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はじめまして、えびちゃん先生です①

中学校英語科教諭15年、えびちゃん先生です。まもなく不惑、40歳。これまで教師として経験してきたことや、母として・妻として感じる家族のありかたなんかについて書いていきたいと思います。まずは私を知ってもらうのが大切かな、と思うのでしばらくは自己紹介。どうしてこの仕事をしているのか、なんかを書いていくので、誰かの進路選択や生き方選択に役立ったりしたら本望です。

この記事を読んで欲しい人は

□ 学校の先生を目指しているひと

□ 将来何になりたいか迷っているひと

□ 他人の人生に興味があるひと     です。

えびちゃん先生の生い立ち(前編)

□ 1982 都心から電車で1時間ほどのベッドタウンに、中卒の父と高卒でバツイチの母のもとに長女として誕生。

□ 1989 小学校入学 算数以外の学習はあまり苦にならないと気づく。

□ 1992 小学4年 小学生女子特有の「親友ブーム」に乗っからない友達に憧れる。そしてその友達から「えびちゃんって、人に勉強教えるの上手いから、先生とかなったら?」と言われてその気になる。

□ 1994 小学6年 生まれて初めてALTと接する。ロクに英語は話せなかったものの、身振り手振りで「This is my brother!」と言ったら伝わったことに快感を感じる。

□ 1995 中学校入学 以後今風に言えば陰キャのコミュニティに属す。でもなんとなく周りと合わないなという謎の閉塞感を感じるようになる。

□ 1996 中学2年 中卒の父、それまで働いていた設備会社をクビになり一家の大黒柱が無職に。長女の私は公立高校以外の選択肢を考えられないと勝手にプレッシャーを感じる。

□ 1997 中学3年 夏休み 2年生の時から好きだった先輩が進学した高校へ推薦がもらえそうと分かり、勉強に没頭。 無事推薦獲得。

□ 1998 高校入学 片思いで追いかけてきた先輩は、サッカーを辞めてテニス部に入部し、好きだった頃の面影は全くなくなっていた。何のためにこの学校に進学してきたのか、意味を見失う…(そんな不純な動機で学校を決めたことがまず間違い) 部活動は、中学でやっていた吹奏楽をなんとなく選択。

同年夏休みに1ヶ月の交換留学プログラムに参加。英語ができれば、自分と合う人を見つけられる可能性が上がることを肌で感じ、英語学習に力をいれる 帰国後、人生で初めて彼氏ができる(この流れだと外国人と付き合ったみたいに見えるけど、日本人)。

□ 2001 高校卒業時 彼氏と同じ大学に行こうとするも学力足らずで見事浪人決定。父は無職ではなくなっていたものの、予備校など行けるはずもないので自宅浪人。朝起きるリズムを作るために駅前のパン屋でバイトするように。

□ 2002 2回目のセンター試験 1年間一生懸命勉強したにもかかわらず、数学の点数が1点たりとも上がらなかったことに絶望するも、地元の国立大学教育学部英語科に入学(1年目に受験した大学には到底手が届かなかったため彼氏とは別の大学に)。片道80分電車に乗って、30分自転車で大学に向かうという生活。

高校選びと大学選びの動機が不純

ここまでのところ、我ながら重要な進路選択の動機がどちらも

好きな人がそこにいるから

という大変不純なものであると気づきました。いや、今気づいたというとちょっと違う。薄々感じてはいたけれど、自覚したというか。

でもいいんですよそんなもんで。高校選ぶ段階で、自分の人生がどうなるかなんか見えてないし、大学選びだってそう。結局どこを選んだって、自分がどうなりたいかが重要なのです。

もし進路選択で悩んでいる人がいたら、自分の「スキ」を見つめ直してそれを大切にして欲しいですね。その「スキ」が例え「好きな人」でもいいと思いますよ。

ということでとりあえず今日はここでおしまい。この記事の続きを読みたいと思っていただけたら、是非♡スキを押してくださいね。やる気が出ます!


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