見出し画像

神々の息吹を感じられる場所・高屋山上陵

今回は、2つ目の神代三山陵(かみよさんりょう)である高屋山上陵(たかやさんりょう)をご紹介します。
 
以前、ご紹介した1つ目の神代三山陵・吾平山上陵については、こちら☟

高屋山上陵の場所
(Created by ISSA)

高屋山上陵について
吾平山上陵と同様に、ここも御陵(みささぎ)、つまり天皇のお墓になるので、宮内庁が管理するエリアになります。

御陵近くの案内板
(Photo by ISSA)

ここも、一般人が御陵の近くまで行くことができます。その道のりは、やはり自然豊かで、風にざわめく木々の音、野鳥のさえずり声など、神々の息吹を感じることができるスポットでした。

杉木立に囲まれた御陵へと続く道
(Photo by ISSA)

辿り着いた行き先に、火遠理命(ほおりのみこと)の陵墓があります。御陵は標高390mの小高い丘の頂にある円墳で、鳥居がある御拝所から先は立入禁止となっています。

鳥居の向こう約60m先に御陵がある
(Photo by ISSA)

1872年に明治天皇が参拝したほか、1920年には、皇太子だった昭和天皇が東郷平八郎を伴って参拝しています。また、1962年にはの皇太子だった今上上皇と上皇后が参拝されています。

行幸啓記念碑
(Photo by ISSA)

参道沿いには、ところどころ赤色の杭が。敷地の境界を示す境界杭のようですが、どことなく結界のようで神秘的でした。

まるで結界のような境界杭
(Photo by ISSA)

さて、ここに眠る火遠理命は、別名「山幸彦」(やまさちひこ)とも呼ばれる有名な神様です。

下図のとおり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花咲耶比売(このはなさくやひめ)との間に生まれた3兄弟の末っ子になります。

神々の系図
(Created by ISSA)

一夜の契りで懐妊したことから、瓊瓊杵尊から本当に我が子か疑われた木花咲耶比売は、身の潔白を証明するために「もしあなたの子でなければ、無事には生まれないでしょう」と言って、火を放った小屋で出産します。

そして、燃え盛る小屋の中で産まれたのが、火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)の3兄弟(注1) でした。
 
(注1) 長男は、火が盛んに燃えているときに生まれたので「火照命」、三男は火が消えかけているときに生まれたので「火遠理命」と名付けられた

海幸山幸の神話
昔々、あるところに、海での漁が得意な海幸彦と、山での猟が得意な山幸彦という兄弟がいました。
 
あるとき、弟の山幸彦が兄の海幸彦に、お互いの道具を取り替えてみないか、と持ち掛けます。
 
しかし、海幸彦からは、命よりも大切な道具だから、と断られてしまいます。
 
諦めきれない山幸彦は、海幸彦を何とか説得して、1日だけ道具を交換して貰えることになりました。

釣り具を手に入れた山幸彦は、早速、海で釣り糸を垂らしてみますが、魚は釣れず、仕舞には大事な釣り針を海中に落としてしまいました。
 
山幸彦は、海幸彦に釣り針を無くしたことを正直に打ち明けて何度も謝りましたが、海幸彦は自分の釣り針を返せの一点張りで、許して貰えませんでした。

途方に暮れた山幸彦が海辺にたたずんでいると、そこに潮の神様である塩土老翁(しおつちのおじ)(注2) が現れました。
 
(注2) 神武東征伝説にも出てくる神で、倭伊波礼毘古命(後の神武天皇)は、塩土老翁から「東に美地(うましつち)有り、青山(あおやま)四周(よもにめぐ)れり」と聞き、東征を決心したという
 
話を聞いた塩土老翁は「海の神・大綿津見神(おおわたつみのかみ)が力になってくれるだろう」と言って、山幸彦を大綿津見神の宮殿へと案内しました。

宮殿に着いた山幸彦は、そこで大綿津見神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)と恋に落ちて結婚。3年の月日が流れたある日、自分がこの宮殿に来た本当の理由を思い出します。

話を聞いた大綿津見神が、海の魚たちを呼び集めて問うたところ、3年ほど前から赤いタイが、何かが喉に刺さって物が食べられないと苦しんでいることが分かりました。

大綿津見神は、早速その赤いタイを呼んで喉に詰まった針を取って、山幸彦に渡します。

大綿津見神は、塩満珠(しおみつたま)と塩乾珠(しおひたるたま)という二つの珠(注3) を山幸彦に渡し「海幸彦が攻めてきたら潮満珠を使って溺れさせ、許しを請うてきたなら塩乾珠を使って助けなさい」と言って、山幸彦を地上へと帰しました。
 
(注3) 二つの珠は、その後、吾平津媛の手に渡り、媛はこれらをお守りとして神武東征の成就を祈願し続けたという

地上に戻った山幸彦は、海幸彦に釣り針を返すことが出来たのですが、海幸彦の暮らしは次第に貧しくなっていきます。
 
そして、すっかり荒んでしまった海幸彦が山幸彦のもとに乗り込むと、山幸彦は塩満珠と塩乾珠を使って兄を溺れさせ、そして助けてやりました。

このことで、すっかり山幸彦に服従した海幸彦は、以後、守護人として山幸彦に仕えることとなりました。

その後の物語
山幸彦はその後、妻の豊玉姫との間に鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を授かります。
 
出産の時、本来の姿(鮫?)を見られてしまった豊玉姫は、妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として地上に仕わせ、宮殿に帰ってしまいます。

後に、鵜草葺不合尊は玉依姫と結婚し、4人を出産しますが、そのうちのひとりが、倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、後の初代・神武天皇です。

つまり、山幸彦の子孫が歴代天皇ということになるのですが、他方で、海幸彦の子孫は南九州で活躍した隼人族ではないかと言われています。
 
実際に高屋山上陵から少し南に下ったところに「隼人」と呼ばれる地域がありました。
 
天皇家の祖となった山幸彦のお墓は、山幸彦の守護人として仕えた海幸彦の末裔である隼人族の地で、今なお守られているという訳です。何だか奥深いお話ですね✨

それにしても、神々の系図を見ても分かるとおり、歴代天皇は、太陽の神(天照大御神)、山の神(大山津見神)、海の神(大綿津見神)の血統を受け継いでいる訳ですから、あらためて凄い事だなあと思いました。
 
お近くにお越しの際は、是非、訪れてみてください🍀