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童貞はフィリピンパブでも間違える

恋人ができないまま迎えた、初めての東北の冬。

忘年会シーズンに突入した街で、僕はあるデビューを飾った。

19歳にして初めて、「女性が接客してくれる店」に踏み入ったのだ。

当時、僕は繁華街の居酒屋でアルバイトをしていた。魚介系を売りにしたその店は、安くて量も多いということで、そこそこ繁盛していた。

我ながら、フロアの仕事は向いていなかった。食器をキッチンへ下げている間にお客さんに声を掛けられ、注文を頼まれる。1つならいいのだが、それが2つ3つ、テーブルも複数なんてなると、最初にお願いされたのをあっさり忘れてしまうのだ。逐一メモをとればいいのだが、面倒くさがってやらない。そして、しばらくすると「さっき注文したやつがまだ来ていないんですけど」と言われてしまう。同じミスを何度も繰り返した。

それなのに僕は、50代中盤だっただろうおじさん店長にすごく気に入られていた。

元気がいいからだ。サッカー部でも声出しが一番の武器だった僕の声は、よく通った。

「梅っちの声はいいねえ。店が活気づく。お客さんが飲みたくなる声をしているよ」

店長はそう言って、いつも褒めてくれた。

そして、僕も店長のことが大好きだった。

店長の「ふかし話」が、面白くてたまらなかったからだ。

その店は、オーナーが市内で2軒経営しているうちの支店扱いだった。店長も、いわゆる雇われだ。

高卒で料理人の世界に入ったという店長の武勇伝は、どれも最高に嘘くさくて、最高に面白かった。

店が暇になると、キッチンに呼ばれて、こんな感じで切り出される。

「梅っちって、最高何人の女と一緒にしたことある?」

いやあ、僕、恥ずかしいんですけど、まだ女の人知らないんですよ。店長、そう聞くっていうことは、3Pとかしたことあるんですか?

「全然、違うよ。3Pなんて少ない。俺の最高は、13Pだよ」

マジっすか? それどういうことなんですか?

こうした具合に合いの手を入れていくと、店長は盛りに盛った武勇伝を披露してくれた。

数々の話をまとめると、店長はその昔、それはそれは男前で、料理の腕もたった。20代で銀座の一流店の板長を任され、恋仲となったクラブのママはやくざの女で、やむを得ない理由で別れることになった時に、「粋」という見事な刺繍の入った前掛けをもらったのだという。

軽井沢の高級ホテルの板場にいたときには、卒業旅行でやってきた短大生の一団(彼女たちが12人だったのだという)に頼まれて、彼女たちの「初めて」を奪ってあげたのだという。

和食を本気でやろうとすると気が休まらないので、もう少し気楽に料理を楽しみたいと、故郷に帰ってきて居酒屋の店長をしているのだという。

これらが嘘か本当かなんて、たいした問題ではない。確かめようだってない。

アルバイトの学生を相手に、こんな与太話を嬉々として語る店長が、僕はとても愛おしかった。

世に出ると、求められる役割というものがある。

ここでの僕は、ひたすら無邪気な聞き手になりきるのが、全方向的にハッピーなのだった。

だからなのだと思う。古参のアルバイトはほかにいるのに、店長は僕をとてもかわいがってくれた。

閉店時間に僕が一人しかいないと、必ず、当日余った食材で弁当を作ってくれた。もちろん、賄いとは別にだ。

そんな、ある日だった。

大人数の忘年会が2件も入っていたその日、僕は開店の2時間前に入ってくれと言われていた。

オープン前の店に入ると、カウンターに大柄の女性が座って飲んでいた。どういうことなのだろうと訝ったが、とりあえずは「いらっしゃいませ! 何かご入用あればいつでもおっしゃってください」と声をかけた。

すると、店長がこう言うのだ。

「梅っち、こいつはいいのよ。放っておいて。こいつ、おれの豚だから」

へ? いまなんて言いました?

「俺の同居人。もう俺より太っているから、豚だよ」

恋人を対外的に豚と呼ぶ人は、これ以来会ったことがない。確かにでっぷりとはしていたが、とても愛嬌のある顔をしていて、感じがいい人だった。

店長にはいつも本当にお世話になっています。店長の料理が家でも食べられるなんて、本当にうらやましいです!

そう挨拶をすると、その人は思ったより甲高い声でキャハハと笑い、こう言った。

「この人、家では料理なんて絶対しないのよ。俺が包丁握るのは板場だけだとかいって。だから、この人の料理食べるにはこうして来ないとだめなのよ」

えー、ほんとですか? ちょっと、僕からお願いしておきますね! 店長、ちゃんと家でも料理してくださいよ! 店長の煮つけ、家で食べられたら最高ですよ!

女の人は、とてもうれしそうに笑い、店長に向けてこう言った。

「彼が梅っちね。確かに、面白い子だわ」

店長が僕のことをその人にも話していたと知り、僕はうれしくなった。僕はその後、忘年会の準備をしながらも、合間を見ては、店長にいかに優しくしてもらっているか、一人暮らしの学生にとってそれがどれだけありがたいことかを、その人に話した。

開店前に、その人は店を後にした。

店長は「豚だから、よく食いやがる」と言いながらも、なんだか嬉しそうだった。

「よし、梅っち。今日は忙しくなるから、気合入れていくぞ」

言葉通り、賄いを食べる暇もないほど、繁盛した。2件の忘年会の後に、飛び込みで10人の団体が入り、閉店間際までほとんど満席状態が続いた。

もう一人のアルバイトは女の子だったので、閉店30分前の23時で上がっていった。

大量の食器を洗い、テーブルを拭き、一息ついたころには、日付が変わっていた。

その日の売り上げは、その年の最高額だった。

「今日は賄いも出せなかったな。梅っち、この後、まだ時間ある?」

はい、あとは家に帰るだけなんで、何にもないです。

「よし、んじゃ、ラーメンでも食べに行こう。着替えて、店の外でタクシー捕まえておいて」

僕は言われたとおりにした。

店長と、店長より少しだけ年上の板前さんと僕は、タクシーで行けば5分で着く駅前へと向かった。

車が止まったのは、僕も何度か入ったことのある朝方までやっているラーメン屋さんの前だった。

店に入ろうと店長と板さんを待っていると、2人は「梅っち、こっちだよ」とあらぬ方向へ歩き出す。

そして迷うことなく、雑居ビルの地下へ続く階段を下りていく。「あれ、ラーメンじゃないんですか?」。僕の問いに応えず、店長はいいからついておいでと、あるお店のドアを開けた。

イラシャイマセー。

テレビでしか見たことのない、「お姉さんのいる店」だった。

しかも、お姉さんたちはどうやら外国の方だ。

店長、これなんなんですか? どういうことですか? まじ意味わからんないですけど。

「あれ、梅っち、フィリピンパブ初めて?」

いや、フィリピンとかそういうのじゃなくて、こういう店自体初めてですよ。

「あらそう。そりゃよかった。ほら、座って。最初はビールでいいよね?」

まったく想像していなかった事態に、僕は完全に舞い上がってしまった。

あれよあれよと、座れば自動的にパンツが見えてしまうほど丈の短いドレスを着た、フィリピーナの方々に脇を固められてしまった。

生ビールとともに、軽食とドリンクセットが運ばれ、テーブルはあっという間に出来上がった。

「今日はほんと忙しかったけど、みんな頑張った。お疲れ様! 乾杯!」

イエーイ。カンパ~イ。

今僕にできることは、一気しかない。ビールを一息に空にすると、「スゴーイ。オニサン、カッコイイー」と、手が太ももが伸びてきた。

なんか、よくわからないけど、やるしかない! 店長がせっかく連れてきてくれたのだから、全力でやろう!

僕は、意味不明の気合を入れた。すきっ腹に飲んだものだから、すぐに酔っぱらってしまった。

といっても、お店のルールみたいなのもわからないので、女性に触れたりはしなかった。店長は、店のママと馴染みのようで、親しげに話している。

すると、店長はママに促されて、チークダンスを始めた。見ると、店内の方々からぽつぽつとおじさんと女性が出てきて、同じように踊り始めた。

いつもは寡黙な板さんも続いた。どうやらちゃんと、ご指名の子がいるらしかった。

チークダンスなんて踊ったことがあるはずもない僕は、ボックス席でその光景を見ていた。2曲ほどが終わると、店長が僕を手招きをした。

僕ですか? とわざとらしいアクションをとりながらも、いそいそとそちらへと向かった。

すると、ママさんが近くにいた女性を呼び、僕とペアになるように言っている。

僕、踊り方わからないですよ。その女性に伝えると、「ダイジョブ。ダキアッテゆらゆらスルダケ」と、僕の手を取った。

おそらく30歳近いその手練れは、遠慮がなかった。思い切り密着するものだから、胸が僕に当たる。彼女の首筋からは、なんとも言えない、香水と汗が混じったような匂いがする。

童貞に、これはきつい。

女性はさらに、僕が彼女の腰に当てていた手を、自らお尻へと誘った。「コレモダイジョウブ」。僕は、我慢できなくなってしまった。下半身に、徐々に力がみなぎってくる。

それに気づいた女性は、ママの方を見てこう笑った。

「ヤングボーイ、パワフルパワフルね」

店長も、「梅っち、やるな」と大笑いしていた。

この生殺しは、童貞にはきつい。僕はのどが渇いたと言って、ボックス席へと戻った。

踊りを終えた店長も戻ってきた。

「梅っち、かわいい子見つけた? ママに頼むから、言ってごらん」

ちょっとハイテンションの手練れガールについていけなくなっていた僕は、カウンターに座っている大人しそうな子を指さした。

「あー、あの子ね。でもあの子、まだ日本に来たばかりで言葉離せないんだって。英語なら、少し話せるみたいだけど」

国語とともに、英語は好きな教科だった。片言の英語ならたぶん話せるからと言って、その子を呼んでもらった。

店長はママにお願いして、僕にその子をあてがうと、またフロアへと戻っていった。

ハロー…

小さな声であいさつをしてきた女の子に、僕は同じく英語で返した。

ハイ、コールミー、ウメ。ユアネーム?

聞けば、彼女は2週間前に来日したばかりだという。21歳と語った年齢は、もしかしたら嘘かもしれない。あどけない表情は、僕よりも年下に見えた。

なぜ日本に来たのか。いつまでいるのか。家族はいるのか。

彼女の身の上は、ありがちといえばありがちなものだった。家が貧しく、自分が稼いできょうだいを学校に行かせてあげたい。

日本に来る前は、レストランで働くと言われていた。それがこんな場所だとは思わなかった。

童貞で、変にまっすぐな僕は、すっかり同情してしまった。したたかな酔いと、さらに片言の英語という妙なテンションも相まって、僕はどんどん痛くなっていった。

君は家族のために故郷を出てきたんだ。それはすごいことだ。誰もができることじゃない。確かに、こんな仕事をしている姿は家族に見せられないかもしれない。でも、君がここで働いている意味は、ものすごく尊いものだ。だから君は君自身を、誇るべきだ。

この薄く、痛い言葉の数々が、奇跡的に彼女の胸に響いたらしかった。

彼女はうっすら、涙さえ浮かべていた。

一方で僕は、大好きな店長のようなさみしいおじさんたちのことも、救っておきたかった。

君はきっと、ああいう日本人のおじさんが、嫌で仕方ないだろう。それはわかる。でも、彼らもさみしいんだ。僕を連れてきてくれたあの2人だって、50歳を過ぎても独身で、普段は働きづめだ。しかも彼らは、とても優しい。僕のような若者を気遣って、いつもお弁当を持たせてくれる。

だから、お願い。これからここで働いていくうえで、彼らのようなおじさんを嫌ってもいいけど、憎まないでくれ。彼らだって、さみしいんだ。

彼女はうるんだ瞳でこう言った。

「テルミーユア、フォーンナンバー」

僕と彼女は、こっそり番号を交換した。

こうして僕のデビュー戦は、意味不明な感動のフィナーレを迎えた。

フィリピンパブを出ると、店長はラーメン屋に連れて行ってくれた。

そして僕に千円をつかませ、タクシーで帰らせてくれた。

もちろん、すべておごってくれた。

もう、早朝になっていた。疲れ果てた僕は、シャワーだけは浴びて、すぐに寝てしまった。

翌日の講義は、行く気がなかった。

昼前に、目が覚めた。

充電していたPHSを見ると、何やら着信がある。

なんだこれ。着信24件、留守番電話8件。

見ると、すべてがあのフィリピン女子からだった。

どうやら明け方に店を上がってから、僕に電話をかけ続けたらしい。

留守番をいくつか聞いてみると、こう入っていた。

「アイミスユー。プリーズコールミー」

やばい。これはいわゆる営業電話ではない。何かしら、本気のやつだ。

二日酔いの頭がガンガンする。

確かに僕は、「いつでもさみしい時は連絡しておいで」と言った。

でもちょっと、着信24件は熱量が違う。

いや、もっと冷静に考えてみろ。

仮に彼女と、プライベートで会うことになったらだ。

この東北の小都市で、外に出ればほぼ間違いなく同じ学校の生徒に出会うこの街で、童貞の僕が、フィリピンパブの女の子を連れて歩いていたら。

想像するだけで恐ろしかった。

東京とは、訳が違うのだ。

どんな店に行っても、アルバイトは僕らの大学の生徒という街だ。

ここは、これから僕がいつか出会う恋人と手をつないで歩く街だ。

いや、本当の純情なら、そのフィリピン女子を支えてあげるべきなんだろう。誰に何を言われようとも、彼女と食事したりするべきなんだろう。

でも別に、僕は彼女のことが好きなわけではないのだ。同情はしたし、痛く甘い言葉もたくさんかけた。ただそれは、好きという感情とは違う。この子とどうこうなりたいなんていう気持ちは、本当になかった。

彼女からの電話は次の日の朝方も鳴り続けたが、僕はそれに応えることはなかった。

本当に、悪いことをしてしまった。

中途半端な同情ほど、質の悪いものはないのだと、僕は学んだ。

童貞は、フィリピンパブでも間違うのだ。

居酒屋の店長にはその後もかわいがってもらった。そして、もう一度だけ、そのフィリピンパブに連れて行ってもらったことがあった。

その子はまだ働いていた。僕のことを覚えてはいたが、すっかり慣れた様子で、あっけらかんと「ロングタイムノーシー(久しぶりー)」と声をかけてきた。

女性は力強いと思った。僕の情けなさと言ったら、なかった。



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