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言葉のない傾聴 100歳になるおばあちゃまとの出逢い

わたしは、傾聴ボランティア活動をしています。
個人宅、施設内、お散歩、オンラインZoom。

臨床心理系の最先端の学びを受け続けながら、心理カウンセラーとして、傾聴ボランティア活動を続ける今。

ボランティアとは。
ボランティアとして。

求められること。
できること、できないこと。

これでいいのか。
これがいいのか。

したいことなのか。
仕方ないことなのか。

毎日考えながら悩みながら。

悩みながら今のところの、わたしの考え。
”学びで得た知識を存分につかい、専門性を活かし人と関わることに、有償無償の分け隔てはない”

そんなわたしの、ボラ活のお話です。

施設内傾聴に伺うと、来月100歳になるというおばあちゃまに出会いました。

車椅子に座って俯いたまま。その傍らに座り、声をかけてみましたが反応はなく声も出しません。

耳が遠く聞こえない様子。

わたしは、おばあちゃまの背中にそっと手を当てて、しばらく一緒に黙っていました。

腿の上にのせているおばあちゃまの手に目をやると、なぜだか母の手に見えてきて、わたしは自分の手をおばあちゃまの手の上に重ねてみました。

すると、おばあちゃまはその手を抜き、わたしの手の上に重ね直し、「冷たい、かわいそう」と手をさすり始めました。

あ、声。

おばあちゃまは、わたしの手を見て「かわいい手、おばあちゃんの手シワシワ」と言いながら、わたしの手をさすったり、今度はにぎにぎ握り始めました。

握るその手の力はとても強く、「力がある」と耳元で伝えると、おばあちゃまは「働いてたから」と、自分の手をグーにして力を入れながら言いました。

おばあちゃまは、私の手を温めるのをやめず、自分のほっぺに当てたり、あご下に入れてきゅっと挟んだり、さすったり握ったり。

そして今度は、私がおばあちゃまの背中に手を当てているのと同じように、わたしの背中に手を回し、手をあててくれました。

もう言葉はいらない。

わたしは、おばあちゃまのあたたかさと力強さを受けながら、親に守られる小さな子どもになったように、そこに身を置き、あたたかさをこころで感じていました。

お別れ際に、おばあちゃまは、わたしに「ありがとう」「ありがとう」と言うのでした。

わたしの方が、ありがとう なのに。

親の愛情、無条件の愛を受けたような、あたたかなひと時をくれた、おばあちゃま。

ぬくもりの癒し。
言葉のない傾聴。

来月、100歳のお誕生日を迎えるというおばあちゃまに、また会いにいきたい。

出会ってくれて、ありがとう。
ありがとうございました。

正解はない中、ずっとずっとあなたを考える。
わたしの中に今ある知識をくまなく持ってきて、こっちからあっちから斜めから逆から、あなたを知るすべに変える。

どうか、こころの知識が優しさになりますように。

母に会いに行こうかな。

しぶボラall ears!
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かめがやけい

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