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甘えと人間関係

昔、学生時代に
土居健郎先生の
「甘えの構造」を読んだ。

「甘え」という言葉は
日本語特有であることや、
日本人の心理の中核にあるという知識を得た。

ぼく自身の問題と
土居先生の精緻な理論構成に圧倒されて
何回も読み直した。

ぼくの知能じゃ、
深い理解にまでは落とし込めなかったけど

今日はそんな「甘え」について
どちらかというと、大人を対象に
思うことを書いていく。

難しい理論なんかは一切ないからご安心を。
そんなに頭良くないから笑





子どもには、愛情を与えながら、甘えさせながら
育てないといけない。
これは自明のことである。

では、大人にはどうか?



十分な愛情を味わっていない子どもが
大人になると、周囲に対して攻撃的になったり
人に頼れなくて、一人よがりになったり
逆に依存的になったりする。

子どもに対して依存しているケースも、
とても多い。

子供のときには、スキンシップを求めたりと
シンプルに表現していた行動が
大人になって、
色んな表現方法が身についてしまったがゆえに
シンプルに愛情表現ができなくなる。

とはいっても、
さすがに大人になれば
誰にでもスキンシップを
求めるわけにはいかないのが普通だが

それでも、大人になったらなったなりに

素直な甘え方ができる人と

それができずに
卑屈な甘え方をする人で分かれてくる。


上手く人に甘えられない大人は多い。
そんな人を、たくさん見てきた。
子どもを支援しないとならない支援者側の人や
もう親になってしまった人 など

やたら意地が悪く
頼ってほしいのがミエミエなのに、
機嫌悪い雰囲気でそれを表現する人 など

逆にいえば
あの人たちは、そういう表現でしか
人に甘えられないのだ。





そもそも、大人になっても
スキンシップとか、甘えを
求めるものなのか?
という疑問が浮かぶだろう

けど、ぼくは今まで

心身共に健康でありながらも
意地の悪い大人たちに
何人も会ってきたが
子供から甘えられて
精神的に嫌がっている人を見たことがないし
周りから頼られて心底嫌がっている人も
見たことがない。

表面的には嫌がっていて
身体はみんな疲れているような印象だが、
その瞳は拒否していない。
精神的にはどこか満たされている雰囲気も感じる。


難しいかな、表現が笑

あまり伝わらないかな

ぼくは言葉が苦手だから
すごく抽象的になる笑

そもそも前提が
形のない話をしているから、
仕方ないのだけど、、、



とにかく、大人になっても
求めるものは求めるのだ。



幼い子どもを見てると
スキンシップに勝る愛情はないと思うけど、
もし
その段階で止まってる人や
愛情不足の大人は
自分の子どもでも、他人の子どもでもいいけど
スキンシップを取って一緒に遊んでみるといい。

身近に子どもがいないなら、
パートナーとしたらいい

または、それ以外の誰かと


そのとき、嫌でも
「自分の中の子ども」と向き合うことになるから。


大人になったら、身体は大きいけれど、
気持ちまで大人になるかと言うと、
必ずしもそうではない。
自分の中に
子どもだったころの自分は残っている。

だから、子どもや異性とスキンシップを取ることで
自分の中の子どもを癒すしかない。


それは、1つの技術だと思う。

実は、スキンシップを取るというのは
脳にも良いことが、
脳科学的に証明されているらしい

昔、乳児約50人に対して、
食事の世話等を除いた
一切のスキンシップを取らない
人体実験が行われた。

その結果は、

全員、1歳未満で命を落としたという。

その実験によって、
脳内で成長のために必要なホルモンを出すために
スキンシップを取ることが、
すなわち、人の愛情が
生命の維持にとても大切であると示された。




ぼくは、
仕事のなかで、何人かの子どもが
スキンシップを求めてくるが、
これが意外と、ぼくにとって
自己治療になっている。

身体は疲れるし、あんまりしつこいと
「もういい」となるのだが、
それでも
肌を通して沁みてくる喜びがあることに気付く。

あるとき、職場で
むちゃくちゃに甘えてくる一人の子どもが
ぼくの勤務日にたまたま休んでいたときの
空虚感は今でもよく覚えている。

あの感覚を通して、
支援者であるぼく自身も
スキンシップを求めていることを思い知らされた。

だから、大人になると
人から求められることで、自分のメンタルを
安定させるのだろうと実感した。

それも、1つの技術であり
気づきだと思う。





大人になったら
自分で自分を慰める技術を
身に付けないといけない。


子どもに愛情を与えないといけない意味も、
そこにある。

ぼくは
子どものときに無償でもらえる愛情は
大人になったら、人間関係の技術へと
形を変えて熟成されていくんだと思ってる。
上手く人に頼れたり、よりかかれたり
弱みを出せたりできるようになる。

逆に子どものときに、その基盤が脆いと
大人になったときに人間関係を築きにくい。
拗ねたり、ひがんだり、人を傷つけたりする
という形で、甘えを表現して(求めて)しまう。


だから、甘えと人間関係は
大人になっても、齢をとっても
切り離せないものなのだ。



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