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子供のいない私の気持ち

どうやら私は子供を持たなくていいようだから、子供のいない人生を生きていこう。子供のいない人生デビューを祝して、わたくしのここまでの経緯をしたためようと思う。

結論はじわじわと

これは決意表明ではない。

私は決意して子供のいない人生を自ら選択したわけではない。大部分は自分の意志とは無関係な、自分の力ではどうにもならなそうなモノによって、決められたような、そんな感覚だ。

そのモノってのが神なのか、運命なのか。

まぁ、そんな大それたモノでもない気もする。自分の選択と決断と、医学の発展と限界と、私の気持ちと体の限界と、そんな要素がミックスされて今に至るので、単純に私の決断ですとか、そういう運命なんですとか、ぱっくり明確に分けられるもんでもない。

ぬるっと、じわじわと浮き出てきた結論だ。

流れた人生計画

20代で結婚した私の人生計画はこうだった。30歳くらいで子供を産んで、仕事と子育てを両立して、、みたいな人生を想定していた。想定というか、そういうもんだと。想像力の欠如のため、そのパターンしかイメージがなかった。

そろそろ子供を作ろうかってなっても、なかなか授からない。私と同じくらいに結婚した友達が1人目、2人目と子供を産んでいく。私より後に結婚した子がどんどん出産していく。

おやおや?

そこで私は不妊治療をした。不妊治療の専門病院で説明会に参加し、治療に関するいろいろな説明を受けた。医者には「お若いので授かる可能性は高いですよ」と言われた。確かに渡された資料のデータを見ると、私の年齢は妊娠率が高かった。

でも、結局授からなかった。

特別養子縁組という仕組みも勉強し、血のつながらない親子でも家族になれることを知った。乳児院に見学に行った。いろいろな事情で産みの親が育てられない子供がたくさんいた。自分が産めなくても、縁があれば子供を育てることはできるんだと分かった。

でも、縁はなかった。


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さぁ!子無し人生を楽しもう!

そして私は今、子供を産まず、育てない日常を生きている。

子供のいない日常を「欲しかったものを得られなかった結果」と見るなら、寂しく、悔しい日々だろう。

でも、子供のいない人生を受け入れてみると、実はとても恵まれている日常だと気付いた。特に時間とお金は比べ物にならないほど自分に投資できる。そしてそれによって挑戦したいことに挑戦し、体験したいことを体験しに行き、人生を豊かに生きることもできる。

いろいろ一緒に乗り越えてきたのと、生活の余裕のおかげか、夫婦の絆も強固になって仲良しだ。

子育てをとおしてしか学べないこともたくさんあるだろうが、子育てをしなかったから学べたこともたくさんある。

人間の能力には限りがある。個人差もある。子育てをしたからといって万能な人間になれるわけでもない。たぶん人生の満足度に子育ては関係ないだろう。

というのも、つい最近「子供のいる女性の方が幸福度が低い」という学術的研究結果が出たというニュースを読んだ。さらに別の論文では「人生満足度は身近な人との良い人間関係による」という研究結果もあり、子供の有無ではないことがわかる。

子なしもライフスタイルのひとつに過ぎない

が、なんなんだろう、この生きづらさ。

一歩外に出ると、子供がいないことに罪悪感を持つことを強要されるような、子供を持たないことに言い訳を求められているような、それでいて触れてはいけない腫れ物扱いをされているこの感じ。

今だに女性の幸せは子供を産み育てることという雰囲気が色濃く漂っている。

子供のいない女性は、子供を授かりたいという自分の気持ちに決着をつけるだけでも結構な修行だったと思う。他人からのプレッシャーにも対応しないとならないなんてまっぴら御免だ。

ハンッ!私は楽しく生きているぞ!

しかしながら、残念なことに子供のいない女性同士が腹を割って話せる場はほとんどない。それは、「子供がいない」ことを簡単に聞けないし、話せないからだ。

人によって子供のいない理由は違うし、どう考えているかも十人十色。友人も、親子間でも、踏み入れられない領域である。

だから心の内にしまって悶々と生きづらさを感じるしかないのが現状だ。

でもこの先きっと子無しにとって良い時代が来る。

色んな所で発言してくれる仲間がいるし、団体もできてきている。きっと表で話せる時は近いんじゃないかな。多様性の時代だね!

私がここに書いたことに、一人でも共感者が居れば嬉しいな。

読んでいただき、ありがとう(*'ω'*)♥

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