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カリヨンの鐘

今は何をしているの、これからどうしていくの。そっと耳を塞いだ。対面より、画面の向こうに真実があると思い込み、現実に直面する度に、人と比べて焦ってばかりで、あまつさえ仕事も続かずに生きながら死にやがる青二才による、行方知れずな時代の漂流者に捧ぐ愛の唄。

終着駅不明の電車に乗って旅をしている僕はハンドルを握っていない。午後三時の日差しに囚われる半導体、行く末を見守るだけの恥じらいもない湯けむり。どこへ向かっているのだろう。君に向かっているのだろう。まだうるさい冬は雪解けシティとかじかむセーターの毛糸のほつれ。

春の嵐の夜、君の差す傘の骨はひりひりと折れ曲がっていた。どしゃ降りの中、びしょ濡れの僕らは水たまりをまたぐ必要もなく、君はあなたはそのままでいてと聞き逃しそうな声で言い、僕は右から君がそのままでいる限りはねと答えた。

瞼を伏せた君の横顔、中途半端な都会の輪郭。互いの言葉への渇きだけを頼りに過ぎ去りし滲む街灯。寂しいの一言を唇の裏側に隠したまま、感情の満ち引きに操られている蝋人形。君の瞳の奥は潤っているように見えたはずなのに、僕はその波に乗ろうとはせずに沈黙した。

通り過ぎようとした駅に君だけ一人吸い込まれ。狼煙を上げなかった滑稽な僕はただ一人、たった今、君の影に縋り付くようにして同じ改札を抜けた。ブラックバスが泳ぐ雨。テールランプに弾かれながら、歩道橋の上、鳥も飛ぼうとしない空の下のピンボール。素顔に打ち付ける暗澹たる淡水。

バス停で雨宿りするには、人の群れに凍えてしまいそうだったから。涙腺に吐き気、身体は震えていたから。君と成層圏を突破したかった。ニュース性のない人生に花束を添えたかった。寒さ凌ぎの恋ではなかった。秩序が砕け散ってしまう前に星が見たいよ。信号機なんて割れてしまえばいいのに。

嫌なことがあったら、やってらんないねと囁き合って、二人、死ねたらよかったのにね。夜が更けてきたら、仄かな雨さえ口実にして、終電、逃せたらよかったのにね。叱ってくれる人もいなくなった僕ら傷つくことを恐れず、二人、夢見て毛布に包まれたらよかったね。だめな僕とかわいい君とで、カリヨンの鐘、鳴らせたらよかった。

目配せも靴の裏に残る腐臭と化してしまったのだから、リビングの棚に飾ってある写真は切り裂いてしまおう。イチョウ並木のトンネルの中、肩を寄せ合うロマンチストとリアリストよ。君の好きだった柑橘の香りのする入浴剤も使い切ってしまおう。皮膚に張り付く襟足も、あられもない過去も湯船でふやかしてしまおう。

背の黄昏が土に帰還した落ち葉を焦がす頃、地球のどこかで役立たずのカンガルーが跳ねるから。あの部屋に帰ろう。春夏秋冬に追いつけないまま、アウトサイダーのまま。絡まるツタがほどけないまま、朝焼けが目に染みるまま。いっそ一思いに、誰か、罪深い僕に殺意を向けてくれ。何もできずにつらいよ。真っ白な君に幸あれ。

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。