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オールトの雲間で feat.初音ミク 作曲後記

新曲を投稿しました!

曲作るのってすごく楽しいんですけど、完成して投稿するとこまで行ってしまうとどんなに思い入れのある曲でも全然聴かなくなっちゃうし、わりとどうでもよくなってしまう傾向にありまして…なので作曲中に考えていたことを忘れないように、後で読み返せるように、作曲後記を書くことにしました。

それと、今回は歌詞が全く人に伝わらなそうなものを書いてしまったので我慢しきれずに解説しとかなきゃ!という思いもある。あと他の方が書いた「ここはこう考えて作った~~」的な文章を読むのも大好きなので、他のボカロPさんにも読んでもらえると嬉しいなと思いつつ。

と言いつつ、単純に文章書くのが好きなので、半分は暇つぶしです笑

■音について

ベース最高!!

編曲ははつせさんのベースをいただいたところから始まりました。ドラムとピアノだけの音源をお渡しして「この進行のループミュージックを作りたいのでベースのリフをください」とお伝えしたら、ものの1週間でこのベースが帰ってきました。アンプを通していない音だとおっしゃっていたけど、そのままで最高のグルーヴを持っていたのでほぼエフェクトをかけず使わせていただきました。アタックサステイン全てに命が宿っている。おかげさまで今までで一番楽しく編曲が出来ました。はつせさんが遠くに行ってしまう前に、まだまだ一緒に曲を作りたいな。

リファレンス楽曲

リファレンスって一般的に使う言葉なのかな。参考にさせていただいた楽曲たちです。

イントロ完全に一緒。Snap音の前にReverseのSnap音つけたら気持ちいいことに気がつく。ボーカルのカットアップやドロップ終わりのシンセもこの曲のドロップからのアイデア。

コード進行とリズムはこの曲から拝借した。頭のコードずらして使ったけど、使い方間違えてたらごめんなさい。

2Aのアルファベット読みはこの曲の間奏からのアイデア。

■言葉について

テーマ

一連の歌詞の根源にあるイメージは、宇宙の中の自分を空間的あるいは時間的に俯瞰して見たときの風景。

遥かなる時の流れの一点で、茫漠な宇宙の一座標に生まれ落ちた私。その小ささと無力さ。

一方で、自分の抱く感情のリアリティーと、存在していたい欲を無下にはできない。その大きさと切実さ。

両者の矛盾を抱えながら生きる危うさ、有り体に言えば、唯物派にも唯心派にも収まることのできない思想的な危うさをそのまま表現して、それでも精一杯生きる方を選びたいという想いを書きたくて、このテーマで歌詞を考えました。

「オールトの雲間で」というタイトルも、太陽系の奥に生きるちっぽけな自分を、別の銀河系の雲間から覗くようなイメージでつけたものです。

オールトの雲(オールトのくも、Oort cloud)あるいはオールト雲(オールトうん)とは、太陽系の外側を球殻状に取り巻いていると考えられている理論上の天体群である。 名称はオランダの天文学者ヤン・オールトが、1950年に長周期彗星や非周期彗星の起源として提唱したことに由来する。

それと、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」が好きで、この空気感をオマージュしながら書いていました。

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
 (或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

宇宙に生きる孤独や不安をコミカルに肯定(?)してくれるこの詩が好きで、「くしゃみ」をするという表現を歌詞に引用させてもらいました。

谷川俊太郎はあるトークイベントで以下のようにも発言していて、

「『Where am I』というテーマを宇宙の文脈の中で考えたのは、自分が一人っ子で母親に非常に愛されていて、社会との人間関係が希薄だったことが関係しているように思う。周りの社会を飛び越えて、一個の生物として宇宙にいることにリアリティーを感じた」

この曲の歌詞の根底にある感覚も似たようなものかなと思っています。社会から距離をおいたときに取り戻せる感覚。

例えば自分の手を自分の所有物として見ないように努めると、それが自分の思った通りに動く不気味さに驚愕する。この手を動かすのは自分ではなく、得体の知れぬ宇宙の力なのではないかと思う。同時に、自分が社会に生きる私である前に、宇宙に生きる生物である、そんな自覚みたいなものが生まれる。

思い返せば、一定の社会性を獲得する前、幼少の頃にこの感覚を強く感じていた気がする。社会に生きる今もたまに、息継ぎをするようにこの感覚を思い出すようにしてます。

歌詞の書き方について

以前までは完全メロ先で、なんとなく場面を想定しつつメロディに合う言葉を探していく作り方をしていたのですが、6月に投稿した「黄色い線の内側にて」から、書き溜めていた詩をメロディーに合うように整形していく作り方もするようになりました。

Aメロ~Bメロ、Cメロの2つはこの方法で作っています。

Aメロ~Bメロの元になった詩がこれ。

歴史とは
振幅を変えながら
右に左にふれるイデアの振り子だ

心とは
一定の振動数で
共鳴するシナプスの音叉だ

そう思うと感じないか

いま揺れるこの感情と
鼓動する心臓の座標が

どうも自分のものじゃないみたいに

時と空間を飛び越えて
君を愛することができたとき

ついに僕は
生きる意味を知るのだろうか

1番のAメロ〜Bメロの歌詞はこの詩のニュアンスを保ちつつ、文字数と韻を揃えられるように書いていきました。結果がこれ。

心[esprit]はいつも決められた振動数[hertz]で
響き合いはじめる神経細胞[synapse]の音叉だ

みんなそれを知ってか知らずか
美しい素晴らしい言葉を並べた

歴史[history]はいつも気まぐれな振幅[range]で
右左にふれる思想[idea]の振り子だ

みんなそれを知ってか知らずか
浅ましい喧しい言葉を並べたんだ

それならば、どうもいま揺れた心も体も私のものなのか分からなくなるよ
ほら、朝の霧の中に消えた

元の詩は好きだったけど、歌詞は文字を詰めすぎて前衛的なメロディになってしまったうえ、定型にはまった説明的な歌詞になっていて、聴くと説教をされているみたいな気分になりそうで…笑

あんまり気にいってないです。

Cメロの元になった詩はこちら。

不揃いに並ぶ屋根と
理由もなく張りつめた電線の間
落ちる西日に目が眩んだ

この街は不完全で
誰の心も噛み合わない
パズルの隙間をみてるようだ

結果…。

背を燃やした冬の斜陽
足取りのおぼつかぬ影
不揃いに並んだ屋根と
張り詰めた電線の隙間は
不完全な街で誰の心も噛み合わない
失くしたピースを待つパズルの空白みたいだ

こちらはメロディーにうまくはまってくれて良かった。「はりーつめた」のとこで6度跳躍してビブラートなしのロングノートで歌わせたところが、なかなか張りつめてる感じ出たかな、と思って勝手に気に入ってます。

歌詞解説

詩の意味が伝わらない不安に打ち勝てず、自分の思っている解釈を書いていきます。

心とは
一定の振動数で
共鳴するシナプスの音叉だ

「シナプスの音叉」って直感的に意味伝わるのかな。心理学や行動経済学で発見されてきた認知バイアスが多くの人に当てはまるところを見ると「我々の脳みそも一定の法則に従って電気信号を交わす物理的な装置に過ぎないんだな」と実感することがあって、「シナプスの音叉」っていうのはそういう意味で書きました。例えばSNSでよく見られる現象の一つにエコーチェンバー現象というものがあって、

エコーチェンバー現象(エコーチャンバー現象、Echo chamber)とは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる「反響室」のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されることを指す。

SNS自体が意見の偏りが起きる仕組みになっている。自分の意志とは無関係に増幅される意見。こういった例を見るとどんなに揺れ動く感情も、自分なりと思っていた感動も、果たして自分のものと言えるのかどうか疑わしくなってくる。途端に、心の正体が一定の振動数で共鳴する音叉のように無機質なものに思えてしまう。

歴史とは
振幅を変えながら
右に左にふれるイデアの振り子だ

歴史も同様で、たしか宮崎駿が言っていたことですけど「右派と左派は振り子のように勢力を強めたり弱めたりするものだ」というのが個人的にしっくり来ていて、そいつの気まぐれな揺れ方に振り回されて生きるのはごめんだ!みたいな想いが歌詞には含まれています。この生まれの人は大体リベラルで、この生まれの人は大体コンサバとか、そういう枠を飛び越えて人生を生きたいという思い。

■おわりに

あんまり作編曲について書くことがなくて(作ったのが2ヶ月前なので忘れている)、内容薄くなってしまった。次から作曲中にメモしとこう。。。

終わり!!

この曲がちょっとでも引っかかった人の暇つぶしになってくれれば良かったかなと思います!また次の曲でお会いしましょう~。

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