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神々の息吹を感じられる場所・可愛山陵

今回は、3つ目の神代三山陵(かみよさんりょう)である可愛山陵(えのさんりょう)をご紹介します。
 
以前、ご紹介した神代三山陵については、こちら☟

可愛山陵の場所
(Created by ISSA)

可愛山陵について
吾平山上陵や高屋山上陵と同様に、ここも御陵(みささぎ)、つまり天皇のお墓になるので、宮内庁が管理するエリアになります。

御陵近くの案内板
(Photo by ISSA)

ただ、他の御陵と違うのは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をお祀りする神社が併設されていることでしょうか。

御陵の麓にある新田神社の鳥居
(Photo by ISSA)

御陵と神社の近くまで車で上がることもできますが、麓から徒歩で上がると、急峻な坂道や階段を上ることになります。

御陵と神社まで、急峻な坂道や階段が続く
(Photo by ISSA)

神社の横道から、可愛山陵に行くこともできます。その道のりは自然豊かで、木々が風に騒めき、野鳥がさえずる、神々の息吹を感じることができるスポットでした。

御陵への道中、神々の息吹が身体を駆け抜ける
(Photo by ISSA)

辿り着いた行き先に瓊瓊杵尊の陵墓があり、鳥居がある御拝所から先は立入禁止となっています。
 
空から見ると山自体が亀の形に似ていることから、別名「神亀山」(しんきさん)とも呼ばれているようです。
 
なお、神亀山の5分の4が御陵の領域となっていて、御陵と神社が一体となっているのは全国でもかなり珍しいようです。

鳥居の向こう側に御陵がある
(Photo by ISSA)

瓊瓊杵尊について
さて、ここに眠る瓊瓊杵尊は、高天原(たかまのはら)から多くの神々を率いて、葦原中国(あしはらなかつくに)(注1) へ降臨した神様で、下図のとおり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の直系の子孫となります。
 
(注1) 天上の高天原と、地下の黄泉の国(よみのくに)との間にある地上の世界のこと

神々の系図
(Created by ISSA)

その昔、須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫である大国主命(おおくにぬしのみこと)が葦原中国の国造りを始めた頃、高天原の神々は、葦原中国をうしはける(領有する)者は、須佐之男命の子孫ではなく、天照大御神の子孫であるべきだと考えていました。
 
天照大御神が、使いを通して大国主命に「この国を譲るか」と問うたところ、大国主命は自分の住まいとなる宮殿(現在の出雲大社)を造ることを条件に国を譲ることを承諾しました。

その後、天照大御神は、自分の孫にあたる瓊瓊杵尊に、葦原中国を高天原のように素晴らしい国にする(注2) ため天降る(あもる)ように命じ、瓊瓊杵尊は猿田彦神(さるたひこのかみ)の案内で、三種の神器とともに日向国の高千穂の峰に降臨したのです。
 
(注2) 天照大御神から、葦原中国を豊かで平和な国にするようにと授かった稲穂は、後年の神武東征によって日本各地に広まった
 
その後、瓊瓊杵尊は大山津見神(おおやまつみのかみ)(注3) から娘をもらうことになりました。
 
(注3) 瀬戸内海・大三島にある大山祇神社の御祀神であり、古くから、村上一族をはじめとする海賊衆、水軍、海軍関係者から、海の安全を守る神と崇められている

大山津見神は、磐長姫(いわながひめ)と木花咲耶比売(このはなさくやひめ)の二人の娘を送り出したのですが、瓊瓊杵尊は絶世の美女であった妹の木花咲耶比売を妃にし、あまり美しくはなかった姉の磐長姫を親元に返してしまいました(長寿の象徴であった磐長姫を娶らなかったため、瓊瓊杵尊に「寿命」が与えられたという)。

そして、瓊瓊杵尊と木花咲耶比売の子孫は、その後の海幸山幸や神武東征へと繋がっていく訳です🎗️
 
おわりに
鹿児島県内にある、皇祖神の3つの御陵「神代三山陵」についてご紹介して参りました。

そもそも、日本神話に出てくる皇祖神は、実在していたかどうか定かではありません。

にも関わらず、南九州一帯に伝承や縁の地が散在し、このような御陵があることは、ご本人か、或いはご本人のモデルとなった人物が実在していた可能性を示唆しています。

また、高潔な神々の神話でありながら、随所に人間臭さが漂うところも、日本神話の面白さなのかもしれません。

日本には、八百万の神々のがお住まいになるスポットが、そこら中に存在しています。日々の生活に疲れた時は、その様な場所を訪れて、身体中を突き抜ける「神々の息吹」に身を委ねてみて下さい🍀