見出し画像

血のつながり④ (創作小説)

リストカットとブラック企業を題材にして書いた話です。
①を読んでない方は①からお読みください。
血が流れる場面が多数あるので、苦手な方はご注意ください。

今回は社会人の女性視点からのスタートです。

--------------------

「ごめんなさい。今回の件はなしにしてくれる」
その言葉を聞いた途端、私の頭は停止した。いけると思っていた案件が消えたのだ。
今月は厳しくて、この案件が頼みの綱だった。坂井さんの声は私の耳をすり抜けていった。坂井さんが話している内容も少しも頭に入ってこなかった。

「部長もそれなら早く言ってほしいわ」
部長、部長がどうしたのだろうか。私の何がいけなかったのだろうか。どうすれば受注できたのだろうか。

「本当に申し訳ないんだけれど」
坂井さんの電話を一秒でも早く切りたかった。そのまま、この電話もかかってこなかったことにしてしまいたい。そんなことを考えていると、いつの間にか電話が切れていた。

「ふざけんなっ」
上司が目の前で怒鳴っている。目を吊り上げて、口を大きく開いて、机を叩きながら、怒鳴っている。
悪口や人格を否定するような言葉のオンパレードだった。ここまでくると一周回って、愉快な気持ちになってくる。上司の言葉をへらへら笑いながら聞いていると、上司は顔を赤くして怒った。
必死に怒る上司がおかしくて、私は声を上げて笑った。私の様子とは対照的に、上司はどんどん元気がなくなっていった。
上司は悔しそうに顔を歪めながら、最後に私に向かって言い放った。

「お前、なんで生きてんの?」
その言葉があまりにも私の心の奥深くまで入り込んできてしまいそうだったので、私はさらに大きな声を出して笑った。

今日はルカの腕の血を見ないとやってられない。

私はルカのもとに急いでいた。ヒールのあるパンプスは走りにくくて、すぐに息が切れてしまった。
息を切らしていると、そのまま泣き出してしまいそうで、私はヒールの靴を脱いでストッキングで夜の街を走った。

走っていると泣いている暇がない。
肩には重いバッグ、手にはパンプスという、ものすごく走りにくい格好で私はルカのもとへ走った。

公園に着くと、いつもの場所に人影が二つあった。
全く想像していなかった事態に、心臓の鼓動が速くなった。少し呼吸を整えてから人影に近づくと、真っ先に赤い色が目に飛び込んできた。

ルカと同い年ぐらいだろうか。花柄のワンピースを着た少女が倒れていた。

その少女の腕が真っ赤に染まっていた。血が付着したワンピースからは心配になるぐらいの細さの足が剥き出しになっている。
彼女を抱えているのはルカだった。ルカの手にも赤い血がべったりとついていて、手に赤いペンキを塗ったみたいにかなりの量の血だった。

「ルカ、どうしたの」
私が叫ぶと、ルカは今にも泣きそうな目をして私を見た。

「あ、あの、あ……」
話すことができないほどルカは取り乱していた。近づいてみると、少女の腕には深い傷口があってそこから血が流れていることが分かった。

「まさか、こんな……」
ルカが息を切らしながら私に向かって言葉を伝えようとする。

「何してるの、救急車呼ばなきゃ」
必死に語りかけようとするルカの言葉を私は遮った。

「このスマホで一一九に電話して、できる?」
私が聞くと、ルカは頷いた。

ルカにスマホを手渡してから、私は自分が身に付けているストッキングを脱いだ。それから彼女の腕を確認した。手首からぱっくりと傷口が開いていてそこから血が溢れ出している。私はバッグからハンカチを取り出して傷口を拭き、圧迫した。

「で、電話した」

ルカが戻ってきたので、ストッキングで傷口の上を強く結ぶように指示をした。ルカは手を震わせながらもなんとかストッキングを彼女の腕に巻き付け、締め上げてから結ぶことができた。

私は彼女の傷口をハンカチで強く押さえ続けていた。そうしていると少しだけルカも落ち着きを取り戻してきたのか、呼吸が落ち着いてきた。

「彼女が切ってって言うから」
ルカはつぶやいた。

「表面をそっとなぞるだけのつもりだったんだ。でも刃をあてたら、彼女が自分で腕を動かして、それでこんなことに……」

ルカの呼吸が再び荒くなっていく。

「助かるよね、死なないよね。彼女の親から殺されたりしないよね」

こわいよと泣きながらつぶやくルカは高校生だった。そして、そんなルカと比べると、私は大人なのだった。

「ルカ、もうすぐ救急車が来るから、ここから離れなよ」

縋り付くように私を見つめるルカ。

「大丈夫。この子は私がちゃんと病院まで連れていくから」

私は少女の腕を圧迫するハンカチから、片方の手を一瞬だけ離してルカの背中に手を置いた。私は初めてルカと出会った日の夜、ルカがしてくれたようにルカの背中を撫でた。

「早く。もう来るよ」
私が言うと、ルカは頷いた。そして走り出した。
ルカの背中が夜の暗闇の中に消えて行く。
その背中には私が先ほど撫でたときについた、少女の赤い血が付着していた。



幸い、少女の命は助かった。

何日か経ったら彼女の意識は戻ると医師は言っていた。
応急手当てがあったから傷のわりに出血も少なくて済んだようだった。

警察の人に少女を発見した経緯を尋ねられた。
私は、道を歩いていたら少女が倒れていた、少女の手には刃の出たカッターが握られていて、危険だったから彼女の手から取り上げたと言って、カッターを警察官に渡した。

警察官は私の話を信じた。
私への質問はすぐに終わって、親御さんに連絡しないとな、身分が分かるものは、と次の仕事に移っていた。

彼女は病室のベッドで横になっていた。
彼女の左腕には白い包帯が何重にも巻き付けられている。

化粧をしているため顔だけ見ると大人っぽい印象を受ける。
私が初めて彼女を見たときに少女だと思ったのは、身体つきが大人の女性というよりも少女のものだと感じたからだった。

彼女の線の細い身体をぼんやりと眺めていると、彼女の首に手の痕を見つけた。
ルカがやったのかという考えが一瞬よぎったが、彼女の血を見てうろたえていたルカを思い出して、その考えはすぐに消えた。
私は彼女の首に痣をつけた人物のことを考えた。彼女の恋人、両親、兄弟、友達。いろいろ考えたけれど、私が彼女について知っていることは一つもなくて、どの想像も私の空想でしかなかった。

深夜の三時になっていた。四時間後には会社に着いていなければいけない時間だ。
私のことなんかお構いなしにやらなきゃいけない仕事は毎日発生して、私は毎日それを消化する。そう思うと、なんだか違和感があった。私の人生は私のためにあって、仕事のためにあるわけじゃない。
考えてみれば当たり前だ。だけど、当たり前のことを日々の仕事を前にして忘れていた。

私はベッドの上の彼女を見た。彼女はルカに自分の手首を切るように頼んだのだ。
その光景を想像して、私は身震いした。自分の人生を自分以外の存在に委ねることが恐ろしいことに思えた。


夜中に公園に向かうと、ルカがいた。
ルカはうずくまって、ダンゴムシのようになっていた。私が声をかけると、ルカは膝から顔を上げた。顔は強張っていて、今にも泣き出しそうな不安そうな表情をしていた。

「助かったよ。彼女」
ルカを安心させたくて、すぐに伝えた。

「よかった……」
張り詰めていたものが一気に緩んだのが、ルカの表情と身体から分かった。きっと昨日の夜から今までずっと彼女のことをルカは考えていたのだろう。私は彼女が死ななくてよかったと思った。

この日の昼、私は仕事を休んで、彼女に会いに行った。病室で見た彼女の首の痣が気になって、もやもやしていた。
病室に入ると彼女の母親がいた。

「どちら様ですか?」
白いカットソーに黒い膝下丈のスカートといった服装の、小綺麗なお母さんだった。私が彼女を発見したことを伝えると、母親は何度も頭を下げた。

「本当にありがとうございました」
「いえ」

「この子、東京にまで来て人様に迷惑かけて。今後このようなことがないように厳しく言って聞かせますので」
さも当然のように流れるような口調で母親は言ったが、その言葉に強い違和感をいだいた。
自殺未遂をした娘に対してかける言葉としてどこかずれている。まるで彼女がいたずらでもしたかのような、そんな口調だった。

ベッドの上にいる彼女は強張った表情で毛布をかたく握りしめていた。

「娘さんと話していいですか」
「どうしてですか」
母親の口調は柔らかかった。でもその柔らかさの警戒があるように感じられた。母親は私の目の前に立って、私が彼女と話すのを妨げた。

「体調はどうか聞きたくて」
「体調は良いようです。お医者さまも明後日には退院していいとおっしゃっていました」

私はベッドの上にいる彼女をもう一度見た。彼女と目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。さらに、私の前には母親が立っている。
私と彼女は赤の他人で、私にとって彼女の母親はただの小綺麗な女の人で、今この場に私ができることは何もなかった。

私はそのまま病室を後にしたのだった。

ルカの隣にいると、今日のやるせない思いが浮かんできた。

「ルカって、あの子とはどんな関係だったの?」
「お姉さんと一緒だよ。たまにここに来て、僕の腕を一緒に眺めたり、お話ししたりした。お姉さんより早い時間に来ることが多かったけど」

彼女がルカの隣に座っている姿を思い浮べた。彼女も私と同じで何かを抱えていて、だからルカに惹きつけられたのだろうか。

私は鞄からメモとボールペンを取り出して、病院の名前と彼女の部屋番号、苗字を書いた。そして、その紙をルカに差し出した。

「なに?」
「彼女がいる病院と部屋番号」
「どうして?」
「彼女、母親との間で問題をかかえていて苦しそうだった。でも、私じゃ何もできなかったから」
「僕に何かできるってこと?」
私は頷いた。

「無理だよ」
「母親との関係を改善してとかそういうことを言ってるわけじゃない。ただ彼女とつながっていてほしい。彼女にとってルカと一緒にいる時間はきっと大切な時間だったと思うから」
「そんな無茶な」
そう言いながらもルカは私のメモを受け取ってくれた。

「うーん、でも行くかどうか分からないよ」

メモを折りたたんでズボンのポケットの中に入れた。ルカはポケットの中に一度手を入れて、その中身を確認していた。

血のつながり⑤に続く

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?