕は、こう考えた。

「自分の良さをわかってもらうには、やっぱり時間が必要だ」

そうなのだ。決して格好良くはない僕だが、高校時代までには告白というものを何度かされたことがあった。手をつなぐ以上のことはしたことがないが、彼女がいたことだってあった。サッカー部で、明るくて、友達もそこそこ多くて、それなりにまじめで。そんな僕を好きになってくれる女の子は、数年に一度現れた。

それがまた、自分の中で変な自信にもなっていた。

大学に入ってからも、このままできっと大丈夫だと。

ただ、最初の恋ともいえぬ恋が終わって、改めて僕は気づいた。高校までと、大学からは全く違う。高校までは、クラスがあったし、部活があった。毎日ほぼ同じメンバーと顔を合わせるため、「自分」というものをある程度は周囲に理解してもらえた。

大学でも便宜上の「クラス」はあったが、普段会うのは同じ授業を履修している生徒だけだ。しかも、授業中の交流なんてほとんどない。合コンやサークル、友達の紹介など、女の子と知り合える機会はそれなりにあったが、「自然と自分の良さを分かってもらえる」ようなシチュエーションも、時間も、ほとんどなかった。

イケメンではない上に、不可抗力的に学内でも「怖い奴ら」と認識されているグループに属してしまっていて、女の子を楽しませる軽妙な会話ができるわけでもなく、口を開けば夢とか変にまじめなことを語ってしまう。そんな僕にとって、瞬発力的な魅力が求められる大学での恋は、非常に不利だった。

うらやましいことに、男女がまとまって「仲良しグループ」みたいになっている集団もあり、そこはまさに高校までの「クラス」のようだった。自然とお互いの良さに気付けるようで、そのグループの中では高確率でカップルが生まれていた。というか、オールタイムでグループ交際しているようなものだ。

僕がつるんでいたグループにも、一緒に遊んでくれる女子がいるにはいた。そのグループで学内のソフトボール大会に出れば、応援に来てくれるような女子だ。でも、その全員がたばこを吸っていて、女子の中でも「ちょっととっつきにくい」と見られているような人たちだった。その子たちはみな、とてもやさしく、そして僕のことを笑ってくれるので、一緒にいて楽しかったが、僕が好きになるような人たちではなかった。

僕が好きなのは、まじめで、おしとやかで、一緒に映画や小説の話ができるような女の子だった。でも、そんな子たちは、僕らのグループには近寄りもしなかった。

そして、僕が単騎駆けでそんな女子にお近づこうとしても、まったくもって好意も興味も持ってもらえなかった。

そんな風に苦悩していた僕が出した答えは、こうだった。

「すでに、僕の良さを分かってくれている女子に頑張ればいいんじゃないか」

童貞の僕にも、高校までに培った人間関係で、電話で話せるくらいの女子が何人かいた。その中で、一人思い当たる人がいた。

高校の同級生である、島田さんだ。



島田さんとは高校2年生の時に同じクラスになった。ソフトボール部という割とハードな部活をやっていたが、男勝りということはなく、普段はとてもおしとやかで、その上とても優しかった。

高2の僕は彼女に好意を寄せていたのだが、ある日なんと、そのソフトボール部の後輩が僕のことを気になっているということで、島田さんは僕とその子をつなげてくれた。僕としてはやや複雑だったのだが、その子がまたとてもかわいらしく、僕は結果的にその子とお付き合いすることになった。

その付き合いは、僕の独りよがりな暴走によってすぐに終わってしまった。思春期真っただ中の僕はひどく落ち込んだ。そんな時に、話を聞いてくれたのもまた、島田さんだった。

島田さんとはそれ以上の仲になることはなかったが、自分の中で、なんだか甘酸っぱく、また勝手に切ない思いを持って接する、少し特別な女性になっていった。

大学でいきなり行き詰った僕の中で、むくむくと島田さんの存在が大きくなっていった。彼女となら、何かが生まれるかもしれない―。

そして、痛い痛い僕がとった手段が、文通だった。

2000年に入る少し手前。大学生の間でも、携帯電話(正確にはPHS)が当たり前になりつつあった。ただ僕は、「気軽にいつでもつながれる携帯では、自分の良さが伝わらない」と考えていた。というか、わからなかったのだ。メールのやり取りで、どうやって仲を深めていけるのか。そもそも、何を送ったらいいのだ。もちろん、トライはしていた。しかし、それが一向にうまくいっていないことだけはわかった。

島田さんにこそ、そして僕だからこそ、文通こそが最適解だと思い込んだ。

果たして。

優しい優しい島田さんは、いつも律儀に手紙を返してくれた。高校時代の思い出や失恋、一人暮らしの苦労や気楽さ、これから大学でやりたいこと、新しい友達…。そして、行間には少しずつ、島田さんへの思いを忍ばせるようになっていった。

そして、彼女からの手紙にも、そんな匂いが漂うようになっていった、気がした。手紙だけでは飽き足らず、時折電話で話したりもした。そのすべてに、島田さんは応じてくれていた。

高校時代に甘酸っぱい関係だった2人が、大学に進んで、物理的な距離が離れたからこそ、心は逆に近づいていく―。僕の中で、そんなストーリーが完結しつつあった。

8月になり、2か月間の夏休みに入ると、僕は一も二もなく、神奈川の実家へ帰った。アルバイトもないし、お金もそんなにないし、友達もほとんど故郷へ帰ってしまったし。一番仲のいい高校の親友たち(全員童貞)と、北海道旅行に行く約束もしていたし。そして何より、地元で大学に行っている島田さんに会えるし。

島田さんとは、映画に行った。一緒に買い物もした。告白こそしなかったが、僕の思いはいよいよ確信に変わろうとしていた。映画や食事や買い物、すべての行程で島田さんとの距離が近かった。肩が触れあっても、島田さんが嫌がるそぶりはなかった。何なら、島田さんの方から肩を寄せてきたようなシーンもあったように思えた。

しかし、焦りは禁物だ。僕は、少し日を置いてまたデートに誘うつもりでいた。お盆明けからは親友たちと北海道を3週間ほど貧乏旅行する予定にしていたので、その前にもう一度会って、何ならそこで告白かな。そして、旅行から帰ってきたら…。

妄想と想像は膨らむ一方だった。

最初のデートから数日空けて、2度目にデートに誘おうと、僕は島田さんに電話をした。

僕の声色は、何なら恋人のそれだったようにさえ思う。しかし、次はどこへ行こうかという会話が、一向に弾まない。というか、島田さんの様子がおかしい。なんだか元気がないのだ。

あれ、どうしたの? なんかあった?

電話越しに聞こえてきたのは、衝撃の告白だった。

「あのさ、なんていえばいいのかなんだけど…私、彼氏ができたんだよね」

うそーん。うそでしょー。とは言えず、僕は平静を装った。

あー、そうなんだ。

僕はさらに、平静を装った。

よかったじゃん。誰なの? 大学の人?

衝撃の第二波が飛んできた。

「岡君なんだよね、あの、高校のさ」

うそーん。まじすか。岡って、あのバレー部の岡ですか? あの岡君ですか…。

僕は、平静を装うしかなかった。

へえ、岡なんだ。確か、3年の時同じクラスだったもんね、島田さんと。

もうその先、何を話したかは覚えていない。

ただひたすら、脱力した。なんだっただろう、この数か月間は。なんだったんだろう、あの文通は。なんだったんだろう、肩を触れ合わせながら見た映画は。なんだったんだろう、あの「また一緒に映画行こうね」は。

岡も、僕と同じように、大学ではうまくいかなくて島田さんを誘ったのだろうか。そんなことないだろう。バレー部の岡は、高校時代にも長く付き合っていた女の子がいた(というか、僕はその子のことも気になっていたのだ、一時期)。岡は、部室を締め切ってイチャイチャしていると聞いていた。実際に、2人がバレー部の部室から出てきたところを見たことがあった。岡は、校内でも平気でイチャイチャできるくらい、の男だった。もちろん、童貞ではなかったはずだ。つまり僕とは違い、女子との距離感の縮め方を熟知していたはずだ。

なあ、岡。お前は大学で頑張れよ。お前なら大学でも行けるだろ。合コンでもすぐに女子を楽しませて、すぐに付き合ったりできるだろ。だめだよ、岡。お前はこっちで勝負する人間じゃない。もっと先に行くべきなんだよ。だめだって、岡。なんでさ、なんでさ…。

つうか俺、島田さんと付き合えるんじゃなかったのかよ。何なら、夏休みの間に旅行でも一緒に行って、童貞を捨てられるんじゃなかったのかよ。それで、大学が始まったら遠距離恋愛になるけれど、それでも互いに1か月に一度は高速バスで会いに行って、会うたびに一緒に寝るんじゃなかったのかよ。それで冬休みか春休みには一緒に海外に行っちゃったりするんじゃなかったのかよ。

えーんえーん。

まじ、なんなんだよ。

島田さん、俺と文通していた時も、岡とデートしていたのかな。俺と電話しているときも、実は岡からメールが来たりしていたのかな。俺と映画に行った次の日には、岡と食事に行ったりしていたのかな。

もう、なんなんだよ。島田さん、そんなことしれっとできるのかよ。

女の子、怖いよ。あの2人の温度感というか空気感は、「付き合う前の男女のそれ」じゃなかったのかよ。もう、全然わからなくなったよ。次に誰かとそういう空気になった時も、絶対信じられないよ。はあ、まじかよ。

唯一はっきりしたのは、恋愛における僕の勘は全く当てにならないということだ。

島田さんとの文通も電話も、それきりになった。

僕の大学1年の夏休みは、童貞4人組での北海道旅行で終わった。それはそれで、最高に楽しかった。広い北の大地を車で巡りながら、夜は公園や無人駅で野宿をした。くだらない話をしながら、夜は安いお酒を飲みながらトランプをして過ごした。

誰も大学で彼女ができていなくて、妙に安心した。もちろん女の子の話もしたが、それはおおむね、高校までのそれぞれの恋愛の振り返りみたいなものだった。

そして、ダサい僕は、島田さんのことを彼らに話さなかった。いや、話はした。「島田さん、岡と付き合っているらしいよ」。それだけだ。自分が文通をしたり、一緒にデートまでしたことは、伝えなかった。
だって、みっともないったらありゃしないのだもの。

北海道から神奈川へ帰り、9月の半ばに僕は東北へ戻ることにした。大学の授業は10月からだったが、学校が始まる前にアルバイトを見つけなければと思っていた。大学の友達もぽつぽつと帰ってきていた。彼らとも、少し遊ぼうと思っていた。

最初に会ったのが、ダイスケだった。ヤリチンの、ダイスケだ。

「悪いけど、1万円貸してくれないか?」

それがダイスケの要件だった。バイト代が尽きてしまい、生活費がないというのだ。ダイスケはお金がなくても、女の子の前ではおごる男だ。おおかた、そんな調子で金欠なのだろうと思ったが、そこは突っ込まず、僕はダイスケと会うことにした。僕もそこまで余裕はなかったが、1万円くらいなら貸しても問題なかった。

ダイスケは、できれば家に来てほしいという。「なら、ウイイレ(サッカーゲーム)でもしながら、だらだら飲むか?」と聞いたら、「いや、今日はちょっと」という。また女かよと思ったが、別にそれならそれでいい。僕も家を出るついでに、アルバイトを探そうと思った。

ダイスケのアパートに着いた。チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた

ギョッとした。ダイスケの顔が、赤黒く腫れているではないか。右目は、ほとんど見えていないくらいだ。どう見たって、誰かにぼこぼこにされて2日目くらい、だった。

「お前、どうしたんだよ? 誰にやられたんだ?」

ダイスケは、玄関で小さな声でこう説明した。

「変な女に手を出しちゃって、ヤンキーみたいな男を連れて俺んちに来て、やられた。まじくそ野郎だった」

なんという…。

「そいつ、空手やっていたかなんだかで、めちゃくちゃしやがった。まじ、死んだらいいのに」

ダイスケのように手あたり次第に女の子にちょっかいを出していれば、こういうこともあるのだろう。自業自得といったところだが、実際に暴力を振るわれた痛み、恐怖、屈辱、そしてそれを友達に知られる恥ずかしさは、僕にも想像がついた。

「ちょっと待ってろよ。なんか食うものとか、冷やすものとか買ってきてやるから。金は1万で足りるのか?」

バイト代が3日後に入るから、大丈夫だという。僕は、スーパーと薬局によって、またダイスケのアパートへ戻った。傷が引いたら、改めて飲もうと。

僕の大学1年の夏は、こうして終わった。

傷が癒えたダイスケと、互いの夏について報告しあった。ダイスケはほとんど実家(といっても山形県内の日本海側にある酒田市)には帰らず、バイトと女の子に明け暮れていたらしい。19歳の夏の過ごし方として、僕とダイスケのどちらが健全かと言われれば、わからない。

そして、島田さんとのことも、ダイスケにはすべて伝えた。報告を聞いた、ダイスケの第一声はこうだった。

「その子もたいがい、ビッチだな」

本来は雌犬を意味する「ビッチ」は、男女関係でいうときは尻軽というニュアンスが濃いのだろうが、僕とダイスケの間では「自分たちを惑わせる女、自分たちを振った女」という意味で使っていた。自分勝手極まりなく、果てしなく女性に失礼な物言いだが、あほな男の会話なんてそんなものだ。

さらに言うなら、「ビッチ」の使い方は発展していった。サビチェビッチやストイコビッチなど、クロアチア人の名前は最後にビッチがつくことを知った僕らは、自分を振った女子や元カノの呼び方に、それを応用した。「由香ノビッチ」や「たか子ビッチ」といった具合だ。フェミニズムの観点からしたら本当に最悪だが、情けない男たちは、こうしてケタケタ笑いあって、自分たちを慰めないと、やっていられなかったのだ。

おそらくひと夏で二けたの女の子をものにしながらも、最後にはぼこぼこにされたダイスケと、文通作戦に失敗し、まっさらな童貞のまま帰ってきた僕。こと女性に関して言えば本当に真逆の夏を過ごした2人だったが、このころにはすでに、どこかでお互いが親友になっていくのではという予感を持っていた。

僕らが住む町は、典型的な盆地で、かつて日本最高気温の記録を保持していたこともあるくらいの暑い街だった。だが、秋が来たかと思うと、すぐに冬の風が吹き出す。半袖を着ていた2週間後にマフラーを巻いているなんていうことが、本当に起こるのだ。

そして僕は、「かわいい女の子とお知り合いになれるかもしれない」という思いのみで、駅ビル内にある雑貨屋さんのアルバイトの面接に行った。

結果は不採用だった。世間は、童貞に冷たいのだった。北風が身に染みた。

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