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みっつ通信

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慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
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#父

居場所は生きる人間の数だけある

ずっと自分の文章が嫌いだったのだが、今年に入ってくらいから少しだけ以前よりも好きになれている。思えば今年は変化の年だと思う。去年までは退屈だと思うことが多かった。でも今年に入ってからはいい意味で忙しい。 何が変わったのかは自分でもわからない。ただ着実に変わっていっているということだけはわかる。人生ずっと右肩上がりだと思って生きているから、自分に全盛期があったのかなんて考えたこともないけれど、あえていうなれば少年時代だったと思う。 12-13歳の頃、父親が拘置所に入っている

俺は俺の人生を肯定する

俺ももう31だ。若者のふりをしてられない。順調に年を取っている。これはまずい。何かしなくては、と思う。直後に「何もできないよ......」と落胆する。もう少し自分にスキルがあればなんとかなるのに、と思う。直後に「勉強なんてしてこなかったじゃん......」と落胆する。こういう時は自分ばかりではなく外も見るべきだと言い聞かせ、外を見る。みんなハッピーそうに見える。落胆する。 諸事情あって一ヶ月間くらい病みまくっている。理由を模索したところ、どうやら自分自身と向き合いまくってし

君の人生は一回じゃ惜しい

自分は何もしないくせに、いっちょまえにマウントだけはとるという謎の態度、あれは一体なんなんだろう。恥ずかしくないのだろうか。とりわけイエスマンに多い気がする。そしてダントツ、男に多い。嫉妬心からくる羨望のまなざしなのだろうか。負けたくないという闘争本能なのだろうか。どちらにせよ、人に嫉妬する暇があったら、なんでもいいからやってみたらどうだと思う。負けた気になっているなら、なんでもいいからやってみろと思う。文句を言う権利があるのは、それからだ。 下の名前で呼ばれることの少なさ