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君の放つ冬の星座 第四夜☆(3)

199☆年 末・日没

  ☆ 

 校門を出て空を仰ぐと、分厚い雲がへばり付いていた。そのせいで星の光が僅かにしか届かない。オリオン座や冬の大三角形を型どるシリウスなどだけは、辛うじて見付けられた。
 校舎裏側の道を、僕は望月が居るであろう河原へと急ぐ。
 今日の部活も太谷キャプテンの指名で、一対一ののシュート練習を命じられたが、望月のことはもう訊かれなかった。僕はボールを蹴り続け、全シュートを太谷に捕らえられた。
 とても軽々と、こちらの攻撃など何でもないというように、名キーパー太谷の手に納まる。二十四時間前に同じゴールネット前で外したのが嘘のようだ。
 『もっとフェイントをかけたほうがいいよ』など、的確なアドバイスをする太谷は、至っていつもの、頼れるキャプテンだった。
(さすがに居ないかな)
 部活の延長で、一昨日から連続で望月との天体観測をサボってしまった。日中同じ教室にいても、話しかけられなかった。下手に声をかければ、米倉達、それだけじゃない他のクラスの噂のいいネタだろう。邪推されて、望月が傷付くのだけは嫌だった。
 もう帰ったいかも、と諦め半分で速足で土手を登ると、枯れた草原の上、矢川に向き合うようにして望月は立っていた。
『どうせなら私は、天使じゃなく神様のほうがいいな』
 まっすぐ佇む姿は、雲間から漏れる月の光で神々しく輝いていた。川面から流れる風に吹かれ、ショートカットの髪に天使の輪が艶めく姿に、いつの日か冗談で交わしたのを反芻する。
「望月、良かった。まだ、居たんだ……」
 息が切れた。冬の冷気の中で、僕の声がしんと響く。
 伝わったのか、望月はゆっくり振り返り、その素足と同じ真っ白な顔で僕を見た。全力疾走してて寒くなかったはずなのに、ぞくりと背筋が凍った。
「……ごめんサボって。部活忙しくて」
「それは知ってる」
「……知ってる?」
「陽から聞いてる。年明け、県大会なんでしょ?」
「そうなんだ、太谷がマンツーで練習付き合ってくれて……」
 たどたどしく説明する僕の口とは正反対に、何かがおかしい、と喉の辺りが引っかかった。
「……もしかして、怒ってる?」
「怒ってる? 私が? 何に?」
 矢継ぎ早に返してきた。その黒目がちな両目は瞬きもせず、僕を的にするように射抜く。
(サボったこと、そんなに怒るなんて)
 もしかして、望月と会うよりも部活を優先したことに嫉妬しているのか、と思い付いた。けれど、自惚れにも程があるかなと打ち消す。
 今まで『好きです』と告白してきた女子に、僕はいつも『付き合おう」とも『ごめん』とも言わないできた。やむやにして、よく知りもしない相手に『ありがとう』だけ伝えて来た。
 いい加減な僕をやめたかった。だから昨日、村瀬さんに正直に向き合った。
 けれどまだ、望月への気持ちを理解出来ずにいる。
 頭上に垂れ込める雲が風に吹かれ、オリオン座周りの星座も見え始めた時、望月のほうから沈黙を破った。
「……陽から聞いたよ」
 今度はゆっくりとした口調で、数秒前と似たような言葉を繰り返す。
 けれど、続く言葉は全くの予想外のものだった。
「うちのクラスの男子で流行ってる手紙。女子の中で、その……、したい、って」
 途中、嫌悪感を露にして口ごもる。卑猥なことを口にするのも嫌だと顔を強張らしていた。

「陽はキャプテンとして米倉君とかよく話聞くみたいだから。だから、……その、手紙の中に、書かれてること……」
 続きを言うことすら不快なのだろう。望月の肩が震えているのは寒さのせいだけではないはずだ。
(最悪だ)
 僕を装ったいやがらせを知られてしまった。でも、僕を笑う誰かなんて、どうでも良かった。――望月を傷付けたくなかったのに!
「昨晩、久しぶりに家のベランダ越しで陽が話してくれたんだ。わざわざ何かなって。そしたら」
「……それは、ちが、う」
 胸の奥底から、やっと声が出た。
 それでも望月の耳に届いていないようで、残酷な星座の物語を語るみたいに、静かに話し続けている。
「陽が教えて、くれたの。宇都宮君が、私を、選んだって……。
『あいつは悪い奴じゃないけど、部活に集中し切れてないしわりとモテるから、気を付けろ』って……」
 そこまで区切ると、今日初めて目だけにこりと笑いながら、僕を見つめた。
「私、そんなに……簡単にヤれそう?」
「……違う!!!」
 ありったけの声を僕は振り絞った。
「僕じゃない! あれは誰かが勝手に僕の名前を!」
「陽がね、心配して教えてくれたんだ。――ねぇ、村瀬さんのことも本当?」
 抵抗する声は、北風に飛ばされていく。僕達の横を流れる矢川はきっと水温がとても低いんだろう、あっという間に僕の否定は飲み込まれていく。その代わりに、望月が『陽』と発声する音がキラキラと留まっている。
「何だ、そっちも本当だったんだ。泣いてたよ、村瀬さん」
「……どうして」
「去年私、村瀬さんと同じクラスで仲良かったんだ。……知らなかった? 他に相談できる人がいないからって、私に電話かけてきたの」
 雲はいつの間にか流れ、天空でははっきりと星と星とを結ぶことができた。
 オリオン座が右隣の牡牛座に挑もうとしている。橙色の一等星、アルデバランを持つおうし座には、女ったらしのオリオン座から逃げた女達を模した星々の塊、何とか星団があるんだと、望月に教えてもらった授業内容が蘇る。
 星座達より地面近く、東から月が冷え冷えと見守っていた。月光が矢を放つように鋭かった。
「否定、しないんだ」
 怒りもせず丁寧な口調で、見咎められた。何も言い返せなかった。
「……星に興味あったなら嬉しいな、って思ってたのに。私だけだったんだね。何か馬鹿みたい」
「望月、僕は」
「ここはね。前から、星を観るのに最高の場所なの。私が、一人になれる所なの……だから」
 僕との身長差で、必死で上目遣いで僕を凝視していたのだろう。視線を落とすと、望月は溜め息を漏らした。そして、はっきりと言い放った。
「もう、来ないで」
 僕は線を引かれた。 
 『ごめん』という言葉が正しいのか分からず、何も言わず土手へ駆け出した。十二月の風が、サワサワと河川敷の草むらを駆け抜ける音を背中で聞く。
 望月が風邪を引かないか心配するけれど、望月には僕ではなく、太谷がいるのだ。
 あっという間に土手の急斜面を登りきったのは、最近特訓で鍛えているおかげだろう。シュート練習の成果が出ているのかも知れない。そうか、太谷キャプテンのおかげだな、と笑いたくなった。口角を上げた瞬間、冷たい風が僕の頬を刺した。頭上では白い月が鋭いナイフのように輝いていた。

 そしてそれ以来、望月と天体観測するために矢川の河川敷に行くのを、一切止めた。

  ☆




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