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「アウシュヴィッツの遺体処理とホロコースト否認」

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記事一覧

アウシュヴィッツの遺体処理(1):チフス神話

この翻訳シリーズは、PHDNサイトで紹介されている「アウシュヴィッツの遺体処理」をテーマとし…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(2):火葬場の起源、火葬場の必要性

アウシュヴィッツ収容所に火葬炉・火葬場が最初に導入されたのは1940年半ばのことです。トプフ…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(3):キャンプの拡大、オーブンの耐久性

本シリーズで扱っているカルロ・マットーニョを始めとする修正主義者たちは、当初、アウシュヴ…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(4):火葬炉の能力

アウシュヴィッツ・ビルケナウについて、修正主義者がガス室の次にこだわる議論が、この火葬場…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(5):燃料消費量

アウシュヴィッツ・ビルケナウのトプフ炉は全てコークスを燃料としていました。コークスは一般…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(6):記録の不在、野外火葬:1942年と1943年

トプ画画像は、第二次世界大戦時のドレスデン爆撃時の亡くなった人たちの遺体焼却の様子のよう…

蜻蛉
3年前
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アウシュヴィッツの遺体処理(7):野外焼却と写真:1944年

アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の特色としてよく知られているクレマトリウム(火葬場)は、1944年5月〜7月にかけて実施されたハンガリーユダヤ人の絶滅作戦以外の時期では、実際には火葬能力は過剰過ぎて、推定ではありますが、およそ半分程度の火葬能力しか使われていなかったのではないかと推測されます。これは、アウシュヴィッツへのユダヤ人移送の事情が関係していると思われます。要は、アウシュヴィッツの火葬場の能力値限界に達するほどにはユダヤ人を移送していなかったのです。 ところが、ハ

アウシュヴィッツの遺体処理(8):ジョン・ボールの写真、結論、謝辞

註:この記事はに起こしたものですが、2023年7月24日に全面改訂しています。 ジョン・C・ジマ…

蜻蛉
3年前
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