見出し画像

血のつながり③ (創作小説)

リストカットとブラック企業を題材にして書いた話です。
①を読んでない方は①からお読みください。
血が流れる場面が多数あるので、苦手な方はご注意ください。

今回は少女(?)視点からのスタートです。
******の部分で視点が社会人の女性に切り替わります。次の******で視点が少女(?)に切り替わります。

--------------------

ルカが森の奥の家から連れ出されてお城に閉じ込められてしまった少女の話をしたとき、わたしはばちが当たったんだと思った。
お母さんと幸せに暮らしていたのにその環境のありがたさに気付かないで、もっといい環境を求めたから、ばちがあたったんだ。

それでもわたしは少女のことが、うらやましかった。
最悪な環境の中にいても、戻りたいと思える場所があるのは幸せなことなんじゃないか。わたしは最悪な環境から逃げたくて、自分の力で逃げ出したのに、逃げ出したところも同じぐらい最悪な環境だった。
わたしが少女だったらお城から自分の足で森の家までたどり着いてみせるのに、わたしには森の家がなかった。

「ばかだね。その少女」
私が言うとルカは口を結んだ。

あれ、もしかして怒ってる。まずいことを言ってしまったのかなと思っていると、ルカの口がゆるんだ。

「そう、馬鹿だよね」
ルカが同意してくれて安心した。

ルカは手首を切る日と切らない日がある。
今日は手首を切らない日だった。手首を切らない日は、すごく残念だった。

ルカの手首から流れる真っ赤な血を見ていると、わたしは自分のきたない部分がきれいになっていくように感じた。わたしの肌についているおじさんの汗と唾液と精液。終わるたびにシャワーで身体を洗っても、洗っても、肌の奥まで入り込んで取れないような気がする。
ルカの腕の血でわたしの身体を洗ったら、わたしはきれいになれると思った。

ルカが腕を切る日、わたしはちょっとだけルカの血をもらって、自分の肌につけている。そうすると味方に守られているような安心感があった。

手首を切らない日、ルカはよく分からない話をする。
前にきいた話はどれもおもしろかったのに。今日の話が微妙だったのは、わたしが少女に対して、嫉妬しているからなのかもれなかった。

********

最近は毎日ルカのもとに通っている。
ルカに会いに行くと家に帰るのが遅くなってしまう。
いつもは一時に帰るところ、二時になったり、時には三時近くになってしまう。そうなると睡眠時間を削るしかなくなって、寝不足の日が続いていた。

でもルカに会わずにはいられない。
いくら寝不足で大事な会議に全然集中できなかったとしても、商談で訳の分からないことを口走ったとしても、私はルカのもとに通い続けた。

もしかしたら私は寝不足になることを望んでいるのかもしれない。
寝不足の状態のまま会社に行って、とんでもない失態を起こして、上司が私のことをすごい勢いで怒鳴りつける。そんな上司を目の前にして、お前らのせいで私はこうなったんだぞと言ってやりたい。
そんなことをしても、上司たちにダメージを与えられないことは分かっている。

それなら、上司が血相を変えるぐらいの失態をわざと引き起こしてやろうか。それから私に暴言を吐く上司の声を録音して、それを取引先の会社に送りつけて、あなたたちが取引している人は裏ではこんなことを言っていて、だから全然信用できませんよ、とっとと契約を解除した方が身のためですよと伝える。
そんな妄想がどんどん膨らんでいく。

でもそれはどこまでいっても妄想でしかなくて、私にはそんなことを実行することはできないことも分かっている。
会社と上司を潰すことはできなくて、潰されるのは結局私だ。

「ルカ」
私が街灯の下にうずくまる人影に声をかけると、ルカは背筋を少し伸ばして私に向かって手を振る。
ルカの表情は柔らかくて、私はルカに会うことだけが自分の今の生きがいだと感じる。

「今日は切らないの」
隣に座ってからルカに尋ねる。
「そうだね、今日はちょっと」
ルカは申し訳なさそうに言う。ルカが申し訳なさそうにする必要ないのに。

それでも私はルカが腕を切らないことを知って、気分が下がっていくのを隠せなかった。
ルカが申し訳なさそうにするのは、私が残念がっているのが伝わっているからなんだろう。

「じゃあね、今日はとっておきの話をしてあげるよ」
私の耳元で、友達に秘密をささやく子どものようにルカは言った。ルカの声が楽しそうだったから、私まで少し気持ちが浮き立った。

「瀉血って知ってるかな?」
「シャケツ……?」
「そう。血を抜く治療法なんだ。中世ヨーロッパで信じられてきた治療法でね、医学的な根拠はないって今では証明されているんだけど、血を抜くことで悪い物質を身体の外に出すんだって。チューブを使った方法もあるけど、中には小刀を使ったりして行うこともあるんだ」
ルカはうっとりとしながら、弾むような口調で語った。

「みんながこぞって、腕をすぱすぱと刃物で切る時代。それが治療法として大々的に行われていた時代。そんな時代に起こったことがあるんだ」
 

片田舎に若い医者がいました。
彼が住む村には、二十年以上医者をしている男性が住んでいて、彼のもとに患者がやってくることはありませんでした。
なぜ彼はこんな場所で医者をやっているのでしょうか。来る日も来る日も患者は訪れず、村の人は彼のことを馬鹿にしていました。

そんなある日、彼のもとに一人の患者がやってきました。
村に住む若い娘でした。彼女は村で一番の美人と評判で、彼女が家の中に入るとぱっとしなかった部屋の雰囲気が一気に華やぎました。

「私、すごく身体が重たく感じるんです。それになんだか熱っぽいような、あとたまに呼吸が、誰かに喉を押さえつけられているように苦しくなるのです」

彼は彼女の身体を診察しましたが、特にこれといった原因は見つかりませんでした。彼女の身体に近づくと甘い香りがして、彼は診察から注意が逸れないように注意しなければなりませんでした。

瀉血が何にでも効く万能の治療法ということで、彼は彼女に瀉血を提案しました。

「まぁ、血を抜くんですか。こわいわ」
彼女はおびえましたが、彼が瀉血の効果を説明し終わると、おそるおそる首を縦にふりました。

「ちょっとだけ、やってみてください」
彼は彼女の肘よりやや下側の皮膚にナイフを近づけて、そのまますっと切れ目を入れました。

「はっ」
彼女は息を飲み込むような声をあげました。彼女の白い皮膚の上を赤い血が流れていきました。たらたらと流れる血を彼女はぼんやりと見つめていました。

「今日はもうこのあたりにしましょう」
処置を施してから彼は言いました。
彼がそう言ってからも、彼女は立ち上がる気配がなく、ぼんやりとした様子で椅子に座っていました。

「大丈夫ですか」
 彼がもう一度声をかけると、やっと彼女は彼の方を見ました。
「えぇ、大丈夫です。また来ます」
彼女の言葉は彼に向けて発せられたものであるはずなのに、宙を浮いているような感じがしました。

その日から彼女は彼のもとに通うようになりました。
二日に一回ほどのペースで、彼のもとにやってきて、腕を切って血を出してもらうのです。彼女は自分の腕から流れる血をうっとりと見つめ、彼もだんだんと彼女の血の美しさに憑りつかれたようでした。二人して流れる血を眺めました。

そんなある日、彼女が彼に申し出ました。
「私の腕をもっと深く切ってもらえません」
彼女は小さな子どものように目を輝かせながら言いました。

「もっと深く切れば、もっと血も出るから、きれいになると思うんです」
彼女に見つめられて、彼は頷きました。
彼が彼女の腕をいつもより少しだけ深く切ると、あぁ、と彼女は大きな声を出しました。

「もっと、もっと深く。もう一度お願いします」

彼は彼女に命じられるままに一度切った部分にナイフをあてて、もう一度ナイフを動かしました。
二回切ったことで、傷口が深くなって、今まで見たことのない量の血が流れだしました。血は彼女の腕から滴り落ち、彼女の白いスカートを染め上げました。

「すてき。もう一度、もう一度切ってほしいわ」
吐息混じりの声で彼を見つめながら彼女は言いました。
部屋の中に立ち込める血の匂いのせいか、一心に彼を見つめる瞳のせいか、彼の頭はぼぅっとしていて、彼は彼女に言われるままに手を動かしました。

彼女は大きな叫び声をあげて、それから動かなくなりました。
彼女が動かなくなってから彼ははっとして、止血を始めました。でも、何度もナイフをあてたせいで、いくら紐で縛っても布を押し当てても血の流れが止まることはありません。
何をしても止まることのない血を前にして、彼は発狂しました。そして、そのまま彼女を置いて村を逃げ出しました。

翌朝、村人が彼女の遺体を発見しました。彼女の父親が激しく怒って、彼を探し出して復讐をしようとしました。父親は村の外にも追っ手を行かせて彼を探し出そうとしました。

その後彼が追っ手に捕まったのか、逃げ延びたのか。どんな人生を送ったのかを知る人は誰もいませんでした。


「ね、いい話でしょ」

語り終わるとルカが目を輝かせて私を見つめてきた。
面白い話だと思うけれど、いい話ではないよなと思う。
だって、出てくる女性は変だし、それに巻き込まれた彼だってかわいそうだ。この物語で幸せになる人は一人もいない。
私が何も答えないでいるとルカの機嫌が悪くなってきた。

「もういい。分かってくれると思ったのに」
ルカは身体の向きを私とは反対側に向けてしまった。
ルカに背中を向けられて、私は不安になった。ルカまで私に冷たくあたるようになったら、私は明日からどうやって過ごしていけばいいんだろう。

「ルカ、ごめんね。ごめんねってば」
ルカの背中に私は謝罪の言葉をつぶやく。でもその言葉は薄っぺらくて、その薄っぺらさはルカにも伝わっているようで、ルカが私の方を向くことはなかった。

******


今日はとても気分が悪い。

街ですれ違う人全員に死ねと心の中でつぶやく。身体がだるくて、頭もいたい。
部屋にもどって横になりたいけれど、戻ったところでどうせ休めない。

同じ部屋に住むルームメイトがわたしが戻って来るのを待ち構えている。
まつげが不気味なあの子。つけまつげの上にマスカラを何度も塗るから、太いまつげが隙間なくびっしりと生えそろって、虫のようだと見るたびに思う。
それに髪の毛の先もぱさぱさしていて、よく見ると絡まっていて、汚らしい。

彼女はタクトさんのことが好きで、そしてタクトさんは彼女のことを見向きもしない。
それでも彼女は毎日タクトさんのために休み暇もなく働いている。私と同じで彼女も、稼いだお金はタクトさんのもとにいくことになっている。

わたしは自分が稼いだお金がタクトさんのところにいくことを、ふざけるんじゃねぇよと思うこともあるけれど、わたしに住む場所とたまに少額のお小遣いをくれるから、こんなものなのかもしれないと思うこともある。

一人で生活していくのにも狭い部屋に、私は彼女と一緒に二人で住まわされている。
トイレは古くて汚いし、お風呂なく、シャワーは冷たい水しか出ない。
タクトさんに取られているお金を家賃代にあてたら、絶対もっといい場所に住めると思うけれど、わたし一人じゃ部屋は借りられない。

今日もタクトさんがやってきた。ルームメイトが勤務している時間を狙って。
やってくるなり、髪を掴まれて引っ張られ、そのまま床に押し倒された。

「お前は人間のクズだ」
タクトさんが私の服を乱暴にはぎ取ろうとする。新しい服を買うお金もない。服が破けてしまっては困るので、わたしはじっとしている。

「そんなお前を俺が拾ってやったんだから感謝しろよ」

いたい。下半身に鋭い痛みがはしる。

「お前の価値はこれだけだ」

タクトさんが動くたびに、痛みはひどくなっていく。

「なんだその目は」

きっと睨みつけていたのだろう。タクトさんが怒っていた。怒りながら、嬉しそうににやにや笑っている。

わたしは知っている。この後、何が起こるのかも。
タクトさんがにやにやしたまま、タクトさんの腕が私の首に伸びてきて、圧迫される。

息ができない、くるしい。

なんてみじめなんだろう。あまりのみじめさに笑い出したくなってしまう。

こんなみじめな死に方ってあるだろうか。
頭の中でぐるぐると世の中に対する怒りとか、周りの人に対する殺意とか、母親への恨みとか、そんな思いが頭の中でぐるぐると、ずっと回り続ける。

けれど、身体も動かせないし声も出せないからはけ口がどこにもなくて、永遠に自分の中に蓄積していってわたしを蝕んでいくことしかできない。

顔が痛いと思ったら、目の前にはルームメイトがいた。頬を平手で叩かれる。ばちん、という音が部屋の中で何度も響き渡る。

「このメス豚。あんたが誘惑したんでしょ」
ルームメイトはわたしの髪を引きちぎったり、お腹を殴ったり、腕にかみついてきたりして、私を傷つけた。

そんなことをしながらルームメイトは泣いていて、たくとぉ、と甘ったるい声を上げる。かと思ったら、なんでお前なんだよと怒りのこもった声がして、わたしの中でどす黒い感情がさらに蓄積されていった。

とにかくルカに会いたい。

わたしはその一心で、歩いていた。ふらふらでよろよろで今にも倒れてしまいそう。でもわたしが倒れても、ルカは迎えに来てくれない。
ルカはいつもの場所にいるから、わたしがルカのもとに行かなくてはならない。なんでわたしのもとには誰もきてくれないんだろう。

ルカ、ルカ、ルカ……。

何度もルカの名前をつぶやく。今日はシャワーのように、全身にルカの血を浴びたい。そんなことを思いながら、わたしはルカのいる公園を目指す。

ルカ、ルカ、ルカ……。

ルカの名前を祈りのようにつぶやきながら。


血のつながり④に続く

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?