聖徳太子非実在説の誤り
近年、聖徳太子はいなかったという説が脚光を浴び、教科書でも厩戸王と表記すべきという論がかまびすしいです。
私としては、この論調は好ましくないと考えています。
発端を作ったのが、中央大学の大山誠一名誉教授です。
その大山教授も、
厩戸王が実在したというのは間違いない。
と言っておられます。
色々と言われておりますが・・・
要は、聖徳太子非実在説の論拠とは、
生前に聖徳太子とは呼ばれていない。諡号、尊号の類いだ。
聖徳という立派な名が贈られるほどの政治的な実績はない。
というものです。
教授ともあろうお方が、日本史を通史で俯瞰し研究した経験が無いのではないだろうか? と思わざるを得ない論拠スタイルです。
まず、(1)の諡号や尊号ですが・・・
では、後醍醐天皇は実在しませんでしたか?
光格天皇は?
後白河天皇は?
今あげた天皇について、一人として非実在説は存在しません。
全員、生前には諡号で呼ばれていないにもかかわらず、です。
※)そもそも諡号は死後に追贈されるものであって、生前につけるのは変なのです・・・
単純なことでして、後世の人々が生前と違う呼び名で呼んだからという理由では、実在を否定出来ないのです。
生前、後醍醐天皇は「お上」とか「聖上」とか「主上」と呼ばれていました。
後醍醐天皇だけでなく、歴代の天皇は、その多くが生前にはそう呼ばれています。
つまり、生前の呼称の有る無し程度では、実在非実在なんぞ論じることは不可能ですし、いなかった論をぶち上げること自体ナンセンスなのです。
だから、それだけでは弱いとして、(2)聖徳と呼ばれるに相応しい政治的な実績・業績の有無を問うことになったのでしょう。
津田左右吉などは、後世の人々が聖徳太子という偶像に仮託したに過ぎないと論じていますね。。。
が、業績の有無と尊号・諡号の関係性を論じるのであれば、
現代人が持つ聖徳の意味で論じるべきではないのです。
古代から中世にかけて、当時の日本人(大和の人々)が、この文字にどんな思いをのせていたのか?
それを知らずに論じては、本筋を見失うことになるのです。
まず、聖の字から説明します。
聖の字は、宗教的業績・貢献があった人物に贈られる尊字です。
天皇では、聖武天皇が当てはまります。
奈良の大仏建立に人生をかけた天皇です。
仏教の興隆に大きな業績があったと言えますので、聖の字が贈られているのです。
続いて、徳の字を見てみましょう。
こちらは、贈られた天皇が多いです。以下、列挙してみましょう。
なお、()内の数字は代を表わしています。
懿徳天皇(4) :欠史八代のため業績不明
仁徳天皇(16):武烈で皇統が断絶し、皇統は応神五世の孫とされる継体へ
孝徳天皇(36):中大兄皇子に逆らい、難波で孤独死。皇統断絶。
称徳天皇(48):道鏡事件で有名な女帝。天武系皇統の断絶。
文徳天皇(55):藤原良房による暗殺説がある。孫陽成の後、光孝天皇血統へ皇統が移り皇統断絶。
崇徳天皇(75):鳥羽天皇に忌み嫌われ流刑地で非業の死。皇統断絶。
安徳天皇(81):壇ノ浦で溺死。わずか3歳。
顕徳天皇【後鳥羽天皇】(82):承久の乱後、流刑地で死去し一旦皇統が断絶するが、皇統復活により徳の字を返上することに。
順徳天皇(84):後鳥羽天皇に従い流刑。皇統断絶。
基本的には、非業の死や不条理な死を遂げた場合、もしくは、皇統の断絶があり別系統へ皇統が移動した場合に贈られる字となります。
大体において、両方を兼ね備えていることが多いです。
さて、その後の皇統は、南北朝で分裂しますが、後花園天皇の代に南北融合が成り、江戸時代に入るまで皇統断絶が発生していません。
また、江戸期の断絶も非業の死ではなく兄弟姉妹相続から分家筋への相続といった格好で、基本的には、後花園血統のまま今上陛下にまで皇統が保たれています。
そのため、徳の字がついた天皇がいなくなるのです。
歴史上の事例を紐解けば明らかなように、聖徳太子は、天皇になることも出来ず、その血統も息子の山背大兄王の代で族滅という非業の死により断絶しています。
また、聖徳太子は三経義疏の著述や、仏教寺院の建立等、仏教興隆に大きな功績がありました。
聖の字を贈られるに相応しい人物でもあります。
つまり、大山教授が、いくら頑張って政治的業績を否定したところで、諡号・尊号のルール上、聖徳の二文字はビクとも揺らがないのです。
聖徳太子の血統が断絶したこと。
仏教の興隆に尽力した実績は拭い去ることが出来ない事実であること。
この二つの事柄だけで、聖徳という名を贈られておかしくない以上、非実在説は、単なる言いがかりのお話なのです。
重要なので、繰り返しますと
厩戸王という人物が存在し、仏教信仰に熱心であった。
そして、その血統が断絶した。
この二つだけで、聖徳という字を受けるに値するといえるのですから。
とはいえ、天皇になっていない人に対し、ここまでの尊号・諡号が贈られるのは異例といえば異例です。
ゆえに、天武天皇による親政のゆるぎない体制構築のためのプロパガンダだという人もいます。
が・・・たとえそうであったとしても、百済や高句麗の高僧を師にもち、彼らから尊崇を集めていたという点については消去できないのです。
ただ、もっと注意が必要なことがあります。
日本人の原点ともいうべき和の思想。
その象徴が聖徳太子です。
たしかに、仮託された偶像なのかもしれません。
それでも、日本人ならば聖徳太子を必死になって貶める必要はないのです。
なぜ、 いなかった とまで貶める必要があるのでしょうか?
やはり、戦後のGHQによる公職追放で反天皇思想の持ち主が歴史学会にはびこるようになってしまったのが大いなる過ちだったのかもしれません。
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