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なぜ「おしぼり」は海外ではスタンダードではないのか?


おしぼりって、私たちにとって一番身近なものなのに、

なんとも感じないモノの代表格ではないだろうか?


そもそも何故おしぼりが私たちの生活の一部として当たり前に存在しているのか?


普通だったら「手は汚れている」から、と答えるかもしれない

でも欧米では同様に「手は汚れている」はずだけど、おしぼりで手を拭く文化は存在しない

もしくは手を浄めることで、食べ物への感謝を示す、という思想から来るモノなのか?

いや、欧米でも食べ物はある種、有難い神聖なものとして崇められている面もある


じゃあ何か違う理由があるのでないか?


辿ってみると、おしぼりは古事記、源氏物語の時代から既に存在しているモノだという


結論から言うと、日本の気候に根差している要因が大きいのではないか、と思うようになった


日本は高温多湿の気候を持つ

だから、住宅は高床にし、地面から離すことで湿気を床下で逃す

床は、地面とは別次元という、ある意味「特別」なレベルの空間となる

そうすると、地面と接触し、土埃の汚れがついたものは、なるべく床へあげたくない、という心理が働く

だから靴を脱ぐ

同様にして、外でたくさんのものを触る手も、土埃を払う対象となる

だから、その汚れを拭き落したい、と思うようになる

結果的におしぼりで手を拭くことになる


お寺では「手を浄める」という言い方をするが、

それも日本の気候を発端に、スピリチュアル的に解釈されていったものなのかもしれない


※欧米では、靴を脱ぐことは「はしたない」とされるから面白い


正解は違うかもしれないし、一つではないし、そもそもわからないものだけど、

そうやって考えていくと、日本の思想、哲学、仏教、文化というのは、

自然風土から辿っていける部分が大きいのかもしれない



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