ASD。フラッシュバックが辛いとき
ASDは頭がいいぶん、細部までの情報を頭に焼き付かせて、
思い出したくなくても思い出してしまう。
一つのことに囚われて、
ずっと考え続けてしまうことは本当に辛い。
今日は、新しい病院の人事の担当者の方に電話した時間が、
お昼終わりだったことから
そして、たまたまお相手が運転中らしい空気があり、
なんでそんな時間にかけてしまったのだろうと、
お相手のせわしない空気や、
自分のつかった言葉のすべてを思い出しては苦しいんでいた。
今日は、対・人で、しなければならないイレギュラーなタスクが3件ほど出勤前からあり、
それを病院勤務という拘束される環境の中で並行して進めるのには無理があった。
無理があったとはいえ、親切でしごともできる現在の上司のおかげで
すべては何とか進み、
事なきを得ることができた。
さて、この反芻思考。
本当に辛い。
自分がやったことを、納得がいく現実が表れてくれるまで、
「ああしてしまったのは失敗だったのかな」
「あんな風に言ってしまったのは非常識ではなかったか」
など、延々と考えてしまう。
こんな時体を動かす看護師という仕事はありがたく、
頭も体も集中して動かし続けていないと仕事にならないから
強制的に意識をそらすことができる。
しかし、最悪なのは自宅に到着した後で、
考えが忙しくて何も手に着けることができなくなってしまう。
逃避のために、スマホを手にしてどうでもいい動画を眺めたり、
インスタグラムなども開いてみるが、
集中もできず、
罪悪感のようなものに包まれながら、
無駄だと思われるコンテンツを延々と見てしまう。
そして、どうでもいい
見てもみなくても、自分の生活には全く支障のないニュース記事を読み始め、
「ああ、自分は逃避しているんだな」と気づく。
気になることがあると前にすすめない発達障害人は、
時間があったとしても、
やるべきことがあったとしても、
何かが気になってしまうと
いばらのつるに囚われたかのように、
そこから動けなくなってしまう。
外の世界では気を張っているぶん
家に帰ると自分の思考の渦に巻き込まれ、
動けなくなり
疲労感も襲ってきて、
何もできなくなってしまう。
答えが欲しいけれど、
内向的だったり、
答えが無いものに対して思い悩んだりしてしまっているため、
なかなか自分一人で悩みのそこに居る状態から抜け出せない。
簡単に友達やパートナーに相談できるような類の人種がうらやましい。
ASDの人間の悩みは、
定型発達の人間には理解してもらえない感覚がある。
「聞けばいいのに」
そういわれても、
聞けないからこう(悩む)になっているの。
タイトル写真にあるみたいに
だれもいないところに行きたくなる。
人間て めんどうくさい。
どうしてこんなに、考える動物に生まれてしまったんだろう。
(物事を大きな枠でとらえすぎる発達障害人あるある)
答えの出ない問題だけど、
これだけは言える。
『すべては、自分の頭の中だけで、起こっている』
ASDや発達障害人の悩みは、
どうやら一般常識とか定型発達の人間にとっては、
結構なんでもない
悩む必要のないことがよくあるらしい。
脳っていうのは、危険を回避するために、
不安が増幅するように作られているのだけれど。
要するに現実では何も起きていなく、
不必要なレベルまで心配してそれを繰り返してしまっているというわけ。
だれにでもできるいい方法を教える。
それは、天井の隅に順番に注目すること。それに集中すること。
あとは、自分の爪の健康状態をじっくり観察すること。
つまり、他のことに意識を持っていければ何でもいい。
でもそれは、スマホやパソコンなどの電子媒体ではいけない。
もっと単純に観察できるものがいい。
疲れた頭に、文章や動画は刺激が強すぎる。
その場で近くにあるものをジー―――っとみれば、それだけでいい。
だんだんと、反芻の魔法(呪縛)が解けてくるかんじがする。