見出し画像

会社関係の同窓会

 一つの会社でサラリーマンを続けていると、昔の職場や職域の同窓会のようなものが立ち上がって声をかけられることがある。自分については、3つほどの同窓会のメンバーになっている(なっていた?)。いずれもメンバーは数十人の規模で、もちろん全員が出席するわけではないが、大きな会では年に2回ほどの頻度で開催されていた。
 ただ、コロナ禍で会食が制限された約4年間は自然に休会の運びとなったのだが、自由に会食で集まれるようになった今現在、再開されたかというとされていない。ひょっとするとメンバーが再選別されて、私は呼ばれていないだけなのかも知れないが、だからといって、どうということもない。

 そもそも、どうして、そういう社内同窓会が立ち上がるのかというと、サラリーマンは会社の中にしか一緒に酒を飲む相手がいないからとしか言いようがない。自分は、どの職場の同窓会も、あまり気が進まないのだが浮世の義理でたまに顔を出していた。過去4年間は、コロナ禍のせいで会合がままならないため、自然休会となっていたので、むしろ気楽な面もあった。
 なにしろ、会合に出かけると昔の上司殿や先輩諸兄がずらりとお出ましになる。私が声をかけられ参加するようになったのは、おおむね通常の定年を過ぎて子会社の役員の端くれになってからだったが、そのような会合に出席すると依然として、一番下っ端である。気疲れするったら、ありゃしない。

 ところが、人によっては、そういう同窓会のメンバーになれなくて悔しく感じる人もいるから不思議なものである。その人(A君としておく)は私と同期で同じ職場にいたこともあるのだが、私が声をかけられた同窓会のメンバーになれなくて疎外感を味わったらしい。私のことを妙に羨ましがったけれども、私に言われても困るし、こちとら楽しいというより仕事の延長のようなものだ。
 その同窓会というのは会社の大きな管理部門(職能)の集いであって、会のトップに本社の元副社長や元専務といったお歴々を戴いていた。その管理部門(職能)に所属していた人を全員呼んだら、たいへんな人数になるので参加資格者を絞らざるを得ないのだが、当然、お歴々のお目にかなった元部下たちに限られることになる。

 A君の場合には、お目にかなわなかったわけだが、まあ、それも仕方ないかなと思う。私自身も含めて、人にはそれぞれ持ち前の器量があり、それに見合った責任を、与えられた権限を用いて果たしていけば、組織人としてはそれでよいと思うしだいである。
 ただ、彼はサラリーマン最後の10年ほどを同じ子会社の同じ職場の管理職として過ごした。結果的に、50歳前後で「上がり」となったわけだが、どうも、その数年前に上司に見放されてキャリアパスから外されたように仄聞した。外されてから2回ほど職場を転々とした末の上がりだった。
 詳しいことは知らないが、タフなネゴシエーションが出来ず勝手に妥協してしまったり、組織として行わねばならない意思決定を関係者間で合意してしまったり、部下の評価に情実を絡めたり、自分が楽をするために部下を昇進させて仕事を丸投げしたり等の一端は私も見聞したことがある。
 私なりに醒めた見方をするならば、会社にぶら下がりながら、会社の人間関係にどっぷりつかってしまったサラリーマン人生を送ってきたとも言えそうである。そう言えば、昔から仲のよい先輩にベッタリで定年後の再就職を世話してもらったし、先輩風を吹かせながら元部下たちがいる地方に遊びに行ったこともあったっけ。

 会社の人間関係にどっぷり浸かってきたからこそ、会社を辞めた後も、職場職域の同窓会に参加したかったのだろう。こういう人がけっこう多いのかもしれないが、知人・友人の中には、リタイアしてから大学院に入って研鑽したり、在職時から楽しんでいた趣味に打ち込んだ人もいる。かく申す私もクラシックギターを中心とした音楽関係の趣味を在職時から始めていたので、退職した後もすることがあるし、会社以外の仲間もいる。
 そもそも、会社関係の同窓会って、昔エラかった方々を慰撫するために行っているところがかなりの割合である。中には肩のこらない同窓会もあるけれども、退職後の共通の話題は年金や健康の話くらいしかないのではなかろうか?自分の孫は可愛いけれど他人の孫自慢を聞いても面白くはないし、趣味の話は同じ趣味を持つ人にしか通じない。

 だから、50歳くらいで働き盛りを過ぎたら、会社にどっぷり浸からないで少し斜に構えるくらいでよいのだと思う。会社の枠を超えて業界人脈をつくるもよし、仕事に関する何かの専門家を目指して研鑽を積むもよし、仕事以外の趣味を静かに始めるもよし、卒業の準備には十分な時間をかける必要がある。
 会社をリタイアした時に「社友会」なるものの案内を戴いたけれど、苦笑してしまった。人によっては仕事に精魂込めて打ち込んだ成果や思い出があるだろう。だが、一般論として会社というのは所属する期間が区切られた機能集団である。退職とは卒業なのである。
 そして、多くの人が長い老後を過ごすことになるのである。もちろん、残念ながら会社をリタイアした後まもなく不運にも病に倒れる方もいるし、いずれは誰しも辞世の時が来る。とは言え、平均余命は確実に伸びており、会社での仕事に明け暮れていた第一の人生が<主>で、リタイアした後の第二の人生が<従>とか<余生>とか言うことは最早できないような気がする。
 会社時代を懐かしむのではなくて、会社から解放されて新たな秋(とき)を開始するくらいの心づもりで過ごしていったほうが、よろしいのではなかろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?