占いが絶対に当たる理由
この記事とおなじタイトルでspoonというアプリからラジオ配信をしたら、コメントがめちゃくちゃ荒れた。
後のほうに詳しく書くが、その荒れたことによって私の仮説が証明されてしまった。
占いが当たる理由
まず私は次のように主張した。
・人生を「自分が主人公の物語」と思う気持ちが強ければ強いほど占いはよく当たる。
・占いがよく当たる人は、引き寄せの法則もよく当たる。
そのあと時間をかけて、私がそう思った経緯を説明した。その過程のなかでリスナーが「話をよく聞いてくれる人」と「荒らす人」にきっぱり分かれてしまったのだ。
私が言いたいのは主観と客観の話だった。
大学で学んだこと、友人から聞いたこと、本で読んだことを頭の中でまとめると、やっぱり自己中な人ほど占いが当たると思う。
荒らす人の特徴
荒らした人たちは、私が経緯を説明してる途中でたくさん反論した。私の持論に対する反論ならむしろ歓迎だ。
しかし荒らす人は上に書いた持論と関係のないことを書く。話を逸らす。こっちの質問と違うことを答える。答えようのない質問を私にする。
私の持論を否定したいのか、私を否定したいのか、自分の持論で私を上回りたいのか、どっちつかずなコメントが溢れた。
特に印象深いことに、荒らす人はたくさんコメントを書くのだけれど、そのコメントたちが途中で矛盾しだすことがあった。また、荒らす人のコメントは誤字が多かった。
私の話を聞いて「それなら自分の場合は占いが当たらない」と書いておきながら「タロットカードを持っている」と書いた人もいた。
私からはリスナーの様子は見えていないが、きっとすごく速いスピードでコメントを書いているのだろう。
また、荒らす人たちは私の枠(spoonのライブ配信を受信するページ)に入るや否や「占いが絶対に当たる理由ってなに?」という意味のことを質問した。つまり、結論を急いだ。
荒らす人たちは自分の言葉で私に影響を与えたがるという特徴を持っている。
よく聞いてくれた人の特徴
よく聞いてくれた人は、私がひとしきり話した後にコメントをくれた。「そうかも」とか「なんか洗脳みたい」といった内容だった。つまり感想だ。
また、よく聞いてくれた人は私の枠に入ったとき「タイトルが気になって来ました」とか「占いの話してるんですか」などのコメントを書いた。自分自身を来客としてコメントしているのだ。
きっとよく聞いてくれた側の人は、まず私の持論を聞いたうえで、後から信じるか信じないか考えられるのだろう。
まずプレゼントを貰っておいて、それを捨てるかどうかは後で決めよう、という感じだ。
よく聞いてくれた人たちは「でも占いって当たったり外れたりするよな」という意味のことも書いていた。
待ってから考える。他人の意見をとりあえず聞いておいて後から検討する。むしろこういう人の方が芯が強いように思う。聞くことと従うことは、違う。
きっかけ
そもそも私がこんなことを思ったのは、このnoteにもしょっちゅう書いているけれど、引き寄せの法則、占い、宗教などに関する体験や研究と、それらをよく知る友人との会話が始まりだった。
最近もおなじようなことを書いた。
ようは主観と客観のバランスによって占いが当たったり外れたりするよ、という話だ。
宗教的な教えもこれに近い。そのルーツは、天体の動きにある。
太陽と星
メジャーな一神教はほとんど太陽を神様とするところから発している。
冬至のシーズンに滅び=死があり、そこから3日目に復活がある。クリスマスが12月25日である理由もそこから来ているそうだ。
一神教の神の弟子が12人なのは、星座と対応しているのではないか。
そんな話を友人から聞いた。なるほどと思った。実際にはもっともっと深くて本格的な話だったが、私にはうまく説明できない。
常連さんが書いた「まとめ」
友人の話を聞いた翌々日、私は「それなら、占いって絶対当たるよな」と思った。
厳密には、外れていてもそのことに気づかないのだろう。自己中な人はある種の歌を聴いても「この曲は私のことを歌っている」と感じる傾向が強いのではないだろうか。
そしてspoonで持論を話した。
荒れに荒れた枠の最後のほうで、常連リスナーさんが「この枠が荒れたことによって、図らずも増田さんの持論が証明されてしまったね」と書いた。
私はそれを読んで大笑いした。