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24-29. ぼっちな母の日『やりたいことができること』への執着

昨日は、母の日。

主人と娘(小2)は電車に乗って木下大サーカスを見に行った。

なぜ木下大サーカスなのかというと、娘が学校で割引券をもらってきて「行きたい」と言ったから。

わたしはいよいよお腹が重すぎて行けないので2人で行くことに。

旦那さんは、プリキュアショーとか、公開したてのプリキュアやドラえもんの映画とか、積極的に連れて行ってあげている。

旦那さんの娘へのギブ精神は、素直に素晴らしいなと思うけど、

わたしは娘をそういうTheイベントに連れてってあげるのに、あんまり興味がない。

たぶん娘はショーより、映画より、ふつうにスーパー銭湯が好き。

そんなわけで、母の日ぼっちとなった。

出産まで1ヶ月を切った身重な体なので、1人で休めるのはありがたいなぁ〜と思ったけど、平日も娘が学校へ行ってる間はひとりなのだ。

朝から、瞑想を20分。

ゆっくり丁寧に掃除をして、洗濯して、シーツを洗い、自分のためだけに美味しい朝食をつくり、木のテーブルに蜜蝋ワックスをかけ、メルカリを出した。

まぁ平日にもできることだけど。

つわりのトラウマでずっとカレーが食べられなかったのに、急にどうしてもカレーが食べたくなり、スーパーまでカレールゥを買いに行った。

そしたら『母の日にカレーをつくりましょう!』というPOPと共にジャワカレーが安くなってた。

パパと子供で買い物に来てる人たちもたくさんいた。そっか〜。パパと子どもがママのために作ってくれるカレーかぁ、食べたかったな。

来年は作ってもらうとして、今年は私がつくった。自分のために。

2杯、食べた。

わたしはカレーに入っているピーマンが好き。カレーに入れると甘くなるから。

カレーに入ってるにんじんは好きじゃない。
苦く感じるから。

スーパーまで重たいお腹をエッサホイサと運びながら、ふと思った。

やりたいことができることって
自由で幸せなことではあるけれど、

これって裏返すと
やりたいことができないと不幸
っていう考えに繋がってしまう。

光にこだわると、闇が際立つ。

物事は常に、陰陽だから。

幸せになるためにやりたいことをやらなきゃ、って思いすぎていたけれど、あまりこだわらない方がいいのかもしれないな。

やりたいことができない=不幸なら、わたしは産後に不幸になってしまうということだ。

だって、赤ちゃんがいたら仕事できないし。

「自分のやりたいことができること」は、しあわせだけども、そこにこだわりすぎて、自分で自分を苦しめていたのかもしれないなぁ。

そう思いながら、自由にのびのびと1人で食べたカレー。

家族と一緒ならもっと美味しかったのかも。

14:00ごろに帰ってきたふたり。
聞くと、疲れてかなりグズグズだったらしい。

「もう話さない!」と、帰り道は終始無言だったそう。笑

それならカレー作ってもらえばよかったなぁ。

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