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クリムト展 ウィーンと日本 1900 に行ってきました。

東京都美術館で開催された「クリムト展 ウィーンと日本 1900」の鑑賞ノートです。

開催概要

クリムト展 ウィーンと日本 1900
2019年4月23日(火)〜 7月10日(水)
東京都美術館
主催
・東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、
・朝日新聞社、TBS、
・ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館
https://klimt2019.jp/

鑑賞方法

モチーフに光が当たっている部分、影になっている部分の表現に着目した。
最初に作品リストやキャプションを読まずに、作品のみを注意し、最も注意を惹かれた部分と、前述の光の表現に集中し、第一印象を残した。
最後の展示作品まで辿り着いたら、入り口まで戻り、1周目の鑑賞で強い印象を抱いた作品の前に戻り、簡単なスケッチとともに印象をメモした。
後日、スケッチと作品リストを元に、各作品のタイトル/作者(制作年)主な画材を参照し、スケッチのメモを文章に書き起こした。

仮説と検証

事前に得ていた情報から、西洋絵画においては、光の当たっている主題を「明るく、鮮やかに、明瞭に」描き、光の当たっていない部分を「暗く、くすんで、甘く」描くマナーがあると仮説を持った。
それをメディアを通した画像ではなく、実際の作品からどの程度読み取れるか。
また、東洋美術に影響を受け、平面的な表現の多様が見られるクリムト作品においても、そのマナーは生きているのかの確認も念頭に置いた。

伝統的な西洋絵画における肖像画においては、光の当たる主題の部分は、明るく、鮮やかに、明瞭に、それでいて筆のタッチが残らないような繊細な描写で写実的に描かれ、光の当たらない主題ではない部分については、暗く、くすんでおり、ディティールが甘いだけではなく、筆のタッチが残っていたり、空気の層を感じさせるような距離感、人の視線の焦点が合わないようなボケたような表現が見られた。
また、肌色の中に青や緑が混じるなど、絵画的な表現は影の部分により見られた。
絵画的な表現も、あくまで写実性の上にあり、光の当たっていない影の部分の、ディティールは視認できないがそこにある色はなんとなくわかる、というような情景を、画面に表現しようという試行錯誤が見られた。

応用のアイデア

写真における主題の表現に、絵画的な表現が応用できるか?
撮影時の画面構成、光と影の配置、撮影後のレタッチにおいて、絵画的な光と影の表現を応用してみる。

スケッチと鑑賞メモ

キャプションは、「展覧会の作品番号 作品名/作者(制作年)主な画材」の順に記した。
その下に、会場で感じた印象のメモを補完したコメントを記した。

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7 ヘレーネ・クリムトの肖像/グスタフ・クリムト(1882年ごろ)油彩

髪の毛の光が当たっている部分は、明るく、絹のような艶で描かれており、暗い部分はディティールが柔らかく重たい雰囲気で描かれている。
白いブラウスの胸のあたりが一番明るかった様子で、明るく描かれている。

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8 サテュロスとニンフ/ゲオルグ・クリムト(1900年ごろ)彫金

金属の板を裏側から打って描かれている。
女性の身体は、それが金属であると感じさせないような柔らかい立体感で表現されている。
花が重なっている部分は、花弁の重なりを手前に押し出す量をコントロールして表現している。

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10 レース襟をつけた少女の肖像/グスタフ・クリムト(1880年)油彩

画面向かって左側、顔がある方は、明るく、繊細なディティールと立体感で写実的に描かれている。
影になっている部分は、色が少なくディティールが柔らかい。
暗い部分にモチーフと作家の間に存在していた空気の層を感じる。
衣服も明るい部分、暗い部分で明度と彩度の差異がある。

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12 男性裸体像/グスタフ・クリムト(1880年)油彩

光が当たっている部分の筋肉が盛り上がり、明るく力強く描かれている。
影の部分はディティールがぼやけており、空気感を感じる。

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23  15世紀ローマ/グスタフ・クリムト(1890年)黒チョーク、擦筆、鉛筆など

レリーフの下絵だろうか。
方眼を引き、下描きをしている。
人物の配置は漫画的な要素を感じる。

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38 葉叢の前の少女/グスタフ・クリムト(1898年ごろ)油彩

日中のほとんど真上からの光が、肩口と帽子を明るく照らしている。
帽子の影になった顔は直接光が当たっていないため比較的暗く、地面(or衣服)からの照り返しがあり、コントラストの低いポートレートとなっている。
背景の緑は、大口径レンズのボケのようなふわふわした描写。光が当たり、画面内で一番明るい。

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55 17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像/グスタフ・クリムト(1891年)パステル

額には金工細工が施されている。
繊細なまつげの描写、明るく力強い印象を与える。
前髪は筆跡が見えない繊細な描写であるが、影の部分の髪は筆跡が残り、色は暗くディティールは書き込まれていない。
伝統的な二の腕の途中までのポートレート。
額の右下に桜のような花の彫刻が施されている。

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49 女ともだちI(姉妹たち)/グスタフ・クリムト(1907年)油彩

女たちの顔の肌の影になっているところ、血の気の乗らない眼窩の周りなどに青い色が入っている。
頬はサーモンピンク、唇は赤く血の気があり、頭蓋骨の形と重みを感じる表現。
右側の女性の肩口に、モダンで力強く鮮やかな赤、青、黄、緑、オレンジの市松模様が描き込まれている。
左下には暗い市松模様のような背景が描かれている。

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61 赤子(ゆりかご)/グスタフ・クリムト(1917年)油彩

赤子の肌は青色が少なく骨ばっておらず、皮膚の下に脂肪がたっぷりあるような、白くもっちりした表現。
画面真ん中あたりは布の輪郭線が強調され、重なりや立体感が重視されているよう。
手前はディティール甘いが、筆跡が強く、迫ってくるような厚みが表現されている。

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46 アトリエ/ユリウス・ヴィクトル・ベルガー(1902年)油彩

右上から奥に飾られた皿、観葉植物の葉、左下手前の赤い花へ光が当たり、鮮やかなディティールが細かく書き込まれている。
右下の椅子とその周りにも明るさとディティールがあり、立体感がある
画面真ん中が暗くくすんで奥まっており、スペースが空いていて「ここに誰か(アトリエのオーナー?)」がいて「アトリエ」というテーマが完成する、と想起させる。

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63 ユディトI/グスタフ・クリムト(1901年)油彩

額の上部には金工細工が施されている。
背景は金箔を用いた平面的なデザイン(東洋美術からの影響)。
身体はゆらゆらと立ち上がる幻のような妖しさが筆のタッチで表現されている。
肌の暗い部分や血色のない部分にはエメラルドグリーンの差し色。
頬はサーモンピンク、唇はやや暗い赤。
首と腰のあたりの金のアクセサリーは、分厚く平面的に描かれており、重たく浮き出しているように見える。

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62 ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)/グスタフ・クリムト(1899年)油彩

額の上部は金工細工が施されている。
絵の上部は金箔が施され、詩が書かれている。
女性は霧の向こうにいるような、甘いディティール、低いコントラスト。
彩度が低く、灰色がかっていて、光が届いていないような表現。
手に持っている鏡?が光を受けて輝いている(一番明るい)。
腰のあたりからエメラルドグリーンの、光を受けて輝く水のようなものが絵がかれている。
上の方は緑、足元へ向かって青、土色へと変化していく。
足元ではつむじ風のようにも見える。
足元に絡みついた蛇の目が力強い。

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73 ベートヴェン・フリーズ(原寸大複製)/グスタフ・クリムト(1984年、オリジナルは1901-1902年)クレヨン、サンギーヌ、パステル、カゼイン絵の具、きん、銀、漆喰、モルタル等

天高く泳いでいるような、横たわっているような女性のモチーフが3-4回繰り返される。

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祈りを捧げる人々。
右側の黄金の甲冑の騎士に祈っているようにも見えるが、間に川のようなものが流れており、足元が崩れた地面のようにも見え、洗礼の場面のようにも見える。

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悪魔?の目が銀細工で全体で一番明るく、妖しく輝いている。
黄金で着飾った人々は、苦しんでいるような狂喜しているような表情。

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空飛ぶ女性たちが再び現れる。
伸ばしている手がたくさん重なって、黄金の光が溢れている。

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悪魔の傍らで膝を折り曲げてうずくまっていた女性(によく似た女性)が、立ち上がり伸びやかに腕を伸ばす様子がアニメーションのように描かれている。
救いのようなイメージ。

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花を持つ合唱隊の足元には草花、若葉も混じっている。
抱き合う男女の頭上に黄金の流れのようなものが立ち上がり、太陽と月が合わさり、何か(愛?)が融合し完成するようなイメージ。

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66 第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)/グスタフ・クリムト(1898年)カラーリトグラフ
67 第2回ウィーン分離派展ポスター/ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ(1898年)カラーリトグラフ
69 第10回ウィーン分離派展ポスター/?(1901年)カラーリトグラフ
71 第14回ウィーン分離派展ポスター/アルフレート・ロラー(1902年)カラーリトグラフ

独特のフォント。
デザインの基本的原則(近接、対比、反復、コントラスト)が活用されている。

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78 「ヴェル・サルクム」第1年次第1号(1898年)
79 「ヴェル・サルクム」第1年次第3号(1898年)
82 「ヴェル・サルクム」第2年次第12号(1899年)

正方形の冊子。
余白を大きく取り、文書を段組をし、読みやすいデザインにまとまっている。
余白にキャプションが書かれている。

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84 鬼火/グスタフ・クリムト(1905−1907年ごろ)色鉛筆

大きな金工細工の額縁。
まるで写真に撮った光を描いたように、センサーに写ったような光が描かれている。

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92 アッター湖畔のカンマー城III/グスタフ・クリムト(1909-1910年)油彩

曇り空の柔らかい光、コントラスト低く、色が暗い。
水面はさらに甘くくすんでいる。
手前に迫る水面を感じさせる平面性がある。

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86 雨後(鶏のいるザンクト・アガータの庭)/グスタフ・クリムト(1898年)

縦位置写真のような雰囲気。
真ん中あたりに焦点があり、ディティールと力強さがある。
奥に行くほどディティールがぼやけ、色が暗くなっている。
人間の目で見た景色なのか、レンズを通して見た景色なのか、不思議に感じる。

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87 家畜小屋の雌牛/グスタフ・クリムト(1899年)油彩

奥の窓から差し込む光が、牛の輪郭と影になっている胴体のディティールを浮かび上がらせている。
敷き詰められた牧草のディティールが照らされている。
手前の影の中にはほとんどディティール(形)がなく、影の中にわずかに色の変化が感じられるのみ。

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88 夕映えの白樺林/カール・モル(1902年ごろ)油彩

奥の野原と、手前の樺の木の幹の中頃に光が当たっていて、明るく輝いている。
影になっている手前の蒲木の根元や、地面の野原は、光が当たっておらず、色は感じられるがディティールが無い。

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93 丘の見える庭の風景/グスタフ・クリムト(1916年ごろ)油彩

光の中でぼやけているような。
レンズを通して変幻しているような不思議なディティール。

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89 ハイリゲンシュタットからヌスベルクを望む/カール・モル(1905年ごろ)油彩

望遠レンズのように圧縮された遠近感。
手前の野原に光が落ち、木々には風が当たっているような筆のタッチで細かいディティール。
奥の丘には平面的に光が当たり、色が良く見える。

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91 水辺の別荘/コロマン・モーザー(1908年ごろ)油彩

望遠レンズのように圧縮された遠近感。
手前の家に光が当たり、水面にはくすんだ反射が落ちている。
奥の風景は空気の層によってくすんだ色とディティールが描かれている。

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100 眠る裸婦/グスタフ・クリムト(1915年ごろ)鉛筆

女性の肉感的な輪郭線への強烈な執着を感じる。
肉がたっぷり乗った柔らかい部分と、肌の下にすぐ骨がある硬い部分を、鉛筆の輪郭線のみで表現している。

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103 オイゲニア・プリマフェージの肖像/グスタフ・クリムト(1913/1914年)油彩

顔や手の表現はより写実的。
クリムトマナーであるが、コマーシャルにまとまっている印象。
背景は鮮やかな黄色。衣装は色とりどりの美しいドレス。
力強いタッチで色鮮やかに描かれており、客商売っけを感じる。

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104 白い服の女/グスタフ・クリムト(1917−1918年)油彩

背景は白と黒の大胆なモノトーン。
人の心に作用するような表情は印象的な笑顔。
額と頬の光の当たるところに明るく力強い絵の具が乗り、頬はピンク、唇は赤い。
影は灰色ではなくエメラルドグリーン。

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105 <医学>のための秀作/グスタフ・クリムト(1897−98年)油彩

額は金工細工が施されている。
天高くから光が当たり、影の部分はディティールが甘く暗くなり、空気の層が感じられる。
影の部分には形が無く、色が残る。

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119 女の三世代/グスタフ・クリムト(1905年)油彩

左側の年老いた女性は、静脈、骨、皮、肌色と青で立体的に描かれている。
右側の若い女性は、白い肌に浮き上がる静脈が青で描かれている。
皮膚の下に肉の乗っていない部分は美しいエメラルドグリーンで描かれている。
若葉が一番明るく鮮やかに描かれていて、生命力を感じる。

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116 左向きに座る妊婦/グスタフ・クリムト(1904年ごろ)鉛筆

肉が薄く皮膚の下にすぐ骨がある部分と、肉が乗り皮膚が柔らかく伸びている部分を輪郭線のみで表現している。

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111 リア・ムンク/グスタフ・クリムト(1912年ごろ)油彩

光の当たっている部分は繊細なディティールがあるが、色がなく冷たい印象。
影には人の肌らしからぬタッチで色が乗り、血の気のない死が表現されている

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120 家族/グスタフ・クリムト(1909/1910年)油彩

黒い布か髪の毛をかぶっているような暗さの中に。体のラインを表すティディールがある。
顔は彫刻のように生気がなく、死を感じさせる。

所感

初めてクリムトの大規模な展示を見たのは、2003年兵庫県立美術館における展示であった。
それまで図録のようなもので慣れ親しんでいたクリムトの絵画が、実際に金箔が貼り付けられ、女性らの目が爛々と輝き、血の気が乗った頬の薄いピンクや、肉の厚みとその下の骨を感じるような表現に、大変興奮したのを鮮明に覚えている。
それ以後、私にとってクリムトの描く肖像画は、人物をモチーフにした制作の一つのリファレンスになった。

その後も、日本に来るたびに足を運んでは、その作品が持っている空気感や匂いのようなものを補給してきた。

今回の展示で顕著に感じたのは、美術館というものが完全にエンターテイメントになったということであった。
画面の左側(なんと作品より先に目に入る!)に貼り付けられたキャプションは、これでもかというほど大きな字で印刷され、皆それに目を奪われている。
私は混雑した美術館の中でもキャプションのところで滞留する人々を追い抜かし、作品の正面に陣取って鑑賞することができる。

皆入り口で貸し出される、音声ガイドのヘッドホンをつけている。
音声ガイドは、今や芸能人の仕事だ。

人々は、作品よりも出口のところに設けられたミュージアムショップの商品を熱心に見ている。

大きな展示では、企画から実施までに数年がかかり、海外から作品を持ち込むために多大なる保険料がかかるのだという。
集客で失敗するわけにはいかないので、どうしてもエンターテイメント性が高まるのであろう。

しかし作品は本物だ。
じっくり鑑賞すれば、多くの閃きを与えてくれる。

私は、作品そのものがまとっている、においのようなものが好きだ。
それは油絵の具だとか、画材の匂いなのかもしれないが、クリムト作品はクリムト作品のにおいがする。
だから、できるだけ人いきれのしない、空いている時間に鑑賞したい。

一般公開前に、まだ誰も足を踏み入れていない展示を、一人で心ゆくまで鑑賞できたら、この上ない贅沢だろう。
そんな夢想をする。

2019年5月15日

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