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ホロコースト否定論への反論入門(4)

3.遺体焼却処理・火葬場の基礎

3.1 アウシュヴィッツ火葬場の基礎知識

ホロコーストというよりも、火葬場に関してはアウシュヴィッツ限定の話です。否定派が持ち出すテーマは、基本的には「そんなたくさんの遺体を焼却処分できるわけない!」の一点のみです。論点が多くあるガス室の否定論に比べ単純そうに思えますが、全くそんなことはありません。

その話はまた後でするとして、アウシュヴィッツの火葬場と言えば、多くの人がイメージするのは下記のような写真ではないでしょうか?

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これは、現在、アウシュヴィッツ博物館にある観覧用ガス室の同じ建屋にある火葬炉です。これは、戦後にガス室などを再現するのと一緒に再建されたものです。そして現在は遺体を入れる口の数として、4つ(写真の右側にまだ二つあります)しかありません。これが現在、アウシュヴィッツ博物館に残存する火葬炉の全てです。が、火葬場が稼働していたときには、写真の火葬炉のちょうど対面側にもう二つあり、全部で6つありました。これらの熱源は石油ではなく、石炭から生成されるコークスでした。

何度も言いますが、アウシュビッツ1すなわち、アウシュヴィッツ基幹収容所は絶滅政策とはあまり関係がないので、こちらの火葬炉は否定論ではあまり問題にされることはありませんが、例えばゾンダーコマンドだったヘンリク・タウバーの証言内容などには異議が出される場合があります。

第一火葬場には、先に述べたように3つの炉があり、それぞれに2つのレトルトを備えていました。それぞれのレトルトでは、5体の人間の死体を燃やすことができました; そのため、火葬場では一度に30体の人体を燃やすことが可能でした。私が火葬場で働いていた頃は、このような負荷は、燃やすのに短くても1時間半もかかっていました。死体はやせ衰えた本物の骸骨だったので、とてもゆっくりと焼かれていました。私は、後の仕事と火葬場IIとIIIでの死体の燃焼の観察から、脂肪のある人の遺体ははるかに速く燃焼したことを知っています。人間の脂肪を燃やすと、さらに熱が発生するので、焼却プロセスが速くなるのです。

これは、別のゾンダーコマンド、アルター・ファインシルバーの証言でも、意味のわからない証言内容をこちらで解読した限りは、全く同じことを言っているように読めるので、一応裏付けは取れています。

すぐ隣には、死体を焼却するための炉が置かれていた別の部屋がありました。このような炉は3つあり、それぞれに2つの開口部がありました。1つの開口部には12体までの死体を収容することができますが、そのような量の方が早く燃えるので、一度に5体を積み込むことになります

解読は証言の記事に書いておいたのでそれを読んでもらうとして、否定派が難癖をつけるのは、一つのレトルト(燃やすところ)に五体も入る訳がない、というものです。これが一応、否定派のスタンダードな否定のやり方です。ビルケナウの方でも全く同じ議論をしてきます。

さて、では問題のビルケナウの方の火葬炉はどうだったのでしょう? 以下の写真をご覧ください。

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おそらく、クレマトリウムⅡの火葬場だと思うのですけど、間違っていたらすみません。クレマトリウムⅢも対称になっているだけなので、同じと思ってもらっていいと思います。クレマトリウムⅣとⅤの火葬場の写真はおそらく存在しないと思われます。

基幹収容所の方の遺体の火葬炉への装填方法は、写真に写っている鉄製の台車を使っていたようですが、ビルケナウの方は異なります。戦後に別の収容所で遺体の装填作業のモデル写真があるのですけど、ちょっと死体が……なので、遺体処理担当のゾンダーコマンドだったデヴィッド・オレーレの絵を以下に示します。

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このように、火葬炉専用の担架のような道具を使用していたそうです。ただし、タウバーの証言によると、クレマⅠと同じ台車も使っていたとのことです。クレマⅡ〜Ⅴでやり方が違っていたのかも知れません。

また、これらの火葬炉については、ナチスドイツ全ての収容所の火葬炉は何社かの火葬炉担当会社が作っていたのですが、うちアウシュヴィッツで登場するのは「Topf & Sons」や「J.A.Topf」などと表記される、トプフ社(トプフ・ウント・ゼーネ社)が製造とメンテナンスを担当していました。このトプフ社の担当者の名前で最もよく登場するのが、クルト・プリュファー技師です。

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クルト・プリュファー(Kurt Prüfer 1891年4月21日、エアフルト、†1952年10月24日、収容所[1]にて)は、ドイツのエンジニアで、エアフルトのJ.A. Topf & Sons社で火葬場の設計などを担当した人物です。ナチスの独裁政権とホロコーストの間、彼は強制収容所で使用される焼却炉の効率的なモデルを設計しました。アウシュヴィッツ強制収容所の火葬場の設計、設置、試験、メンテナンスに携わった。(Wikipediaより)

ベルリンから南西に直線で約240kmほど離れたエアフルトという都市に本社があったそうです。なので、関係文書にはエアフルト(Erfrut)という言葉が登場します。

あと、基本的な情報としては、これですかね。

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アウシュヴィッツ・ビルケナウの中央建築管理局長カール・ビショフがベルリンのハンス・カミュラーに送った1943年6月28日付の書簡である。そこには、24時間(清掃やメンテナンスのためのダウンタイムを含む)で52個のマフラーの理想的な火葬能力がまとめられていた。(こちらから引用)

1943.6.28の日付が入っていますが、全てのクレマトリウムが完成した(最後に完成したクレマトリウムⅢが6.25)直後になっており、今後の絶滅計画を策定するための資料の一つとして、遺体処理可能数をベルリンに伝えたものだと思われます。この文書は否定派は偽造だと言っているようですが、そのことはまた後で説明します。

重要なのは下段に5つに別れた表のような表記になっているところがありますが、よく見るとKrematoriumⅠ〜KrematoriumⅤまで記載されており、その各名前の下には「3×2」などと書かれています。この掛け算の答えがレトルトの数です。

少々ややこしいですが、炉の数というときは、1炉あたりにレトルトが二つある場合、三つある場合、八つある場合の三種類になります。火葬炉の写真を見てもらうとわかるように、クレマトリウムⅠの火葬炉は二つが一体になっています。これは熱源を二つのレトルト間で共有できることを示します。クレマトリウムⅡ(あるいはⅢ)では、三つ繋がっているように見えると思います。ですから、タウバーのこんな証言があるのです。

すでに述べたように、第二火葬場には五つの炉がありました。それぞれの炉には死体を燃やすためのレトルトが3つあり、2つのコークス炉で焼かれていました。 炉床の火のパイプの出口は両サイドレトルトの灰皿の上にあったので、炎はまず両サイドレトルトを通って中央のレトルトに達し、そこから燃焼ガスがダクトを通って煙突に入っていきました。燃焼ガスのダクトは、レトルトの側から火葬炉の下へ、2つの炉床の間の真ん中にありました。このような構造のため、側方のレトルトと中央のレトルトでは遺体を火葬する工程が異なっていました。やせ細っていて脂肪のない「ムゼルマン」の死体は、側面のレトルトでは燃焼が早く、中央のレトルトでは燃焼が遅くなっていました。 一方、輸送列車から直接ガス室に送られた人たちの死体は、それ故にやせていないので、中央のレトルトの方がよく焼けた。そのような死体を燃やしながら、炉の中で火をつけるためだけにコークスを使っていました。脂肪のついた死体が勝手に燃えたのは、体内の脂肪が燃焼したおかげです。炉床に火をつけるためのコークスがなくなったときには、レトルトの下の灰皿に藁や薪を入れて、死体に火がつくとすぐに全量が自力で燃えるようにしていたこともありました。

ややっこしいことに、三連火葬炉なのに、コークス炉は二つなんだそうですけど、タウバーはこの火入れ管理の専門職人だったため、非常に詳しくよく知っています。私には書いてあることが半分くらいしかイメージ出来ません。

というわけで、資料の解読は読者にお任せするとして、基幹収容所には六つのレトルト、ビルケナウには、15 + 15 + 8 + 8 = 46レトルトあることになり、アウシュヴィッツ・ビルケナウ全体で合計52レトルトあるということになります、――が、ややこしいことにこの「8」の炉を持っていたクレマトリウムのうち、クレマトリウムⅣは完成後すぐに壊れてしまい、永久に使い物にならなくなり、Ⅴの方もしょっちゅう壊れては修理を繰り返していたそうで、全レトルトが常時稼働していたわけではなく、クレマⅣの8つのレトルトは最初のほんのわずかな期間以外は使えなかったことは覚えておいてください。

詳しいことは、プレサックの本だと思いますが、簡単な状況ならルドルフ・ヘスの自伝である『アウシュビッツ収容所』講談社学術文庫に書いてあります。そうだ、忘れてたけど、『アウシュビッツ収容所』は必携文献です。アウシュヴィッツのほとんど大半の重要な論点はこのヘスの回想録に書いてあります。ネット否定派陣は多分、相当しっかり色々知ってる人でない限りは、ほとんどの人が読んだことすらないでしょう。

以上が、大体のアウシュビッツの火葬場に関する基礎知識です。

3.2 アウシュビッツ火葬場の証拠

「証拠」と書くと、否定派はすぐ「そんなものは証拠にならない!」と噛み付いてくるわけですが、ここでいう証拠とは、単にある事実を示す根拠となるもの、くらいの意味で受け取ってください。例えば、あなたが今朝起きたのが7:30だとします。「その証拠は?」と尋ねられて、「私は毎日、目覚まし時計で目覚めており、その時間はここ数年7:30で変えたことがありません」程度のものです。事実を疑いようもなく証明するもの、と受け取らないようにお願いします。

遺体焼却数の推定値を示す証拠資料

これは、カルロ・マットーニョ本の批判論文の中で紹介されているものが多いです。上のビショフによる書簡も掲載されています。

ここで注目すべきは、掲載されている資料の二番目です。この文書資料が一体何の資料なのかよく分からないのですが、「算術的火葬率」という用語が書いてあります。これはつまり、複数遺体を同時にレトルトの中に入れて焼却するので、1時間に4体とすれば、一体あたり15分と計算されることを意味します。

ゾンダーコマンドや他の様々な資料を読んでいると、一体数分で焼けたとか、十数分だとかとんでもなく短い時間で焼却できたような記述がバンバン登場するのですが、おそらくそれらは複数遺体まとめて、それが全て焼却できる時間を遺体数で割ってると考えられます。この辺りのことが、ネット否定派さんたちは、理解しているのかしていないのか(してない場合が多いと思いますが)、「あり得ない!」と主張したくなる一つの要因ではあります。

ちなみに忘れないうちにここでついでに述べておきますが、世界最大の遺体火葬率を誇る日本では、一般的な火葬にかかる時間は一体あたり1時間というのが定説です。「火葬 時間」でググれば一瞬で判明しますので、よろしくお願いします。

また、ルドルフ・ヘスの回想録にも記載がありますし、ゾンダーコマンド経験者らの証言にも細かい内容が出てきます。

これらの記述も証言証拠となります。否定派が「証言なんか証拠になるか!」つったところで、証言の一つの証拠ですからね。他には……、こんなものもあります。

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この資料は、今まで紹介したかなあ? ――ありました。もうね、たくさん訳しまくっているので、私の脳ではすぐには思い出しきれません。何度か貼ってるこれの後ろの方にありますので参考にしてください。

まだまだ何か資料はあると思いますが、火葬場の議論ではこれらの資料が重要になってきますので、覚えておいて下さい。要するに、「お前ら、当時の資料があるのに、何言ってんだ?」というわけです。要するに、現場はそれほどの大量の死体焼却能力を要求されていたという証拠なわけです。実際にできたかどうかではなく、どうしてそんなに大量に焼却しようとしてたの?と。否定派はすぐ「チフスの蔓延が〜」と言ってくるのが定番です。

3.3 アウシュビッツ火葬場否定論の基礎

最初にも述べた通り、基本的には「そんなたくさんの遺体を焼却処分できるわけない!」の一点のみです。否定派の考えることは、要するにアウシュヴィッツの火葬場では100万体以上の遺体を焼却する能力はなかった、せいぜいチフスで死んだ遺体を焼却出来た程度である、だそうです。

この否定論は、ほぼ、カルロ・マットーニョの独壇場のようです。彼は、この火葬場能力否定論に異常なほど拘ります。

この二種類、特に下のジマーマンによる長い記事は、1999年のものでその後にマットーニョの理論も変化を見せたようなのですが、ジマーマンの記事は非常に内容が豊富なものとなっており、もし本格的に火葬場のことを議論しようと思うのであれば、おそらく日本語でネットで読めるのはこれしかないと思われます。というよりも、日本では誰もここまで詳細には論じてません。

さてしかし、マットーニョの論理を理解しようと思うと、かなり厄介です。HCブログやジマーマンのような専門家レベルの知識と情報を確認できる立場であるならば、上のような反論記事に近いレベルの議論も可能でしょうけれど、これらの元の情報がわからない状況なので、同レベルの議論は非常に困難です。

ガス室の場合は論点が多いのにも関わらず議論は非常に簡単です。若干、ルドルフの科学的論理が専門的になる程度です。あとは証拠資料やそれらに関する海外の反論記事も理解しやすいのです。しかし火葬場はそう簡単には反論を形成するのはできないと思われます。なぜなら、遺体火葬の理論なんて、さっぱりわからないからです。一般の火葬場ならまだしも、アウシュビッツ・ビルケナウの火葬場なんて一般の火葬場とはかけ離れており、全く違うものなので火葬の本で勉強してもあまり役に立たないという気さえします(ていうか近所の図書館で探しましたが、火葬を理論立てた本など見当たりませんでした)。

しかも、タウバーらが話しているように、遺体が燃料になるなんて、そんな理屈どうやって調べればいいのでしょう? 私自身は「人体発火現象」というのが何故かひらめいて、理屈は応用できそうだとは判断しましたが、説得力はあるのだろうか? と考えると多少なりとも疑問にも思えます。もっと言えば、ガス室の方は青酸ガスの致死濃度を調べると、270ppmで即死とあるので、チクロンBの使用量こそ計算できないものの、そんなに難しい話でもありません。否定派だって青酸ガスは致死性ガスだってわかっているわけですし。ゲルマー・ルドルフが変なこと言ってる程度のものです。

でも遺体一体の焼却時間なんて、一応の目安として日本の火葬場のデータはあるものの、じゃぁ四体ぶち込めたとして、焼却時間が一体あたりで短くなるの? と問い返されたら、適当な理屈は言えるものの、断定は出来ません。理論も何もないので分からないからです。

以上のような状況が、マットーニョのような否定論の専門家にとっては優位に働きます。素人にはさっぱり分からない、つまり無知を狙ってくるわけです。一体遺体を焼くのにコークスは30kg必要だった、だなんて言われたって、それが本当かどうかなんて調べようがありません。

ではどうすればいいのかについては……すでに答えは出ているのですが、それはまた別で述べたいと思います。

あと、火葬場に関する否定論には、ツンデル裁判の被告側証人として登場した、イヴァン・ラガセ(レガース?)というカナダの火葬場の経営か何かしてる人の、その裁判での証言が登場することがあります。あまり言ってはいけないフレーズですが、基本、ネット否定派さんには「バカ」が多いので、ラガセなど気にする必要はありません。専門家が言ってるから証拠になるのであれば、ホロコーストは歴史の専門家の多勢が否定していないのですから、否定派は単なるダブルバインドなだけです。宣誓証言だから嘘ではない! ならルドルフ・ヘスだって宣誓証言ですし、ニュルンベルク裁判が不満なら、リップシュタットvsアーヴィング裁判のヴァンペルト教授だって宣誓証言してます。そもそも論ですが、そのラガセは素人には分からないと思ったのか、遺体を一体焼くのに6〜8時間かかると証言した嘘つきです。日本の公営火葬場でさえ、儀式を取り行ってさえ、1日二回転が標準の最大値であり、どう考えてもそんな朝早くから夜遅くまで火葬場がやっているとは思えないので、仮に火葬場の営業が8時間としても一体4時間です(二回転しか出来ないのは純粋な火葬時間だけではないからである。無理をすれば四回転も可能かもしれないらしいが、そうするともっと短くなってしまうw)。したがって、ラガセ論理は却下です。あと、語るまでもないことなのですけど、ロイヒター報告はどうやらこのラガセ理論を採用したようで、一体6時間という馬鹿げた数字を採用していたようなので、論外です。

というわけで、今回の最後にちょっとした計算をしておきましょう。

一体焼くのに1時間掛かる、としましょう。複数体は無しとします。そして野外火葬分をほんの僅かに加え、火葬炉の故障も考慮し、計算しやすく、レトルト数を40とします。ビルケナウクレマトリウムの稼働期間は大雑把に550日くらいなのですが、それ以前のブンカーも含まれると考えて、二年間(計算しやすく、一ヶ月30日で24ヶ月とする)とし、この条件で最大遺体焼却数を簡単に計算してみましょう。

24体/1日・1レトルト × 40レトルト × 30日 × 24ヶ月 = 約69万体

これですら、なんと70万人近い犠牲者を予定していたことになってしまいます。マットーニョやルドルフが断じて複数遺体同時焼却を認めない理由がわかるかと思います。だから必死で小さく見積もろうとするわけです。ちょっとでも計算根拠を緩くしてしまうと一気に犠牲者(可能)数が膨れ上がってしまいます。

というわけで、どんなに頑張って「No Hole! No Holocaust!」と叫んだところで、それでは全く辻褄が合わないのです。以上。



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