詩114「四十雀」

「四十雀」

ぼくの詩の神様は
「詩人は四十から」と仰っていたが
齢四十を過ぎても僕の詩は実りを知らず
もしや詩人は四十雀なんじゃないか
と仮説を立てた

四十雀はその道の学者先生の研究に拠ると
語順を正確に理解してその啼き声を駆使するそうだ
その音で仲間への伝達を行うらしい
市街地の緑の中に棲んで
言葉を使えば羽ばたくことも出来るだなんて
鳥で収めておくには勿体ない
だから四十雀は都会の詩人なのだ
例の神様は
五十を過ぎてようやく詩で食えるようになったと仰るので
もはや五十雀でも仕方ないのだけど
六十雀はいないそうなので
十干十二支が巡り終える還暦までには
これという詩を書いて
ひと踏ん張りしなきゃいけないようだ

詩人はトリではないが
取り留めのない詩を書き上げた翌朝には
ぼくも小さな鳥になって
たくましくもないけれども自由に飛べる
前座か仲入りで風に乗ってみたいものだ
この啼き声が何処まで伝わっているかはわからないけど



Masanao Kata©️ 2021
Anywhere Zero Publication©️ 2021




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