「いい変」と「わるい変」
変な人のなかに、「いい変」な人と「わるい変」な人がいると思う。
私は「いい変」な人になりたい。
そのためには、違和感を掴み取る感性が必要だとも思う。
変なものを変と言ってもいいんです
昔、のん(能年玲奈)が出した楽曲に「変なものを変だと言ってやれ」「変なのに好きだ」みたいな歌詞のものがあった。私はそれが好きでよく聴いていた。曲名は忘れたけど、アルバムの1曲目だったはずだ。
最近は、変なものに対して「変だね」と言ってはいけないような雰囲気があるように感じる。でも変で好きなものとか、ただ変なだけで別に全く悪くないものに対しては「変なの」と言っていいような気もする。
私はDJ KOOやりゅうちぇる、ROLAND、滝沢カレンが好きだ。みんな変で、みんな魅力的だと思う。
悪い「変」
私も他人から変だと言われることが多い。直接言われることは滅多にないが、友人が私という人間を紹介するときに「変わってる人」と言う。
でも、悪い意味での「変」じゃないのなら、まあ変なままでいいか、と思うようになった。
例えばファッションなんかも、私は流行と何の関係もない格好をするので変だと言われる。喋り方や、喋る内容も変らしい。若いころは、自分が変であることが嫌だった。普通になりたかった。
悪い変というのは、例えば見た目で言うなら、威嚇的だとか怪しいとか不気味な感じとかではないだろうか。だから、いくら「これが私の"スタイル"だから」といって、初対面の人を怖がらせるような格好はしたくない。
喋り方で言うなら、トゲトゲしさや詐欺師っぽさが「悪い変」だと思う。そういうのでなければ別に変でいいや、と思うようになった。
いい変はなんだろう
じゃあ「いい変」な人はどうしてそういう印象があるのかな?と考えると、それは「視野の広さ」によるものだと私は思う。
一見すると自分らしさを貫いているようでいて、周りを気遣っていると言うような感じだ。さっき書いたDJ KOOは、実はテレビ番組に出演するときには、自分が座るスタジオの内装をチェックして、それと色合いが調和するような格好をしていくことを心がけているらしい。
自分らしさと周りに合わせることは、実は両立できるのかもしれない。