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会社はゲマインシャフトかゲゼルシャフトか


三種の神器

 ドイツ語では会社のことをゲゼルシャフトというが、これはゲマインシャフトの反対語である。まず、ゲマインシャフトとは共同体を意味して、雑駁に例えるとムラのようなもの。その中で生まれ育ち、周囲の人たちと利害をともにしている集まりである。それに対して、ゲゼルシャフトとは利益社会と訳されることもあるが、会社・組合その他の、個人が自己の利益を図るために結びついている団体で、むしろ結社と言ったほうがわかりやすい気がする。
 ところが、日本のカイシャというものは、ゲマインシャフトと似ている。少なくとも似ていた。製造業を中心とした中小企業においては従業員を擬似的な家族として扱う気風があった。大企業においては終身雇用・年功序列・企業内労働組合が日本固有の特徴とされ日本企業の三種の神器と称された(ジェームス・アベグレン)。多くの従業員が定年まで勤続し、同期が概ね並行して昇進して経営幹部も内部昇進した元社員、労働組合は穏健で会社とよく話し合う。たしかにゲマインシャフトに似ている。
 戦前の日本企業には、そのような特徴はなかった。はっきりしたことはわからないが、第二次大戦後の復興から高度成長までの間に人手不足に対応して、人材を囲い込むために終身雇用以下の三種の神器と呼ばれる制度が形成されたようだ。この仕組みは企業の内部に熟練した技能と自社固有に開発した技術や知識を蓄積することに有利であり、1980年代までの日本の製造業の競争力の優位性に貢献したと考えられている。

派遣社員の登場

 しかし、様子が変わってきたのは1980年代後半のバブル時代あたりからだったと思う。会社の中に当社の社員ではない人たちが少数ではあったが入りだして、大部屋で一緒に、または事務所の一角で働くようになった。それらの人たちは言わば専門家であり、フリーランスではなくて所属する会社から単独で当社に派遣されて文書を翻訳したり、あるいは、何人かでまとまったエンジニア・チームで特定の開発業務を請け負ったりしていた。
 それまで製品の海外輸出しか行っていなかった日本企業も自ら海外の市場を開拓したり、海外企業との業務提携を行ったり国際化が進んでいたことがひとつ背景にあった。また、新分野の製品開発に自社だけの人材では対応できないようなイノベーションの進展も背景にあっただろう。
 巷間、バブル崩壊後の不況後に派遣社員という雇用形態が広まったために、特定の元政治家がその元凶として名指しされることもあるが、必ずしも的を射ていない。バブリーな頃には、一年の半分は猛烈に仕事をして、残りの半分を遊んで暮らすような生活がもてはやされたこともあったのである。実際に、どれだけそのような生活を謳歌した人がいたのか知る由もないが、専門性が高い人材にはそれが可能だったのかも知れない。
 しかし、バブル崩壊後はたしかに派遣社員が増えた。私が学生の頃に勉強したマクロ経済学では、賃金には下方硬直性がある、つまり、不景気になったからと言っても給料が下がることはないから、雇用は増やせないし政府が公共工事でもして仕事を増やさないと景気が回復することはないと教科書に書かれていた。でも、派遣社員の増加で実質的に賃金が下がったのである。年功序列で古株社員が温存され、新卒一括採用の慣習がある中で、その時代に社会に出ることになってしまった世代の人たちの経済的な苦労は察するに余りある。

流行語はリストラ

 だからと言って、古株の正規社員がその後も安泰だったかというと、そうとも言えない。80年代は古いモノづくりの時代で日本企業は内部に蓄積した技能や技術(知識)と製造現場の創意工夫で世界に冠たる地位を築いた。しかし、次の時代の地殻変動が続いて起きていたのである。90年代には、GUIを装備したWindows95が普及し、21世紀の高速通信網の整備とともにインターネットやイントラネットの時代へと繋がっていった。
 開発、製造、物流ほか、あらゆる業務プロセスが通信ネットワークとコンピューターによって変わっていった。また、新たな製品やサービスも生まれたし、製品とは必ずしも形があるものとは限らずソフトウェアやデジタルコンテンツなど無形のものも急速に増えていったのである。そしてモノづくりの現場もデフレによる円高と海外市場へのアクセスを理由に海外に移転する流れが加速した。バブルが弾けて不景気になっただけではなくて、日本企業は産業の構造的な変化にも対応せねばならなかったのである。
 21世紀になって日本でもてはやされたのは2001年にゼネラル・エレクトリックのCEOを退任したジャック・ウェルチであった。実は誤訳だったらしい「選択と集中」が日本の産業界の合言葉となり、ウェルチが先行して行った人員整理と事業の絞り込みが企業の課題となった。日本の解雇規制は厳しいものがあるので、現実には整理解雇だけでなく、不採算な事業分野を分社化して切り離した上で、他社に事業譲渡したり、合弁化によって規模の利益を狙うことも行われた。そうした事業再編を促すかのように様々な法令が改正されたのも、この頃であった。
 この時代には、様々な経営用語がコンサルティング・ファームなどによって創られて流行ったものである。今思えば表層的なキャッチコピーが多かったけれども、リストラクチャリングすなわち構造改革という言葉を縮めた「リストラ」という新しい言葉が、本来の意味から逸脱して「肩たたき」という古い言葉に取って代わったのであった。

時代はDX?

 こうした産業の構造的な変化は今現在も継続している。コンピューターと通信ネットワークおよび、それらの利活用の技術は今も日進月歩だからである。人工知能(AI)や量子コンピュータはホットな話題だが、こうした構造変化に対応する方向性を示唆するのがDX(デジタル・トランスフォーメーション)という概念である。この意味するところはデジタル技術を駆使して企業の新しいビジネスモデルを創るとかいうことらしいが難しいことはわからない。具体的には、これから先進的な企業が形にしていくことである。
 その流れとコロナ禍の影響とで一部の企業がリモートワークの拡大に踏み切った。それらの企業は、DXに取り組んでいる企業でもあるが、コロナ禍が落ち着いた今現在も、その方針を変えていない。リモートワークの適用拡大に際して、同時に行ったことは、任された仕事の範囲を明確に定義し直して、人事評価はその仕事の結果を見て判断する、という仕組みの見直しである。職務記述の明確化と成果主義による人事評価ということである。
 この動きは従来のメンバーシップ型の雇用(=ゲマインシャフト型)からジョブ型の雇用(=ゲゼルシャフト型)への変化にも繋がっていく。従来は新卒一括採用が原則で、どの仕事をさせるかは、採用してから決めるという形だったのが、採用は通年で特定の職務担当者を補充させる形に変わっていく可能性もある。社内で教育して人材を育成するという形から、はじめから専門性のある人材を募集するという形への変化でもある。
 リモートワークを糸口にして、そういう改革を行った企業もあるという話であって、今のところ、日本の企業社会が雪崩を打って、そういう方向に転換する兆しはない。ただ、まだバブル景気が崩壊する前から専門性がある人材を派遣や請負という形でアウトソーシングする動きはあったわけである。DXなるものが、謳い文句のようにドラスティックな変化を求めるものであり、乗り遅れた企業は敗者になるのであれば、企業のあらゆる部門で専門性とデジタルリテラシーのある人材が求められるのではなかろうか。

日本企業への勝手な期待

 つまりは日本でもゲゼルシャフト型のカイシャが増えていくのではないのか、という予想を期待とともに抱くのである。従来のメンバーシップ型=ゲマインシャフト型のカイシャは組織の内部に技術や知識を蓄積することには向いている。しかし、不断にイノベーションが続く時代においては組織を内向きにすることよりも、外向きにオープンにすることが求められる。それにはゲゼルシャフト的なカイシャの方が向いているだろう。
 また、従来の、うっかりすると甘えに繋がりかねない組織の中のウエットな人間関係よりも、明確な責任で結びついたチームワークの方が個人的には好ましいと思うのである。その代わり専門性を常に磨きアップデートしていく必要があるが、大企業であっても怠け者や専門性の低い人材には居づらい環境になった方がよい。
 メジャーリーグであれ、日本のプロ野球であれ、選手はチームメイトとよいチームワークを築いてチームの勝利に貢献することは当然である。しかし、個々の選手は高い能力を維持向上させることを怠らず、必要と機会があればチームの移籍も厭わない。それと同じである。もちろん全員がメジャーリーガーであったり、一軍選手であることは無理だろうが、専門性の高い人材は管理職でなくとも、相応の高い処遇を得るべきだろう。
 今の日本企業では、50代になって先が見えてくると、勉強もしないで定年まで無難な日々を送ろうとするモチベーションが強く働いてしまう。くすぶったロートルは組織もくすぶらせてしまう。要路にある人の新陳代謝も必要なのだ。ゲゼルシャフト型への転換は組織の活性化にもつながると思うしだいである。

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