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非持続性心室頻拍のはなし

 かれこれ、7年くらい前の話です。
 その頃は仕事もやや忙しく、なんとなくワタワタと暮らしていたわけですが、ある日の晩、ソファーで家族とくつろいでいたところ、急に目の前がフワーと暗くなって次に気がついた時には、床に横たわってモゾモゾと何かうわ言のような事を呟いていました。
 6月のジメジメした暑い日でした。私は生まれて初めて気を失ったのです。34歳でした。

 その時感じた原因不明の気絶への不安や、その後の原因解明までと、今の暮らしを取り戻すまでの記憶をnoteに記す事で、もしかしたら似たような体験をしている人にとって、なんらかの情報提供になったらいいなという思いと、健康って病気をして初めてありがたみがわかり、治るとすっかりその時の気持ちを忘れてしまいがちなので、そんな意味からもここに書いておこうと考えたわけです。それにあんまりこういう体験てできないから、とにかく書いてみようと思ったわけです。

 気絶後、気がついた時には、何がなんだかわからない状態で、汗をびっしょりかいていました。顔面から行ったみたいで、倒れた衝撃でメガネはひん曲がり、使い物にならない状態になりました。
 実際には、気を失ったあと、床に倒れて気がつくまで、意識が飛んでた時間は、数十秒だったんだと思います。ただ気を失う直前に、あ、やばいと思ってなんかグニャ〜となったんですね。
 横で一緒にくつろいでいた妻と生まれてまもない小さな娘はさぞかし驚いたことでしょう。とはいえ、驚きながらも妻はひっくりかえった私にあれこれ声をかけてくれていたようです。

 そのおかげで我に帰ったあと、結局その晩は、救急病院に自ら電話して、病院の人から、救急車呼んでもいいし、送ってくれる人がいるなら、送ってもらってもいいから、とにかく夜間救急まで来てくださいと言われ、その晩のうちに、病院で診てもらえることになりました。

 小さな娘がいることと、もう夜も遅かったので、妻は自宅に残ってもらい、実家の母に一部始終を説明し、病院まで送ってもらうことになりました。
 その夜は、軽い問診や、CT、心電図、血圧とかそんなようなことを、一通りやってくれて、とりあえず、いますぐに何かしなくてはいけないような危険な状態ということはないということで、近いうちに内科の受診をするように言われ、帰ることになりました。

 次の日からは、またちょいと忙しい普通の生活が始まるわけですが、前の晩に起きた出来事を職場で説明したところで、ただの世間話の不健康自慢程度の話題で終わってしまい、自分も大したことはないのかな?なんていう気持ちになっていくようでした。

 ただ、心のどっかに心配な感じがあって、誰にどういう説明をして良いのやらという状態のまま、毎日を暮らすこととなったわけです。これと言った解決策もないまま、とりあえず、内科を受診してくれという話だったので、緊急でお世話になった病院に予約を取り、診察をしてもらうことになりました。

 血液検査とか、普通の健康診断なんかで実施する検査をいくらかやり、それに加えて、MRやら、脳波だといった今までに経験したことのない検査もやりました。MRの中では、ヘッドホンつけて、爆音の情熱大陸が流れたり。脳波の検査では、じゃあ眠って下さ〜い。とか無理難題言われたり。と思ったら意外とあっさり眠れたり。色んな経験しました。
 なんやかんやと予約と検査と結果発表を繰り返しながら、あの気絶から1カ月くらいが過ぎ去りました。その間、言葉にいい表せないような違和感と、それが気絶の原因では無いかとか、そういえば昔から俺は、原因不明の不調やらがあったような気がする。頭痛とか。息苦しいとか。諸々。そんなようなことを妻や職場のみんなに訴えつつも、そんな異常があったら検査でわかるでしょうという回答が帰ってくるだけだし、忙しい仕事から逃げ出したいだけじゃないのかみたいな空気になるだけで。誰もあまり気にもしていないような感じでした。

 そんな風に言われると、なんとなく心配もなくなって、それもそうだな。きっとなんかの検査でなんかの異常が見つかって、なんかの薬を飲んで、改善されるかな。と心が変わっていくような気も。

 結局、妻や、周りの予想通り、どの検査でも異常は見当たらず、健康そのもので、気絶の原因はわからないどころか、内科の先生は一過性のなんちゃらかんちゃらだと言い出しまして。   

 長かった検査もこれでしまいにしましょうという雰囲気が漂ってきました。「そうか。異常はないのか。だけど、あの気絶。。あとこの表現できない違和感のようなものはなんだろう。」やっぱり妻のいう通りなんでもないのかなと。そんなことを考えたりも。

 先生が最後になんか気になることはありますか?と、もうこれであなたの気絶にまつわる検査はエンドロールに向かいますよと言わんばかりの雰囲気になったので。

 いやいや、ちょっとまって。

 やっぱりこれでおしまいはおかしい。気になるどころか、いきなり気絶して、見たことない機械にも入って、情熱大陸聞いて、色々調べたにも関わらず、気絶の原因が分からないって、気になることだらけで。
 逆に問いたい。先生。このままそうですか、異常がないならもう安心ですね♪って帰る人がいるんでしょうか?
 というようなことをやんわり伝えたところ。
 うーん。そうですねぇ。。まぁこういう場合のスクリーニングとしては、こんなもんですけどねぇ。と。
 このままでは終わってしまうぞ。という危機感から思い切って、昔から感じていたというたまに頭痛とか、たまにだるいとか。
 そうそう!息苦しいとか。結構気になることあります。と伝えました。息苦しいかぁ。じゃあホルター心電図でもやってみます? と先生。

 あるじゃないですか、次のステップ。

 ということで、やはりこれにも予約が必要で、数日後に予約を入れ、24時間心電図というものをとることになったわけです。これは、朝10時なら10時に上半身にペタペタと受信機のようなものをセットして次の日の朝10時にそれを取り外します。その間、受信機が心臓の信号をキャッチし、体につけた小さな機械がそれを記録し続けてくれるという優れもので、もしこの間に息苦しさや、違和感のようなものを感じることが、あったら、機械にくっついているボタンを押し、その時間や症状ををメモしておいて、そのメモと機械を先生に返すというような検査です。

 では、検査結果が出るのは、2週間後です。外来の予約をとってください。朝ホルターを外した時に、そのように言われました。2週間後か。これで何かわかるかな?なんて考えつつもあれ以来気絶もしないし、大好きなサッカーもしてたし、日常の暮らしは続いていました。

 ホルターを返した翌日の昼。仕事で上司と車で出かけていたところ、知らない番号から着信がありました。

 もしもし?

 着信は病院からでした。二週間かかると言っていたホルター心電図の速報が病院に来ました。とのこと。
 きいてください。たまに聞くと思うんですけど、若い人の突然死ってあるじゃないですか。

 ???
 何の話?

 先生の話は続きます。あれって心臓に異常があったり、そういう事が原因とかって事が結構あるんですよ。まあでも検査して、ペースメーカーつけたり、そんな事も方法としてはあって。 

 あ。はあ。はあ?

 ともかく、ちょっと速報でこれはよくない状態なので、今日これから病院これませんかね?もしよかったら。あ。それと、車の運転しないでくださいね。これます?そのまま入院してもらいますけど。16時までには来て欲しいんですよ。明日手術になるので。あとこのまま循環器の先生に引き継ぎますので、そっち行ってくださいね。

 いやいや行きます。ていうかなんだって?突然死?おれ?誰?の話だっけ。電話で?あれ?一過性のなんちゃらだって、あんた言ったでしょうが。手術?色々めぐりました。情熱大陸も頭をめぐりました。これますか?って先生。死ぬかもしれないって言われて、今日はムリですとか言うやついないだろ?いるの?いないよ。行きます。先生。え?ペースメーカー?

 とりあえず横にいる上司に。
 あの。。今病院から電話で、突然死するかもしれないから入院しろって言われました。これから行きたいのですぐ戻って帰らねばなりません。あと、車の運転変わってください。先生がダメって。

 なんだ?なんだ?まじか?と。上司。おれ。パニック。

 その後妻にも電話し、入院します宣言と、車運転してはダメだから、迎えに来て欲しいと伝えて、ドッキリのような空気のまま。

 慌てて帰って、病院につくと、受付で車椅子に座らされました。
 そんなに?なんかなってんの?おれ?
 昨日サッカーしてたおじさんが、今日は車椅子乗ってます。元気なのに。。。

 さっき電話をくれた、いつもの内科の先生には、その後一度も会うことはなく、循環器の先生が今日から担当になりました。なかなか感じのいい先生です。丁寧に心電図の話を教えてくれました。いわゆる不正脈という、心臓のビートが飛んだり、早まったりする、規則正しい正常なビートと比べ、不規則なビート。これが不正脈で、通常の大人でも日に何発かは、起こるものらしく、不正脈事態は誰にでもあるものという事。ただ私の心電図は、ホルターの結果、日に1500発ほどあったそう。不正脈が起こると、血液の流れが悪くなり、一時的に脳に血液が回らず、気を失ってしまう事もあるという。もし、運転中にこんな事が起こると、大事故になる事もあるし、そういう事故も起きている。そんなわけで運転も控えてもらったんですよ。とのこと。ガッテン承知しました。私の気絶はこれだったんですね。先生いわく、心電図でこの症状を見極めるには、ある程度熟練度が必要とのことで、実は倒れた晩にとった心電図にもしっかり、不正脈はでていたとのこと。だから循環器の先生以外ではわからなかったんだな。

 でもなんで?どうすれば不正脈って防げるの?血が悪いの?こんな疑問をぶつけてみました。ようするに心臓を動かす電気回路のようなものがあって、もちろん普段は、正常回路で心臓を動かしてる。ただ先天的に違う回路を持っている人もいて、こっちの回路になんかの拍子に切り替わっちゃうと、変なビートを刻んでしまう。大人になって加齢やストレスで、この違う回路に切り替わりやすくなっちゃう事がある。血液には、問題ありません。こんなような説明でした。
なるほど〜。なんというか昔から呼吸が足りない(という表現があってるのかわからないけど)深呼吸をしたいけど吸い足りないような感覚。こんなのも、不正脈のせいだったのかもしれない。そんな事を考えました。

 不正脈について、ひととおりの説明を聞いたあと、では、これの治療はどうするのか。話はそっちに切り替わっていきます。

 脚の付け根とか、腕とかの太い血管から、管を挿入して、心臓の悪い信号やらを検査する。それで不正脈を起こす回路を見つけて、焼いちゃうという治療。カテーテルアブレーションによって、不正脈の根治ができるようになってきてるというお話。
 ただ、これには、技術が必要で、できる先生があまり多くはいないとのこと。この病院では、あなたと同じように、不正脈で苦しんでいる患者が何名かいて、たまたま明日、アブレーションを実施する日となっていて、そのために経験豊かな先生が、来る事になっている日だとの事。そこで、急遽だけど、入院してもらう事にした。

 通常は、不正脈が発覚してから、検査をして、アブレーション実施までには、時間をかけて、実施するしないを決断していくものらしい。それでいよいよ手術となるのが、一般的との事だけど、たまたまのタイミングで、ホルターの2日後に手術まで辿りついてしまいました。3日前まで、気絶の原因がなんだかわからなかったのに、どうやら、原因は心臓の不規則ビートで、さらに明日には焼いちゃうというスピード処理。ラッキーな展開だったのかもしれませんが、脳みそがついて行けません。説明の中ではもしかしたら、機械を埋め込まなくてはならないかもしれないとか、もうサッカーできないかもしれないとか。そんな話も。

 そうは言っても、先生の説明では、このアブレーション。受けた方が絶対にいい。やりましょう!という事だったので、お願いしますとそのまま明日行われるカテーテルアブレーションを受ける事になりました。こんなストーリー、簡単に受け入れていいんだろうかと。今にしては思いますが、不思議なもので、その夜にはすっかりその事実を受け入れ、明日の手術に向けて、アンダーヘアーを剃りあげておりました。

 手術の日の朝、管の挿入という一大イベントが待っていました。カテーテルアブレーションは、足首の付け根からカテーテルを挿入して何時間もかけて施術したあと、脚の付け根の太い血管に穴が開いた状態になるので、止血の間、またしばらく仰向けのまま動けなくなります。何時間もです。そのため、当然だけど、トイレにはいけません。
 すなわち、そのための管の挿入というわけです。それの先端から何やら管をいれ、抜けないように固定されてるのですが、痛いし、気持ち悪いし、おっかないし。

 もともと予定に入ってなかった患者ですから、順番も最後の方です。まだかまだかと待っていましたけど、その時は突然きました。のどかだった病室に何人もの看護師さんが集まってきて、ストレッチャーに載せられます。
 3,2,1,ハイ!
 あっという間にオペ室に運ばれました。救急救命24時みたい。
 上向きで寝転がってるから、視界に限りがあるけど、見た事も無い装置がいっぱいです。
 それと、この部屋には、会ったことの無い先生達もいっぱい。みんなそれぞれに仕事を持っていて、何やら忙しなく、動きまわっています。そして私の身体にいろんな装置のようなモノが装着されて行きます。もちろん例の管は刺さったままです。アブレーションの最中は、麻酔を打たれてますが、意識はしっかりしてます。だから、先生達のやりとりも皆さんの動きも結構把握できます。
 麻酔も終わった。いよいよ始まりそうです。というところで、昨日初めてお会いした循環器の感じのいい先生が目の前に現れました。
よろしくお願いします。
つーか。この人がやるの?経験豊かな例の先生はどうなった?
 すこーし、不安がよぎりました。まあなんだかわからないけど、よろしく頼みます。始まりました。

 もう血管の中に管は入ってる?先生は何やら見ながら作業を進めてます。
 あとなんか喋ってます。スピーカーの声と。「これこれ、この波形だよ!ここ行こう。30から。出来れば120まで行こうか。 」とスピーカー。先生は、はいと答える。はい10秒。20。30。「次60までー。」はい。

 なんか全部聴こえてくる。もしかして、このスピーカーの声の主が、例の先生か?きっとそうだな。迷いの無い声。目の前の循環器先生の従いっぷり。間違いない。別室で、波形を見てるんだ。そんで焼き加減を指示してる。30だの60だのは、恐らく焼き時間。

 あっつ!あたたた。あちっす! 

 患者いたがってます。
 いやもう少し。やった方がいい。あと30。
 この波形だよ。これがほしい。もう一回行こう。

 あっつ。

 こんな攻防を何度か繰り広げました。

 基本的に上向きで寝てるだけだけど、ものすごい疲れた。でも、痛みを伴うこの治療。なんか治してる感がすごい。これが終わればきっと治っているに違いない。スピーカーの声の主はできる男だ。見た目もきっとダンディで草刈正雄的な男に違いない。

 あとで聞いた話、かれこれ4時間くらいの手術だったらしい。無事終わった部屋の中は、大事な会議が終わった時のように、ざわざわしており、たくさんいた皆さんが再び自分の役割の仕事をさっさとこなしていました。終わったんだな。こんなにたくさんの人に助けて貰ったんだ。泣けてくるような思いでした。 

 ポンポンと肩を叩かれる。「おつかれさま。よかったね。無事に終わったよ。」
 見上げる。草刈正雄?じゃない。だれ?
 白衣のおじさん。この人が…

 とにかく終わった。よかった。だけどまだ動けない。このあと6時間くらい寝返りも禁止。ひたすら上向きで過ごさなきゃならないとのこと。うー。つらい。動けないってつらい。しかもあの先端に突き刺さってるアレ。もちろんまだとれない。動けないから頭も痛くなって…
 夜中にようやく先生から、先端抜いていい許可がでて、頭痛の薬も出してくれて、やっとこさ楽になりました。 

 夜中。隣からうめき声。看護婦さんを呼ぶ。     
 薬。なんでもいいから薬くれよぉ。
 先生の許可無しに薬はだせません。
 先生に言って貰えないのか〜。
 できません!

 こんなのいっぱいあるんだな。看護婦さんって大変。迷惑かけないようにしよう。

 2週間くらいの入院と聞いていたのですが、5日くらいだったか。割とすぐに退院することになりました。アブレーション後もしばらくは心電図はつきっぱなしで、具合を監視されています。夜中にどうもまだ不正脈が起こりやすくなっていると言われました。でもこれは術後に、焼いたところが、いわゆる火傷しているような状態だから、それによるもので、しばらくは、あり得ることです。また、数週間後にホルター付けて確認します。というわけで、無事退院となりました。ただ、まだ条件があって、運動はだめ。運転もだめ。

 不自由な生活が始まりました。普段どれだけ自動車に頼っていたのか。通勤は自転車でのんびりと。仕事中の運転は後輩や先輩に頼んで。
 ああ。サッカーしたい。

 再び病院にホルター付けに行きました。今回は2週間付けっぱなしのやつ。24時間のやつに比べて端子が少ない。お風呂のとき外せる。
 結果はまだ少し不正脈が多いみたい…
なんでかよくわからないけど、しばらく薬を服用する暮らしをとの事でした。あと、運転と運動はまだできない。。

 半年後また24時間ホルターやって経過観察との事で、また不自由な暮らしが継続します。

 ああ。サッカーしたい。

 薬を毎日欠かさず飲むって大変ですよね。忘れたらいかんというストレス。

 半年後、今度は再び24時間ホルター。この頃になると、自分でもわかるくらい調子いい。薬も結構忘れちゃってたけど、まあ調子いいし。ホルターの結果だって先生いわく、普通の30代の人より少ないくらいですって。でもまあ。薬も効いてるかもしれませんねぇ。と先生。

 うーむ。先生サッカーしてもいいですか?

 サッカーかー。キーパーとかじゃだめなの?
 グラウンドで倒れちゃったら大変ですよ。
 少しくらいならいいけど。

 いや。キーパーなめたらいかん。
 とはいえやっちゃダメでも無さそうだし。グラウンドで死ぬなら本望だ。とサッカー解禁しました。
 この時から、車も気をつけて乗っていいとなりました。だけど例の薬はまだ飲まなきゃダメとの事。薬局でもらう時、半年後の分まで処方されるから超分厚いんだよな。袋が。何百錠あんねん。それと先生から突然のお別れの挨拶。

 私、この春で異動になりますから、半年後は別の先生に引き継ぎしときますね。って。おい。 

 それから半年も薬飲んでは、忘れては、を繰り返して、心臓の心配をぬぐいきれない毎日が続くのです。でも身体は至って順調。運動してなかったせいで、体重と腹はこの頃ピーク。サッカーしても重いのなんの。でもサッカー楽しい。サッカー最高。

 半年後、診察室で待ってた先生は、やっぱり知らない先生。24時間ホルターもやっぱりやったんだけど、異常はなし。前の先生は一生薬は飲み続けろみたいなこと言ってたけど、この先生は違いました。

 薬もうやめましょう。大変でしょう。こんだけ、不正脈ないんだし。ホルターももう見なくて良さそうだけどどうします?半年後くらいにまたみます?

 え!ホント?

 それから、もう何にも制限しなくていいですよ。やりたいように暮らしてください。なんか異常を感じたら相談するってことで。

 おー。

 やります?半年後?

 あ。はい。一応、薬も何にも無しで過ごした結果を見てもらった方がいいかな?と思うので。

 じゃあ予約してってください。もう大丈夫だと思うけどね。

 ひゃっほい。でした。半年後に最後のホルターやりましたが、やっぱり異常なし。それ以降お見舞い以外でその病院には行ってません。
 解放されたのです。

 これが、私の体験談。手術の後、割とすぐだっかな?家を買う事になって。さあローンを組みましょうとなったその時に、過去何年の間に心臓の手術とかしましたか?の質問があり、あ!やってる。となって、危うくローン組めなくなりそうというピンチも実はありました。

 その時に病院の先生に相談して、慌てて診断書を書いてもらったのですが、そこに書いてあった病名がこれ。

「非持続性心室頻拍」

 初めて聞きました。不正脈とひとことで言っても色々あるみたい。そんなこんなであれからというもの昔からあった呼吸が足りない感じや、偏頭痛もほとんどなくなっちゃいました。
復活後は、サッカーをできる喜びに打ち震えるとともに、マラソンに挑戦。それから5年後には、フルマラソンを走り切る事だってできました。今のチャレンジはトライアスロンです。もちろんサッカーもまだやりたい。

 あの日気絶して、原因不明と言われた直後、死ぬかもしれないと電話で告げられ、あれよあれよとアブレーションしたあの日。こんな日が来ることは想像できなかったけど、色々なラッキーが重なって、復活できてよかったです。

 大好きなカズさんは言いました。
「全盛期?これからでしょ!」

私もいいたい。全盛期はこれから来ます。それまで健康であるとこに感謝して。





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