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血のつながり② (創作小説)

リストカットとブラック企業をテーマにして書いた話です。
①を読んでない方は①からお読みください。
血が流れる場面が多数あるので、苦手な方はご注意ください。

今回から新しい登場人物(少女?)が出てきます。
******の部分で視点が新しい人物に切り替わり、次の******で視点が社会人の女性に切り替わります。

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昨日は三時間しか寝ていないというのに、私の頭は信じられないほどすっきりしていた。
いつも頭に靄がかかったように、思考が鈍くなるのに、今日はなんでも明瞭に物事を考えられる。

——坂井様も先ほどおっしゃっていたと思うのですが。集客に課題がある。特に見込み客との接点を生み出せないところに課題を感じていらっしゃいますよね。
実は私たちの取引先のお客様でも同じように課題を抱えていらっしゃるお客様がいて、その事例がこちらのページに書かれていて……。

商談も話す言葉がスラスラと自然に出てきた。
坂井様もよく頷いて聞いてくれていて、最後は、秋野さんの提案は私としてもかなり魅力に感じているので私から上司に掛け合ってみますね、と言ってくれた。
最後に次のアポイントも取り付けて、商談は終了した。

会社へ向かう道を歩いているとき、鼻歌を歌いたいほどいい気分だった。
いつも不安や焦燥感で押しつぶされそうになりながら歩くこの道を、こんなにいい気持ちで歩ける日が来るとは思わなかった。

会社に戻ると上司が早速私のもとにやってきた。

「どうだった」
「担当の方が提案に魅力を感じてくれたようで、上司に掛け合ってくれるそうです。次のアポは一週間後に押さえました」

良い報告をしたのにもかかわらず上司は浮かない顔をしている。

「それでもお前の契約件数は今月のノルマに全然達してないんだからな。その商談駄目になったらただじゃおかないからな」

上司の言葉を聞いている時、昨日見たルカの腕を思い浮かべていた。

流れ落ちる真っ赤な血。
公園の街灯の下で光り輝く、深い赤い血。ルカの腕からは永遠に赤い血が流れ続けて、止まることがない。私は鮮やかな血が創り出していく模様をうっとりと見ていた。

今日は一体この場面を何度頭に思い浮かべただろうか。

ルカの腕のことを思い浮べると、私の身の回りにあることがすべてどうでも良くなって、上司からどんなに叱責されても、膨大な量の仕事があっても、お昼休憩の時間がなくても、私はルカの腕を思い出して恍惚としていた。

******


ルカと出会ったとき、わたしの心臓はドクンと大きくなった。
ドク、ドク、ドク、ドクン。わたしは息が苦しいと感じた。

怖いことじゃなくても、心臓は大きな音でなることがある。
もしかしたらこれが、一目ぼれというやつかもしれない。

近づくと、地面に座っていたルカは顔を上げた。
ルカの左腕には真っ赤な血がついていた。きれいなきれいな赤い色。
もしかしたら、わたしはルカではなく、この腕に一目ぼれしたのかもしれなかった。

きれい、とつぶやくと、ルカはすごく嬉しそうな顔をした。
嬉しそうなルカの顔を見ていると、なぜだか泣きそうになった。

これ以上ルカの顔を見ているとあぶないと思って、わたしはルカの隣に座った。
手を地面につくと、細かい砂の感触がした。手をさらに地面に強く押し当てると、砂が手のひらにくいこんで痛かった。

「夜はここにいるの?」
わたしが聞くと、ルカは頷いた。

「いつもこういうことしてるの?」
「こういうこと?」
わたしはルカの腕を指さした。
「いつもはしてないかな」

ルカの声は、女の子にしては低くて、男の子にしては高い。

それにどこか甘くて切なくて、ルカの声を聞いているとわたしはたまにとろけてしまいそうになる。この同い年ぐらいの男の子だか女の子だか分からない子にわたしは恋をしているのだろうか。

「さすがに毎日はきつい」
ルカが腕のことを話し出すのを待ってもこれ以上は何も言わなかったので、わたしも聞かなかった。

「あっ」
ルカの腕の血は茶色く固まっていて、さっきまでの鮮やかな赤色はどこかに消えてしまった。

「きれいだったのに。もったいない」
わたしが言うと、ルカは軽く首を振った。
「仕方ないよ。一瞬だからこそ美しいのかもしれないね」

ルカの方に視線を向けると、美しい横顔が近くにあった。
「ねぇ、わたしまた来てもいいかな」
語尾が震えた。

ルカの返事を待つほんの一瞬のあいだ、わたしは息をとめた。心臓がドクドクなってうるさいほどだった。

「いいよ」
ルカの言葉がわたしの身体の隅々まで行きわたっていった。
こんな気持ちになったのは久しぶりですごく心地よかったけれど、なれない感情でちょっと怖かった。


******

ルカと出会ってから、私は週に二回はルカに会いに行った。
仕事が終わって、深夜十二時を過ぎたころに公園に着くと、いつも決まってルカは街灯の下に座り込んでいた。

腕は切る日と切らない日があるらしい。
腕を切る日は、私が行く頃にはすでに切り終わってしまっている場合もあった。

私は茶色い血がこびりついたルカの腕を見て残念だと感じた。
どうして待ってくれないの。一度ルカにそう伝えようと思ったけれど、私は週に二回しか行かないし、何より腕はルカのものなのだから私がとやかく言えることではなかった。

腕をこれから切る日は、ルカが自分の腕を切るところを隣で眺めることができた。
カッターの刃が街灯の光を反射して、夜の闇の中で光る。
カッターは吸い込まれるようにルカの腕に沈み、動き出して、赤い線ができる。カッターを腕からはなすと、カッターが通ったあとから少しずつ赤い血が流れてくる。

触りたいけれどやっぱり触れない。手を伸ばすと、ある一定の距離までは近づくが、それ以上は近づけなくなった。

触っちゃいけないと言われたことはないのに。
私が触れればルカは笑って、許してくれるかもしれない。

そんなルカの優しい顔が想像できても、私は触れられないまま、ずっと血が流れる様子を眺めていた。
隣にいるルカも私と同じように流れる血をじっと見つめているので、血が流れている間は一言も言葉を交わさない。

血が止まって、変色し始めると少しだけ言葉を交わしてから、私は公園を後にする。

腕を切る日はほとんど話をしない。
けれど、腕を切らない日や切り終わった後の場合は、私たちは話をした。

話といっても普通の会話はしなかった。
ルカが不思議な物語を話してくれた。それはどこかの国で書かれた物語なのか、それとも実際に起こった出来事なのか、ルカが考えたお話なのか、判別がつかなかった。
けれどルカの口から語られる物語は人を惹きつける不思議な力を持っていて、私は口を挟むことなくルカの話を聞いた。

むかしむかし、森の奥に少女とその母親が一緒に暮らしていました。

二人は毎日森の中で平和に暮らしていました。家があったのは森の奥深くですから、彼女たちのもとを訪ねる人は誰もいませんでした。

少女は生まれたときから森の外に出たことはなく、母親以外の人に出会ったこともありませんでした。

ある日、少女が庭で洗濯物を干していると、男がやってきました。男は皮の帽子を深々とかぶっていました。

生まれて初めて母親以外の人に出会った少女はびっくりして、母親を呼ぼうとしますが、男に腕をとられて少女の身体は固まってしまいます。
身体が近づくと、男の身体からはうっとりするほどのいい匂いがしてきます。

「お母さまには私のことは秘密にしておいてください」

そのとき、今まで帽子がじゃまをしていて見えなかった男の目が見えました。

男の瞳は蒼い色をしていました。少女と母親は茶色の目をしていましたから、少女は男の目の色に思わず見とれてしまいました。

少女が男の目を見つめていると、男は少女の腕から手を放して自分の懐から箱を取り出しました。

「今日は貴女にこれを」
そう言って、エメラルドのブローチを少女に手渡しました。
少女は宝石を見るのも初めてでした。少女は自分の手の中にあるきらきらと輝く美しい宝石を眺めていました。

「また、来ます。それではさようなら」

男は膝をついて、ブローチを握っている少女の手に軽く口づけをすると、森の中に消えてしまいました。
少女は手の中の宝石と、男が口づけをした手の甲を交互に眺めていました。

それから男は時々少女のもとを訪れては、少女に宝石の贈り物をしました。

少女はだんだんと男がやって来るのを楽しみにするようになりました。

そんなある日、男は少女にある話をしました。

「貴女にはいつか話さなくてはと思いながら、今日まできてしまいました。でもそろそろお伝えしないといけません」

「なんですか。なんでもおっしゃってください」
少女がそう言ってもなかなか男は口を開きませんでした。少女今か今かと待っていると、男はやっと話し始めました。

「実は貴女はこの国のお姫さまなのです。そして貴女のお母さまはこの国のお妃さまなのです。貴女は生まれてすぐ、お妃さまに連れられてお城からこの森の奥へと連れてこられたのです。本来なら貴女はお城で美しい洋服や宝石に囲まれながら、美味しいものを食べて生活し、舞踏会に参加する生活をなさっているはずなのです。それをお妃さまはこんなじめじめとした森の奥へと貴女を連れてきて、貴女に洗濯や掃除をするような生活をさせている。こんな森の奥には私が貴女に持ってきたような美しい宝石なんて存在しない。私は貴女をお城に連れ戻したいのです。お城でなら貴女は毎日、楽しく生活できます。私が差し上げたような宝石だっていくらでも手に入る。それに、私も貴女に毎日会うことができる」

男の最後の言葉を聞いて少女はぼぅっとしました。
そして、美しい洋服と宝石を身に付けた自分の姿を想像して、心が浮き立ちました。

少女は母親のことを思い出しました。
私がいなくなったらお母さまは、この森の中でこれからも一人で暮らしていくことになるのでしょうか。少女は自分の家をじっと見つめました。

「貴女のお母さまが、どうして貴女を連れてお城を出たのか、気になりませんか」
男の問いかけに、少女は男の方を向き直って頷きました。

「貴女のお母さまはとてもお美しい方で、お城の中で、いえ国で一番美しいとされていたのです。でも貴女が生まれて。貴女は生まれながらにして、お妃さまよりも美しい顔立ちをしていました。そんな貴女が成長して、さらに美しくなって、一番という称号が自分の娘のものになってしまうのが恐ろしかったのでしょう。だからお妃さまは貴女を誰の目にも触れることのない、この森の奥へと連れてきたのです」

男の話を聞くうちに、少女は城に行くという思いが強くなってきました。

城に行くということを母親に伝えると、母親は取り乱しました。
「絶対だめ、それだけはだめ、お願いだからそんなことはしないで」

母親が必死になって少女を説得しようとすればするほど、少女は男が言った言葉を思い出して、お母さまは自分が一番美しいとされたままでいたいから、私が城に行くのを邪魔していると思うのでした。

「私の人生はお母さまの人生じゃないわ」
少女は自分に縋り付いてくる母親の腕をはらいました。

ついに男が少女を迎えにやってきました。毛並みのいい馬の背中に乗って、男はやってきました。

「お待たせしました。どうぞ」
男の伸ばす腕をつかんで少女は馬に乗りました。

「待って、行かないで。返して、私の娘よ」
母親が外へ出てきて、二人のもとへ駆け寄ります。母親は涙を流し、息を切らしながら少女のもとに近づきます。

あまりにも必死な姿に少女は母親のもとに戻りたくなりましたが、ちょうどそのとき男が馬を走らせました。
少女と母親の距離がどんどん離れていきます。

「危ないから、しっかりつかんで、前を向いて」
男に言われて、少女は身体の向きを変えました。後ろからは母親が自分の名前を呼ぶ声が聞こえます。
その声が聞こえない場所へ馬は少女を連れていきました。

馬に乗りながら少女は急に不安になってきました。今までずっと一緒だった母親と初めて離れてしまったからです。

「やっぱり戻ります」
少女が告げると、男は首を振りました。

「それは困ります。王様も貴女の帰りを心待ちにしています。あなたのお父様なのですから。せめて、お父様に挨拶をしてからにしてください」

少女が降りられないようなスピードで馬は走り続け、少女一人の足ではたどり着けないほど森の奥の家から離れてしまいました。

城に着くと、王様がやってきて、少女の顔をじろじろと眺めてから言いました。

「よくきたね。会いたかったぞ。おぉ、これはあいつの若かったときよりもさらに美しい。さすが私の娘だ」

少女は自分の父親である王様のことがどうも好きになれなくて、母親のもとに戻りたくなりました。

「今日はお会いしに来ただけです。私を森の奥の家に帰してくれますか」
王様との会話が一通り終わった後に、少女は伝えました。

「何を言っている。今日からここがお前の家なのだよ。あんな森の奥よりも、美しいものばかりだし、楽しいことばかりだよ」
そう言って王様は笑いました。

その日から少女はお城の部屋に閉じ込められて生活することになりました。

食事は豪華で、洋服も宝石もたくさん買い与えられましたが、少女はちっとも楽しくありませんでした。
たまに外に出られるのは決まって、王様がやってきたときで、王様と二人だけで出かけるのです。

そして夜になると、王様が少女の部屋に入ってきて、少女の身体をあちこち撫でまわします。
王様の手は蛇のようにしつこく、何度も少女の身体を撫でます。王様からは臭い油のにおいがして、その匂いがしているときは、少女は魔法にかけられて眠っているお姫さまのふりを始めて、自分の身に起こっていることを何も考えないように意識を飛ばしているのです。

城に連れてこられた日から、男は少女のもとに一度も会いに来ません。

少女が家に帰りたいと言うと、そんなこと言っていると兵を森の家に向かわせてお前の母親を殺してしまうぞと王様からは言われるので、少女は家に帰りたいと言わなくなりました。

少女は毎晩、王様が出て行った後に森の中に一人で住む母親のことを考えて涙を流しました。
少女は初めて、自分の母親がどんなに自分のことを思っていてくれたのかを知りました。でも、もうすべてが手遅れでした。

だから少女は今日もふかふかのベッドの中で母親を思って泣くことしかできないのです。

「おしまい」
そう言って、ルカは口を閉じた。

「え、なに、その最悪な話」
そう言いながらも、私はルカが語ってくれた物語で頭がいっぱいだった。

城の中に閉じ込められて、父親の愛撫を耐える美しい少女の姿を想像すると背骨のほうがゾクッとした。
母親が住んでいる家へ少女は戻りたくても戻れない。一人で暮らしている母親のことを思って、少女は毎晩泣いている。
そしてそんな状況を創り出した男の軽薄さを思って、悔しくなった。

「最悪な男だね」
 私が力を込めて言うと、ルカは首を振った。

「この話の悲劇は少女の無知にあると僕は思っているんだ。少女は母親の愛を感じ取れるほど成熟していなかった。だから男に騙されて、城に閉じ込められてしまう。少女は自分の選択のせいで自らを不幸にしてしまう。どうしてあんな選択をしちゃったんだろうね」

そう言いながら、ルカは自分の腕を握っていた。ルカの細い腕はルカの手に圧迫されて、握り潰されていた。

血のつながり③に続く


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