塩野七生「ギリシャ人の物語」から
以前、ヘロドトスやトゥキディデスが遺した歴史書を読んだ。それらは貴重な古典だが、われわれ現代の日本人がギリシャの歴史について、教養として識るには塩野七生氏の「ギリシャ人の物語」も有用だと思われる。4分冊となっている新潮文庫版にそって、そのあらましと感想をノートしておく。
1.民主政のはじまり
紀元前5世紀の初め、ギリシャのポリス連合がペルシャの侵略に立ち向かって勝利したペルシャ戦争に多くのページを割いている(前490年マラトンの戦い、前480年サラミスの海戦、前479年プラタイアイの戦い)。この戦争の経緯について詳説されているだけではなくスパルタの王政とアテネの民主主義政体それぞれの内実が学術書よりもわかりやすく説明されている。
スパルタは王政とは言っても、王は特定の家から二人選ばれ軍の指揮権を持つだけであり行政の権限はなかった。軍事においても5人の監督官の同意を得ながら遂行しており、行政の権限は彼ら監督官にあった。スパルタは少数のドーリア人が多数の先住民族を征服し、支配することで成立した国だったが、支配階級であるドーリア人の市民たちは参政権を有する自由民だったのである。
アテネにおいては王政から貴族制に移行してから、貴族と平民の間の対立が激しくなったところで、成文法が施行された。また。B.C.594年にソロンの改革が行われ、借金の帳消しと土地の再分配によってアテネ市民の階層分解に歯止めがかけられると同時に、財産に応じた市民の4等級の権利と兵役義務が定められ民主政の基礎が築かれたのだった。
本巻の登場人物たちの中で特に印象深いのはサラミスの海戦(前480年)の英雄だったアテネのテミストクレスである。史上初めて海戦で戦争全体の帰趨を決した、テミストクレスの先見性は特異でもある。彼はその後、政敵によってアテネを追われるが、最後にペルシャに逃亡するという変幻自在な身の処し方にも彼の天才ぶりが現れている。
2.民主政の成熟と崩壊
道理を説いて民衆を納得させる弁舌力と将来を見通す先見性とで民主政のアテネを繁栄に導いたのはペリクレス(前495?〜前429)だったが、彼が病没してからは民衆の情に訴えて扇動するデマゴーグが跋扈するようになり、ついにはペロポネソス戦争(前431〜前404)で国を滅ぼした。しかも、この戦争は終盤になるまでアテネとスパルタの直接的な対戦はなく、戦争を終結させるチャンスは何度かあったにも関わらずである。その都度、戦争を長引かせたのはデマゴーグと彼らに扇動された民衆であった。ソクラテスはデマゴーグが活躍した時代に世を惑わしたと告発された末に、死罪となって毒杯を仰いだ。国法を尊重し最期まで沈着冷静なソクラテスをプラトンは描いたが、この後、プラトンはアテネの民主政に失望する。著者は<ソクラテスは正しかった。己を知らなかったアテネは自滅したのだ>と総括した。
3.都市国家ギリシャの終焉
ペロポネソス戦争の敗北後、アテネは軍事的にも経済的にも凋落したが、他方でスパルタもリクルゴスが定めた体制(国内の軍国主義的統治と一国平和主義)から脱皮することができなかった。後にテーベがスパルタを破ったものの中規模ポリスであり覇権を得るに至らず、ギリシャのポリス世界にはリーダーが不在となった。この間に力をつけてきたのがフィリッポスが率いるマケドニア王国だった。マケドニアはギリシャ世界では北方の周辺国であり、ポリス国家ではなかった。テーベはアテネと同盟し、カイロネイアでマケドニアに決戦を挑むがアレキサンダー王子の奇襲によって大敗した(前338年)。この結果の戦後処理で都市国家テーベは消滅した。フィリッポスは連邦という形でのギリシャ統合(前337年ヘラス連盟)とペルシャへの侵攻を決めた矢先に暗殺された。政治的な動機によるものではないとされている。
4.新しき力
最終巻はアレキサンダー大王の東征とヘレニズム世界の創出に充てられた。父の早逝のため若くして王となったアレキサンダーは、小が大を破る天才的な戦術で采配を揮っただけではなく先見性と戦略性を備えた賢王でもあった。彼の東征はペルシャに圧迫されて来たギリシャ世界の歴史的経緯を踏まえたもので闇雲な征服欲に駆られたものではなかった。イッソスの戦いに勝利してシリアとエジプトを占領し、前330年にはアケメネス朝を滅ぼした。さらに、インド西北部まで軍を進め、マケドニアからインダス川流域にまで広がる大帝国を建設した。
大王は兵を大切にし、征服地を搾取せず同化することによってコスモポリタン的なヘレニズム世界を創出した。そうした帝国の統治の仕方はローマに継承されたのだった。竹馬の友を病で失ってから間もなくアレキサンダー自身も33歳で病没し彼の帝国も分裂したが、短くも偉大な生涯だった。
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