見出し画像

ホロコースト否認論に対抗するには?

今回は単なるコラム・エッセイです。

Facebookでは、ホロコースト否認論が未だ野放しになっているそうですね。二年ほど前にそうした話題があったのは記憶にありますが、BlackLivesMatter などの運動の広がりにも合わせて、#NoDenyingItハッシュタグをつけてをつけてホロコースト否定をFacebookに削除するように訴えている運動になっているようです。アウシュビッツ博物館もこの通り怒ってます。

その二年前には私はどちらかと言えば「言論の自由」派でありザッカーバーグに賛同しましたが、否認派の悪質さを知って、ザッカーバーグが許せない気持ちになっています。元々Facebookはデマの温床になっているわけですし。

流石に英語がわからないため、海外の状況を直には知らないのですけれど、こうしたハッシュタグがあるということ自体、結局は状況は予断を許さない状況であるということなのでしょう。困ったものですねぇ。

ただ、世界をもっと大きく考えれば、そうしたリビジョニストが一定程度存在するもの致し方はないとは思います。何事もそんなに思い通りにうまくいくわけはありません。人が「誤った思想」に陥ることがあるのは無理からぬところではあります。私自身も何度もあったように思いますが、一つド恥ずかしいことを告白します

年齢がバレるのが嫌なのであんまり言いたくないんですけど、確かそれはまだ二十代くらいの頃の話。その頃でも、結構疑似科学的なことには抵抗は強かったように思うのですが、ころっと引っかかってしまいました。今ではほとんど聞かなくなったと思うのですけど、相対性理論否定論というのがあったのです。

何気なく本屋さんで取ったその本がそうでした。当時からすでにトンデモ本として酷く笑われていた本です。何を馬鹿なことを信じたりしてたのだと思われるでしょう、私も全くそう思うのですけど、当時私は色んな事を懐疑的に考える癖がついていて、「疑う」ということをほとんど信条に近く思っていました。宗教が大っ嫌いだったからです。信じ込むのだけはゴメンだ、と。

その私がころっと相対性理論否定論を信じ込んでしまったのです。それまではアインシュタイン凄いとは思っていたし、色々と相対性理論が証明されていることも知っていたのに、どういうわけだか否定論に転んでしまったのは、要するに相対論を理解していなかったからに他なりません。細かい話なのですけど、どうしてもデカルト式絶対座標空間みたいなところから認識を変えられなかったのが敗因だとは思ってはいるのですけど、呑気なもので「これは大発見だ」などと内心凄い驚いてたんですね。

でも、その信仰は確か一ヶ月も持ちませんでしたね。長いものに巻かれろ、に近いのですが「世間ってそんなに馬鹿なんだろうか?」と、ちょっと思い直したのです。それで確か、自分なりに少し、特殊相対性理論だけでしたけど、本を一冊買って必死に読み込んでみて、あっさり信仰は解消しました。

だから、ホロコースト否認論にあっさり騙される人の気持ちって、めっちゃ分かるんです。なにかすごい発見をしたような気になってしまう、というか。多分そういうことって大勢の人が経験してると思うのです。例えば最近お亡くなりになられた五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』などは代表例かと思うんです。これもトンデモ本の世界などでデタラメであることが暴かれてしまうのですけど、結構大勢の人が騙されて、オウム真理教の一つの要因にまでなってしまったわけです。

多分大勢の人は、「私は騙されない」と思ってると思います。もちろんほんとになかなか騙しにくい人もいらっしゃるとは思いますが、きっと全く騙されない人など存在しないと私は思っています。人って多分、騙されるように出来てるんです。あらゆることに騙されないようにはなかなか出来ないと思います。錯覚一つとっても、あるいはマジシャンのマジック一つとっても、簡単に人は騙されるわけですからね。そして騙すことによって、人と人の色々なコミュニケーションが成り立っていることすらあるわけです。騙すことが出来なかったら、Youtubeの定番であるドッキリなんて出来ないわけですしね。


ホロコースト否認論にどう対抗すればいいのか?

私にもこれはよく分かりません。当然私は、否認論が蔓延ってしまうことに非常に危機感を持っています。単純に、それは間違いだし、危険な思想に結びついてしまう可能性もありますから、出来る限り多くの人が、私のnoteでなくてもいいので、否認論が正しそうに思ってしまったら、どうにかして否認論をきちっと批判しているWebサイトを見つけ出して最低限、自分で検証してもらいたいです。

昔の話ですけど、例の西岡論文で一騒動になっていた時にこんなことがありました。最初は西岡氏に近い考えを持っていたある人が、自身で海外のWebなどを調べたそうです。すると西岡氏の言っていることのほぼ全てが海外の人達によって、徹底的に論破されていたことを知ったそうです。それでその人は、こんなページを当時公開されました。もはやアーカイブの彼方にしかないのが残念です。

IHRとツンデルの『66Q&A』への回答

ツンデルというのは私の以前の記事でも何度か言及していますが、ここにある"66Q & A"を否認論の主張としてばらまいたのですね。それに海外のニツコー(Nizkor)という有名な否認論を徹底的に反論するサイトがあり、そのサイトからこのQ & Aを三鷹氏という方は、日本語に翻訳して公開したのです。

こうした、ご自身でお調べになって、自分で気付く人というのは現実にいくらでもいらっしゃるわけです。ですので出来たらご自身でしっかり調べるのがいいとは思うのですが、それはなかなか、自分で調べる人というのはどうもあまりいない様子です。あるいは調べたとしても、海外などにある否認論を頼りに正史側を批評するだけで、その否認論の正当性を自身で客観的に批判的見地から検討するという人はおそらくいません。

しかも、さらに困ったことには、このような有用なページを切って捨てるようなことをWebで書く否認論の人がいる("IHRとツンデルの『66Q&A』への回答"でググれば分かります)ために、その他の人が判断つかなくなってしまって、これまた否認論に転ぶ人も出てしまう可能性を誘発してしまうという状況を生んでしまうのです。難しい話です。

徹底的に論駁していたといわれるニッコーというサイトでさえもそうで

「ああ、何だニッコーか。あんなの全然大したことない」

とか、あるいは否定論を批判した本だって

「あんなの信じるやつは馬鹿だよ。あの本全然分かってない」

だとか、もっと具体的に言うと西岡氏がまだ有名だった頃に、当時、強力な日本のホロコースト否認論に対する反論者Tという方がいたのですが、その人でさえも2ちゃんねるの匿名論者に掛かると

「はぁ? Tって単なるアホじゃん」

で簡単に印象操作されてしまい、強力なそうした否認論への反論者の存在自体が、その反発からか、否認論に同調する人を生じさせてしまう……ため息しか出ないような状況なのです。だってほんとにこうしたレッテルを貼るだけで済んでしまう簡単な作業に、ころっと乗っちゃう人が山ほどいるのです。

放っておくとこれがまた、否認論を増長させかねないし、現在の日本がそうであるように、南京事件も従軍慰安婦も731部隊も何もかも否定的に考える人だらけのように、どーーしても否定派が増えてしまう可能性のほうが高いとさえ思えるのです。何故なら、そっちの方が簡単だからです。単純な話が「あんなの捏造だ」と断定してしまえばいいだけだから。

よく、「疑う」ことが大事だっていうけれども、例えばマジシャンは観客のその疑う心につけ込むのです。どこを疑うかマジシャンはよく知っているのです。だからわざと怪しい動きを付け加えたりするのですね。否定論なんざ「疑う」ことそれ自体を利用します。「南京大虐殺これだけの疑惑」とでもタイトルにすりゃ、ころっとその本を買わせることが出来るって寸法です。「謎」とか「矛盾」とか、そういうのもそうです。これにころっと引っかかってしまう人が結構多いわけです。ホロコーストの海外でも全く同じでして1970年代に元ナチス親衛隊のティエス・クリストファーセンが出した本のタイトルが『アウシュビッツの嘘』ですからね。

一体どうすりゃいいんでしょうね? 騙されるのを防止することなんてできそうにありません。だって騙すのはこれほどにも簡単だからです。困ったものです。私自身が騙されたことあるわけで、どうやって防止すればいいのか見当も付きません。


否認論の議論にはあまり応じるべきではない。

よっぽどよく知ってないと、対抗できないというのが一つの理由です。私自身は昔南京事件の議論を良くしていたので、この感覚はよく知っています。ですから自分なりに何万円分もの本を買って勉強したものですけど、議論していても特に意味がないような気がしていました。でも対抗したいわけですね、気持ちってなかなか収まらないじゃないですか。

例えば、「議論から逃げた」とか言われてしまうのって、やっぱり嫌なわけですよ。それで、ネットにはない情報を求めて、そうした高い本を買ったり、果ては国会図書館にまで行ったりだとか、物凄い労力をかけてしまったりして、当時は熱中していた反面で、非常に虚しかったのです。

ですのでこれは私自身の教訓です。議論にはあまり応じるべきではありません。結局の所、子供の「何故?どうして?」の延々終わらない疑問をぶつけるような、それだけのことなんですよね。疑惑って絶対終わりはありませんからね。当に疑惑はブラックホール、入ったら出てこれません(笑)

ただ、たまーに気付いてくれる人がいます。これは、理解がわりと浅い人に多い。ホロコーストだったらそうだなぁ……、世界中の歴史やその他の色々な大勢の学者さん達が、それこそ何千人もあるいは何万人もの人が長い間研究に研究を重ねているのに、それがそっくり間違ってるなんてことあり得る? とか言えば済む場合があります。「まぁそりゃそうだよね、そればっかりに没頭してる専門家の方がよく知ってるわけだし」となっているのを見たことはあります。

ですが、深く入り込んでホロコースト否定論のシュバルツシルト半径内に落ちてしまっている人は、そこから二度と出てこれないでしょう。議論するだけ無駄です。確か、西岡昌紀氏も否定論から脱出したというのは聞いたことがありません。この前、西岡氏が私の過去のツイートをいいねしてくれた時には、ああ、この人まだ関心持ってるんだと、なんとも言えない気持ちになりました。

とにかく、否定論者は次から次へと、ああでもないこうでもないと、疑問ばかり出してきます。ホロコーストは扱うテーマとしてあまりにも大きいので、いっくらでも突っ込むところを見つけるのは簡単です。そんなものにいちいち付き合っていられないわけです。アウシュビッツのこのガス室の扉はおかしいとか、ディーゼルの一酸化炭素では量が少ないから殺せないだとか、この航空写真にはガス室にチクロンを落とす穴が映ってないだとか、これまで延々とたくさんのくだらない質問をぶつけられ、そのたびに細かく議論に対応せざるを得なくさせられてきました。その代表例がロイヒターレポートでした。チクロンBがどうたら、燃焼室がどうたら、土壌がどうたら、いちいち全部反証しないといけなくなる。

そんな議論に付き合うのは一般人には不可能です。嘘まで含ませてくるんだから、それを全部答えるだけに知識を持ち合わせるのは無理です。もちろん、海外サイトを当たったり、英語ができるのであれば海外の詳しい人に聞いてみたりするという手もありますが、私はそれは無駄な努力だとしか思えません。ブラックホールの事象の地平面の向こう側に行った人は出てこれないんです。

私としては、前述した三鷹氏のように、そうした否定論の疑問を拾い上げて、何らかのデータベースのようにして、多くの人が協力しつつ、ひとつひとつ丁寧に反駁を加えて、簡単に誰もが閲覧できるようにするというような、何か工夫がしていけたらいいのになぁとは思うのですけれど、あんまり細かくはどうしても作れないので、それでも穴は出来てしまい、そこを突っ込まれる恐れがあるため、正直いいアイデアは思いつきません。

とにかく奴らは揚げ足を取ってきますからねぇ。ほんとに困ったものですわ。どうしたらいいんでしょうね?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?