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鬼滅の刃が受け入れられた理由…全説明の呼吸!

鬼滅の刃の映画が興行収入歴代1位になりました。
映画が売れた理由は作品そのものの質だけでなく、コロナで他の話題作が公開を見送られていたという時の運や、「話題になってみんなが観てるから観とこう」層まで巻き込んだことなどもあると思いますが、ここでは映画大ヒットの下地となった原作マンガ〜アニメの作品そのものの特徴から、鬼滅の刃が売れた=受け入れられた理由を考察しました。

※大ファンの方が読むと不快な内容があるかも知れません。

※ネタバレを含みます。

鬼滅の刃が受け入れられた理由は「激しい暴力描写があることと、暴力を正当化する巧妙な仕掛けがあること」である。

鬼滅の刃には暴力描写が多い。
鬼の手足をズバズバ斬っていく。血がドバドバ出る。鬼の頸を刎ねるシーンがクライマックスになっており、これが鬼滅の刃のウリの一つであることは間違いない。

エンターテインメント作品にとって暴力描写と性描写は不可欠で入れれば入れるほど旨くなる。(鬼滅の刃は少年誌掲載なので性描写は抑え気味)
外敵をブチ殺し、異性と交わって子孫を残してきた人間が動物的本能で欲しがるものだから。エンターテイメントにおける暴力と性欲、バイオレンスとセックスは、ジャンクフードにおける糖分・塩分・脂肪分みたいなものである。
しかし暴力性欲も糖分塩分も、それだけで提供してしまうと、低俗だとか体に悪そうだとか言われ、万人には受け入れられない。
そこで主人公達の暴力・殺人を正当化し受け入れられやすくする巧妙な仕掛けがたくさん織り込まれている。この仕掛けこそが鬼滅の刃のすごいところで、作り手の工夫が感じられ、発明と言っても過言ではない。

私が気づいた発明は以下である。

1、殺人でなく「鬼殺」だからOK

人間じゃなくて、鬼だから殺していいという話。「殺人」を「鬼殺」と言い換えたのが発明だ。(おにころし、ではない。キサツと読む)
鬼が人間とは別の種族などではなく、元々普通の人間だった、という設定も重要である。人間でない者を殺すのでは、読者の暴力欲・殺人欲は完全には満たされない。人工甘味料のドリンクの様に、何か違う感じになってしまう。
さすがに人間をそのまま殺す主人公は受け入れられないので、限りなく人間に近いが人間ではない、元・人間の鬼を殺す、という落とし所になっているのが上手い。

また、鬼は人を食って殺す存在で、これまでも人を殺しているし、これからも殺すかもしれない。殺される前に殺す必要がある。鬼を殺すことで、今後殺されるかもしれない犠牲者を救っているのだ!というロジックで、ほぼ殺人である鬼殺を正当化している。

…でも鬼と人間の境界ってあいまいで、例え人を殺していても、それを勝手に殺すのは憲法で禁じられている私刑では…?


2、「家族を殺された復讐」ではなく「妹を人間に戻すため」だからOK! 

人間は誰しも、やられたらやりかえしたい欲求、報復感情がある。殺人犯は殺して償わせろ!という声が強く死刑制度が残っている日本…日本人は報復感情が強めな民族かもしれない。
禰󠄀豆子以外の家族を皆殺しにされ、主人公には復讐の動機があり、それだけでも殺人(鬼殺)を正当化できそうだ。

だが近代では復讐は違法である。(明治時代に仇討ち禁止になっているので、鬼滅の刃の舞台である大正でも違法だ)
また、「復讐をやり遂げても死んだ人は還らない」といった、復讐は虚しい論もある。
復讐してスカッとする展開を提供しつつ、復讐だけじゃないよ!という話にしたい…そこで生み出されたのが、みんな大好き禰󠄀豆子=鬼に襲われたが何故か死なずに鬼になってしまった妹である。

「鬼になった妹を人間に戻すため」という前向きで建設的な動機を持ってくることで、根底にある「家族をほぼ皆殺しにされた復讐のため」という後ろ向きな暗い動機をカモフラージュしているのだ。

でも結局のところ主人公は復讐してい
ると思う。「妹を人間に戻すため」だけの動機だったら、仮に「家族はみんな生きていて、妹1人が鬼になっただけ」だったとしたら、ガンガン鬼を殺しまくれただろうか。主人公も読者も、やりすぎだと思うのではないだろうか。

主人公に「ほぼ皆殺しにされた家族」と「鬼になってしまった妹」の両方がいることで、ガッツリ復讐だけどそれだけじゃない、という絶妙に気持ちいい状態をつくっているのだ。


3、鬼の魂を救っているからOK!

鬼の首を刎ねる時に、鬼のモノローグや回想シーンが入り、鬼の辛い過去や鬼になった経緯などが語られることが多い…金田一少年の犯人の動機話みたいだ。
この鬼側の事情が、泣ける悲劇だったりして。ウリのひとつになっている。

鬼の中には殺されながら主人公に感謝する奴もいる。
技を主人公に「すごかった」と雑に褒めれて喜んだりする鼓の鬼や「ここで死ねば辛い現状から解放される」と諦めて首を切られる蜘蛛の鬼(母)など。
そして、殺される際に何らかの形で鬼の魂が救済される描写が入ることがある。
殺しているけど鬼の心も救われたからいいんだ! むしろ良いことをしている!と、殺しを正当化する仕掛けだ。

首をぶった切って殺した相手に感謝までされるなんて、鬼殺は最高の仕事だ。
こんな仕事を続けていたらまともな人間になれない。柱(幹部)の人たちが皆ヤバい感じなのはそのせいだろう。
炭治郎もこのまま柱になったら正論でゴリ押ししてくる感じのヤバい人になるんだろうな・・・

安楽死も認められていない日本では、殺してほしいと願う人を殺すのは自殺幇助で犯罪となる。殺してほしいと願ってしまう辛い境遇から抜け出す手助けをするのが真の救済だと思うが、そんな事は描かれないし、描いたとしても売れにくいのだろう。少年マンガに求められているのは本当に効く苦い薬ではなく、手っ取り早く気持ちよくなれるドラッグなのだ。


4、主人公が「いい子」だからOK!
炭治郎は鬼はバサバサ斬りまくるけど、それ以外では基本的には(気持ち悪いくらい)礼儀正しく、思いやりのある「いい子」である。
街の人から信用されていたり、タダでいいと言われたものにお金を払おうとしたり、老人が網棚に荷物を置くのを手伝ったり、心の中がウユニ塩湖みたいに晴れ渡っていたり…
いい子がやっていると殺人までもが良いことのように見えてくる。ちょっとこわいね。


5、「全説明の呼吸・常註!」で思考する隙を与えない!

鬼滅の刃の演出の特徴として、主人公をはじめ、登場人物の考えていることがモノローグでずっと提示される。
鬼滅の刃を初めて見たときからずっと気になっているのがこの語り口だ。

モノローグではその時の状況と心境がわかりやすく説明=叙述・叙情される。主人公だけでなく、他の人間や、敵である鬼までもが常に全てを説明してくれる。
何でもかんでも説明する演出は一般的に野暮とされるものだが、作り手はこれを徹底的にやっている。これを「全集中の呼吸・常中」ならぬ「全説明の呼吸・常註」と呼びたい。ここまで説明されたら幼稚園生でもわかる。

このわかりやすさも多くの人に受け入れられた理由の一つだが、全説明には、わかりやすさだけでなく、解釈・思考の余地を与えないという効果もある。

「今はこうなっているんです」「この人はこう思っているんです」「だからこうなるんです!」「とにかくそうなるんです!!」と読者に提示し続けることで、読者に思考する隙を与えず、これまで挙げてきた「殺人の言い換え」「復讐のすりかえ」「鬼の救済」などのちょっと強引な仕掛けを受け入れさせる効果がある。

6、まとめ・・・全ツッコミの呼吸で楽しもう!
エンターテインメント作品はスナック菓子やジャンクフードのようなものであり、セックス&バイオレンスマシマシでいいと思う。体に良いからといって、素食ばかり食べているとつまらない。人生にはジャンク成分が必要だ。
鬼滅の刃はおいしいジャンク成分をガッツリ含みつつ、そうとは思わせな仕掛けを織り込むことで、多くの人に受け入れられることに成功した素晴しい作品だ。

ただ、分別のある大人なら良いが、小さい子供にそのまま見せるのはちょっと気をつけたい。鬼滅の刃には、体に悪い成分とそれを気持ちよく摂取させる仕掛け、すなわち暴力+暴力の正当化、などのヤバい要素でできている。現実もそうだと思ってしまうと社会性の欠如した人になってしまう。これはフィクションだよ、本当は復讐や自殺幇助はダメだよ、といった大人からの適切な助言があると良いだろう。

全説明の呼吸による正当化の押し付けに対しては、全ツッコミの呼吸=物語を楽しみつつ批判的な視点をもつことで楽しもう。

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