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家なき詩人はもうすぐ死ぬ

「人間に急にしっぽが生えたら。たとえば、移動を急いでいるとき。次の電車が来ちゃう。早くトイレから出なきゃ。慌ててズボンを上げて。電車に乗るときに気付くんだ。腰の辺りから、しっぽが外に出ちゃっていること。絶対にドアに挟まると思うなあ。痛覚はない。気付いたら引きちぎれているんだ。尾てい骨から伸びてて、太さは親指くらいで、長さはふくらはぎまで。しっぽ切り通り魔が出て、街のそこらじゅうにしっぽが落ちていて社会問題になる。しっぽ掃除人現る。しっぽ守る人売る人続出との号外が配られる。そのことがニュースになる」

自己紹介は苦手だな。見た目通りの爺で、アルミ缶をこよなく愛する男だよ。拾い集めた空き缶を足で潰す。運ぶ。儲からない仕事をしているよ。缶を愛すると言ったばかりだけど、本当はアルミ製ならなんだっていい。いや、金になればなんでもいいんだ。誰かにとっちゃガラクタでも俺にとっちゃ金だからね。なんでそんな仕事をしてるのかって。とにかく時間の自由があるからね。儲かる仕事はヤクザのもの。儲からない仕事は俺らのもの。

で、どうだった。最初の詩。『しっぽ』という詩。ん、ん。悪くないか。そうか、そうか。今日は天気が冴えないねえ。もう夕方か。冷えるね。こんな日は詩を詠むに限るよ。詩を書いている間、感情から解放されるんだ。空を見ている間、空が居場所となるように。何者でもない自分になれるんだ。さっきからい~しや~きいもぉ~って。あれ元は誰が考えたんだろね。まるでスナックでのカラオケ。俺は自由が好きなんだ。君も好きだよな。町中で歌声を響かせていいなら、日本もまだまだ捨てたもんじゃないね。暴走族のエンジン音も感じが好きだね。

もっと知りたいって。何を。ああ、俺のことか。図書館が好きだよ。詩集を読んだりするよ。アマタイはいいよ。他にはそうだなあ、写実画より抽象画が好きだね。模写するとさ、実物を超えられないと思っちゃうんだよ。絵はカンディンスキーがいいね。勉強はできないね。頭がすぐに痛くなっちゃうんだよ。

君はタバコ吸わないのかい。10月からタバコの税金が上がったの。安いビールの値段も上がったらしいね。国の考えていることはよくわからない。この前なんて俺らの棲む場所に光るオブジェを置いていった。お前ら邪魔だという意味だね。俺は無意味が好きなんだ。意味は迫ってくる。元々気が弱くてね。齢重ねてさらに弱い。え、酔っているかって。しらふだからつらいんだろうねえ。俺は下戸だからね。

女性はいいね。見られてきれいになる。若くていいですねと言われたら年を取った証拠さ。それでも、まだマシ。この歳になるといくつかも気にされないよ。人類の誕生から今までを人の一生とすると現代人は0歳児だろう。70だろうが80だろうが生まれたてという見方もあるね。

しかしよくもまあこんな老いぼれ爺の戯れ言に付き合ってくれる。まるで君は詩みたいだ。詩はなんでも受け止めてくれるんだよ。なんてね。君は少年時代を知っているかい。そう、井上陽水。あの歌詞に宵かがりとか風あざみとかあるじゃない。あれ、造語なんだよ。夢花火も。俺もそんな風に言葉遊びがしたいんだあ。で、詩を始めたんだよ。もうすぐ死ぬからね。四季を繰り返して死期迫る。こんな駄洒落も言えなくなるなあ。もう一作あるよ。

「鳥のさえずりが耳を塞ぐ。鍋のグツグツが湯気を揺らしている。八方塞がりだと思っていた。いくらか抜け道はあるようだ。ここまでに一つ、嘘をついた。鍋はグツグツしていない。目の前に鍋の一つもない。申し訳ありませんでした。現実はカップラーメンです。鳥のさえずりが聞こえるのは本当です。抜け道があるのも本当です。湯気の先にあるよ。天国は。かねてからの夢は湯気の先」

お、好きか。若い人の感性に触れられたのなら嬉しいよ。もう少しだけ爺の話を聞いてくれるかい。ん、ありがとう。若い頃は永遠に生きられると思っていた。今を生きるという言葉もあるけれど、臆病で将来のことなんて考えられなかった。今しか生きられなかった。気付いたら今さ。あっという間だね。もう一度、昔に戻りたいね。この歳になると嫌われることも気にならなくなるよ。石を投げられたり、大きな音を出したりしてからかう奴らもいる。もうそんなことはどうでもいいんだ。成長したのではなく、鈍感になっただけなのかもしれないね。

若い人は敏感だから、誰にも迷惑をかけないようにと気にする人もいるだろう。年老いると自然と細かいことを気にしていられなくなるものだ。神経を使う体力がないのよ。だから、今は敏感を楽しみな。それに何をやるにしても、最初は下手でいいんだ。なぜかって。最初から上手かったら、その後で失敗をした時に責められやすくなるだろ。期待されるのよ。人はどんどん上手になっていく過程が好きなんだよ。まれに才能があって、全部すっ飛ばしていっちゃう奴もいる。最初から上手くできちゃう。それはつらいことだと思うよ。失敗が目立つからね。

雨が降ってきたね。もうそろそろ時間かい。わかった。寂しいね。人との別れはいつだって寂しさを伴うね。別れ際はまだそばにいるからいいんだ。離れた後だよ。寂しさがつきまとうんだ。素直に寂しいと言えるようになった頃には。純粋な表現ができるようになった頃には。別れがやってくるものだね。最後にお願いがあるんだけど。そのマスクを取ってくれないか。顔が見たいんだよ。ん。ありがとう。

じゃあね、またね。またなんてないのはわかっているよ。それでも、またねと言わせてね。二度とないまたねだね。またね。......ああ、焼き芋食いてえなあ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。