「レイニーデイ」から辿る、アルバム「SAI」の楽園的構造
はじめに
前回のnote、『「十二支のアマゾン」から始まる妄想の旅』では、眉村ちあきのアルバム「SAI」に秘められたループ構造を解き明かし、それが自転しつつ公転する惑星を模したものであり、公転周期が12年の木星であろうことをジャケットイラストが示唆しているらしいことを示した。
とくに最終曲「十二支のアマゾン」は、歌詞の最後に「また始まる」とある通り、曲自体が小さなループ構造を形作っており、1曲単位でループするように作られている。
このnoteでは、個々の曲の歌詞から別の構造を読み取り、それが何を意味するのかを考察していきたい。
もしもまだ、アルバム「SAI」を聴いていないということであれば、1回位は聴いてから以下の文を読み進めてほしい。
「レイニーデイ」の謎の単語
アルバム「SAI」の、個々の歌詞を見ていく中で、どうしても意味の取れない部分が見つかった。歌詞が難解だとかいうレベルではなく、英単語として意味をなさないものだ。
「レイニーデイ」のこの引用箇所、頭文字をつなげると「YIEAR」となるが、このような英単語はない。最初は「year」の誤綴りかとも思ったが、そうでもなさそうだ。
ダメ元でGoogle検索してみたところ、有力な情報が見つかった。
古のゲーム、「イー・アル・カンフー」の英語版ウィキペディアのページだ。中国語で「Yie」は「1」、「Ar」は「2」を意味するとのことだ。なるほど。しかしなぜ、中国語を駆使してまでここに数字を入れ込む必要があったのだろうか?
すべての曲に
「レイニーデイ」だけではなく他の曲にも、数字を無理やりねじ込んだりしていないだろうかと思い、1曲めの「秘密の恋」から最終曲「十二支のアマゾン」まで、数字をピックアップしてみた。すると、衝撃的な事実が判明した。
なんと、すべての曲に数字あるいは数字由来の単語が含まれていたのだ。更にいうと、上記の表を見てもらえば分かる通り、8曲目「Natto」を除くすべての曲に「1」に関係する数字・単語が含まれている。これはもう、偶然ではなく、意図的なものだろう。
なぜ「1」なのか? いくつかの仮説を立ててみたものの、しっくりする答えにはならなかった。(どなたか、いい説を思いついた方はコメントをお願いします)
それよりも、なぜ「Natto」だけ「1」関係ではなく、「0.02」という数字を採用したのか、が謎だ。他の曲でさんざん「1」を強調しておきながら、なぜ「Natto」だけはそうしなかったのか。
「1」を使わないことで、「Natto」の特殊性を強調しているのか?
中心に位置する「Natto」
アルバムにおける「Natto」の位置が重要なのかもしれない。アルバム「SAI」は全15曲、「Natto」はその8曲目でアルバムの中央に位置し、特別な位置にある。だからなのか? いや、それだけでは特異性を説明するには弱すぎる。
歌詞の内容を見ていこう。
題名にある通り(また、インタビュー記事で語っている通り)納豆のことを歌っているはずだが、引用部分からは納豆に関係があるとは全く考えられない。
「果実」とは一体なにを意味するのだろうか。「あんたには食べる資格ない」とは何故? 「ここは私の庭」とはどこのことを指すのか?
なぜ「罪深く堕ちてゆく」のか?
あなたには食べる資格のない、とある庭に生っている、罪に問われる果実といえば、そう、お察しの通り。エデンの園に植えられた2本の果実の樹、すなわち、知恵の樹と生命の樹をどうしても連想させられてしまう。
「Natto」が知恵の樹と生命の樹に関することを歌っているとしたら、アルバム「SAI」は、中央に2本の樹が生えていることから、「エデンの園」ということになる。
失楽園
そして、アルバム最終曲の「十二支のアマゾン」にいたり、我々は楽園を追われることになる。
ループ構造をもつ「十二支のアマゾン」こそ、エデンの園の入り口を警護する「回る炎のつるぎ」なのではなかろうか。
おわりに
ここまで、アルバム収録曲全てに数字を含み、「Natto」を除くすべての曲は「1」に関する数字・単語が含まれていること、中央に位置する「Natto」の歌詞からアルバム全体がエデンの園を模していること、最終曲の「十二支のアマゾン」はエデンの園を警護する「回る炎のつるぎ」であろうことを示した。
それが何を意味するのか、筆者はまだしっくりする結論を思いつけずにいる。考えられる仮説はあるが、このnoteもいささか長くなってしまったため、今は触れない(次回のnoteに書くか、ここに追記する予定)。ヒントはアルバムの最後の歌詞、「また始まる」にありそうだが。
ではまた。
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