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既知のものになぞらえて名前をつけること

あやかり鯛

 先日、なじみの店で酒と肴を楽しんだ時に、「こしょう鯛」なる魚が入ったというので、さっそくお造りにしてもらった。見た目は真鯛のように白身で品が良いのだが、食べてみると見たとおり上品ながら、むしろ真鯛よりも味が濃厚で想像したよりも美味しかった。 
 
 恥ずかしながら、こしょう鯛なる魚を知らなかったので調べてみた。すると鯛の仲間ではないことがわかった。広辞苑によると、「【胡椒鯛】イサキ科の海産の硬骨魚」云々とある。魚の外形=フォルムは鯛に似ていないこともないけれど、縞々もようが入っていたり、尾びれや背びれに黒い斑点が入っている。

 この斑点を胡椒の黒いツブのように見立てたのだろうか。そういえば、スパゲッティのカルボナーラは大粒の黒胡椒を散らすことから、胡椒を炭(カルボン)に見立てて命名されている。ともあれ、店の大将のお陰で、知らなかった美味いものをいただくことができた。この店では「すま鰹」以来のヒットだったかも知れない。

 さて、胡椒鯛は鯛というのに鯛の仲間ではないことがわかったのだが、金目鯛もそうだったよな、と思った。こちらも広辞苑によるとキンメダイ科の海産の硬骨魚とある。つまり、鯛とは別の科なのだ。ちなみに、真鯛こそは正真正銘のタイ科の硬骨魚である。

 反対にタイ科の魚にはほかに、どのようなものがあるのか?調べてみると日本で穫れるタイ科の魚は真鯛を含めて13種に限られるらしい。マダイ、チダイ、キダイ、キビレアカレンコ、ホシレンコ、タイワンダイ、ヒレコダイ、クロダイ、キチヌ、ヘダイ、オキナワキチヌ、ミナミクロダイ、ナンヨウチヌということだが、正直なところ、マダイとクロダイしかわからない。

 また、胡椒鯛や金目鯛のようにタイ科ではないのに、なんとか鯛と呼ばれる魚は他にも、イシダイにイシガキダイ、アマダイ、ニザダイ、サクラダイ、フエダイにフエフキダイ、スズメダイなど約300種もあるそうだ。そうした魚は「あやかりダイ」と云われるらしく、おめでたくて高級な「タイ」ブランド?にあやかっているとされる。

 魚にとっては、どうせ食べられてしまうのに、真鯛や黒鯛と比べて、あやかっている、と言われても迷惑な話だろうし、それらを漁獲したり、食用にして来た人たちにとっても、そんなことは知ったことではあるまい。外形や白身の味覚が鯛に似ているから、鯛の仲間だと思ってきただけだろう。江戸時代までの日本人は、生き物の科学的な分類など知る由もなかったのだから仕方がない。

(ちなみに、前述した「すま鰹」も、学術的な分類上は鰹の仲間ではない。 通常のカツオはサバ科マグロ族カツオ属で、スマガツオはサバ科スマ属と独自の属目なのだ。まあ、真鯛と胡椒鯛よりは近そうだが)

中華そば

 ところで、今や国民食の一つになっているラーメンだが、当初は中華そば(または支那そば)と呼ばれていた。インスタント・ラーメンが発明され普及したことをきっかけに、現在ではラーメンという呼び方が浸透し、定着している。これは、蕎麦にあやかったわけではなくて、同じ麺類の蕎麦と区別するために、中華そばという呼び方が生まれたとされている。 
 
 だが、なぜ中華うどん(饂飩)とは呼ばなかったのだろうか。うどんも中華麺も、どちらも小麦粉で作られた麺なのだから、むしろ、中華うどんと呼ばれてもおかしくはない。うどんの由来には諸説あるけれど、大方は中国から渡来した食べものがルーツと説明されているようだ。

 日本で、最初にラーメンを食べたのは、黄門様こと徳川光圀公だという説がある。最初かどうかは不明だが、黄門様がラーメンを食べたことは確からしい。これは、明朝が滅びて日本に渡った儒学者・朱舜水を侍講にした縁で、ラーメンも朱舜水から伝授されたと考えられているそうだ。ただし、その食べ物を何と呼んでいたのかは不明である。また、あの時代の日本でスープのダシを何から取っていたのかもよくわからない。

 光圀公が食して以降、中華風の麺料理を食べる人は江戸時代には絶えてしまったが、その後、中国の麺料理が日本に伝来したのは幕末と推定される。既に明治と元号が変わっている1870年には横浜に日本初の中国料理店が出来て、1906年には中国からの留学生が増え、都内の神田、牛込、本郷あたりに大衆的な中国料理店が増えた。そして、1910年に尾崎貫一という人が「淺草 來々軒」を開店したことから、ラーメンがブームになったのだそうだ。

 そういうわけで、ラーメンこと中華そばは明治以降に中国から横浜〜東京を経由して全国に広まった。これが神戸あたりを経由して広まっていたら、もしかすると、中華うどんという呼び方がされたかも知れないけれど、東京で流行が生まれたので以前からあった蕎麦と区別しながらも麺という点で同類ということで、中華そばと呼ばれることになったのだろう。

 ちなみに、西日本には長崎ちゃんぽんという有名な麺料理があるが、これはもう少し時代が下って、 1899(明治32)年に、長崎の中華料理店『四海樓(しかいろう)』が提供したのが最初らしい。ついでに、札幌ラーメンは、1923年(大正12年)に開業した「竹家食堂」がルーツで、喜多方ラーメンは、1925年(大正14年)に開業した「源来軒」がルーツだそうだ。九州ラーメンについては諸説あるが、1941年(昭和16年)頃に博多川沿いで開業された屋台「三馬路」がルーツという説もある。

参考) https://www.raumen.co.jp/rapedia/study_history/

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