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23-22. 我慢するのが愛情だと思ってた|正直に伝えるコミュニケーション

何年も前の話ですが、上司に怒りをストレートにぶつける同僚の彼女に「自分の評価を下げるだけやで…」と忠告したことを、いまでもたまに思い出します。

その時の自分の中には、嫉妬が入り混じっていました。

彼女は、自分を大切にするため、自分のネガティブな感情にフタをせず、その感情を表に出せる。そして一人で戦っている。そんなタフさを当時のわたしは持ちあわせていなかったからです。

余計なお世話をしたことに言った直後に気づき、それを機にわたしは自分の中の嫉妬と向き合いました。そして自分が我慢しすぎていることに気づきはじめ、彼女のよさを見習って、自分の感情を尊重するようになりました。彼女とは会社を辞めた後も会うくらい、いまだに仲良くしてくれています。

当時「穏便に対応したほうがええんちゃうん?」とよかれと思って言い放ったわたしには“穏便にすますが正義”というポリシーがあったのです。

波風をたてない。
なぜなら上に嫌われてもいいことないし、こちらが少し折れることで相手の懐に入れれば、向こうも融通聞いてくれるやろ?っていう勝ちパターンがあったからだと思います。

そのやり方は、通用しない場合があります。爆

通用しない人に続けると、グッと我慢して相手に従うことを続けることで「自分は弱い人間なんや」と無力感を自分に植えつけてしまうし、

自分が我慢すれば相手に与えてもらえるという考えって、たぶんちょっとズルいんですよね。

先日、知り合いの相談を受けてたのですが、その方もかつてのわたしと同じように、こちらがよくしていたら相手もよくしてくれるだろうから自分が先に我慢する、というお考えをお持ちの方でした。

優しい人に多いんですが、こういう人って愛情の示し方が「我慢」なんですよ。いじらしい。

まず自分が我慢する。でも、その方のお相手は嫌なことを嫌と言える人なので、自分のために我慢してくれているなんて1ミリも気づかないんですよね。

自分だけが愛情表現として我慢していて、ちょっと見返りを求めてる、でも相手は全くそのことに気づいてない。

その方がどうなったかというと、どんどん消耗し、無力感を感じ、萎縮し、こんなに頑張ってるのにどうして!?と我慢が限界に達して強制ストップがかかってしまいました。

そもそも自分が我慢してることに気づかない人もいて。(わたしもそうだった!)

病気や怪我などで強制ストップがかかった時にはじめて、自分の感情にフタしてたんだな、って気づくんですよね。

愛情表現として我慢することは、はたして必要なのか?女性だからこそ難しい問題なのかも。(フィジカル的に弱いから)

わたしはいまでも、人に刃向かったり事を荒立てるのは苦手……でも、どストレートに自分の気持ちや思ってることを言える人を、むかしは(自分がしないから)理解できなかったけど、いまは信頼のおける人だと思えるようになりました。

ちゃんと言ってくれるのは、こちらのことも信用してるからこそ。そう……ですよね?笑

「嫌なら嫌って言うてくれへんとわからへん!」っていう人は、世の中にはたくさんいます。

なにも、相手に突っかかって喧嘩売りにいけー!というわけではなく、まずは自分の気持ちに気づくこと、自分の気持ちを尊重すること

これがいちばんのじぶんと仲良くする秘訣ですね。

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