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いわゆる萌え絵表現批判に対する疑問。

ちょっと前に、こんな書くに任せた記事を書きました。

でも、それ以降、私は気になると思考をなかなか止められない癖があり、ずっと考えてしまうわけですね(アホである)。もう少し冷静に考えてみる必要はあったかな、とすごく反省してます。少しヴァージョンアップします。上のは現段階の意見とは違うけど消さないで晒しておきます。

何がダメなのか? って意見多すぎない?問題。

なかなか、キズナアイやら何やら、全部を一括りにして「何が批判されたのか」をまとめるのは乱暴に過ぎるのですけど、しかも私はそれら批判をあまり真剣に読んでなかった時期の方が長く、せいぜい宇崎ちゃん以降であって、キズナアイまではあまり真剣に考えようとは思いませんでした。

しかし、個別の事例で、何が批判されてきたのかを細かく論点を分けて検討するのもいいかもしれないけれど、それはちょっと違うのではないかと思えてきました。誰もが分かる通り、結局のところは「萌え絵批判」あるいは「二次絵批判」にまとがほぼ絞られており(例外は茜さんくらい?)、それなのに、微妙に批判意見が違ったり、あるいは同一表象であっても、批判者の意見にあまりまとまりがないように思えます。特に宇崎ちゃんはそれが目立ちました。例えば宇崎ちゃんを代表例にすると、こんな感じですね。

「性的モノ化されている」

「日常、女性は胸を男性にエロい視線で見られるのでその影響を考えて欲しい」

「オタク的な絵はキモイ」

「環境セクハラである」

「乳袋じゃないか、そんなの現実にない」

「セリフが気に入らん」

「過度に性的」

「公共広告だからダメ」or「ゾーニングすべき」

「奇形だから」(=普通あんなのない)

「あんな絵を描く意図が露骨」

……とまぁ、バラバラ。よく考えなくとも、よく考えても、どう考えても、「萌え絵」を批判しているのではあるけれど、そこしか一致点がありません。だから、フェミは一人一派で、誰に聞いても意見がバラバラでまとまりがなく、何を言っているのかよくわからない、という批判もあったように思われます。

当時見ていた、女性が多く集うであろうガールズチャンネルなどでは「キモっ」でほぼ一色です。「公共広告でよくもこんなキモイ絵を使うものだ」くらいがまともかなぁと思えた程度(もちろん目立った意見のみについてであり全部がとても見きれなかったが)で、どれもこれも、意見にあまりばらつきはないとはいえ、実際、説明としての体をなしているとは思えない物ばかり。大学教授ですら、あの有様。

代表的な絵を使って説明した人もいますが、これも炎上に近い状態で批判を浴びました。これは一体どういうことなのでしょう? とこの単純な事実に目を向けなけるべきかなと思ったわけです。

群盲像を評す、すなわち萌え絵に対する盲批判状態なのでは?

答えは単純だと思います。ずっと以前から続いていた空気がいつでも発火できるようになっているそんな酸素いっぱいの空気がある、それだけのこと。批判しやすい空気が醸成していて、その時々で誰かが、例えば外国人の反応したツイートを太田弁護士というインフルエンサーが拾って批判、そうでなかった場合もあるけど、ラブライブのように他の人が広めて炎上する。何れにせよ、現象としては同じ。女性を扱った表象をめぐってTwitterで拡散され炎上する、それだけのこと。それがまぁ大勢に興味を引くために、大勢が火に油を注ぐw 飯の種にする人もいるw

そして、私がしつこくこだわる仏教分野(インド古代に伝わる喩え)で言うと「群盲象を評す」状態になるわけです。

やっぱ、仏教は大事(笑)。上記を読んでもらっても分かる通り、いろいろなパターンはありますが、ここでは「それが何かも分からないのに、撫でて「これはあれか?」「いやそれか?」「そうじゃなくてこれだ」などと、議論し合う状態になっているというわけです。

この喩えに従って、話を進めますが、それが象(批判者にとって危険物)であるとどうしても証明できないため、極論すれば、そんなわけのわからないものは殺してしまえ=規制しろ、と。

仏教では、言葉による議論の全てを戯論と呼び、議論に意味はないと説くのですが、まさにそうした議論になっているわけです。なお、言葉による議論が全て戯論になるということは、仏教論理的に証明されてます(龍樹)。ここではそこまで極端に考える必要はありませんが、やってもやっても終わらないのは、自分たちが批判しているそれ自身が何かわかっていないからだ、と言えるのではないでしょうか。

え? そんな事はない? じゃぁ、どうして説明してきた通り、意見がバラバラになるのでしょうか。結局のところ、萌え絵には何か問題があり、ダメだししなきゃいけないもの、と思い込んでる人が多いだけなのではないでしょうか。だから批判したらダメとまでは言いませんが。

萌え絵批判に意味はない?

決してそうでもないわけです。秋葉原にデカデカと貼られたエロゲーム広告はいくら何でもあれはダメだ、と多くの人が思ったはず。女性を性的アイキャッチに使う広告を不快に思う人は多いのはよく知られていると思います。私たちは、ある程度、倫理観を共有していて、ある程度の客観性を持って、そうしたダメなものはダメだと、多数の意見の一致を見ることは確かにあります。

しかし、それでもなお、エロゲーム広告は秋葉原なんだから別にいーじゃんという人はいます。これは、そもそも「それはダメだ」とする境界線はビッシっと万人向けに倫理として定めるのは無理、ある意味当然のことで、グレーにならざるを得ないということに過ぎないのではないでしょうか。仮に、法律は無視したとして、性器を露出した表象を用いた「いくら何でも絶対にこれはあり得てはならない」表象であってさえもどこかに反対しない人はいるであろうと推察されるように(表現規制そのものがダメだ、など)、万人という意味で100%の境界線を引くのは不可能だと思います。もちろん法規制は別です(ただし法規制も、有権者の代表が決めるという意味でしかなく、実質的にはグレーです)。

このグレーゾーンを巡って、批判反論合戦の応酬を続けざるを得ないとは思うものの、しかし、敢えて言うと、表現の自由を尊重する側は、それらダメそうな表現は表現を楽しんだり、あるいは作成したりする以上は、批判されるリスクがあると言う認識を持たねばならないでしょうし、批判する側は、それが表現の萎縮につながるという認識が必要だと、そうした自覚を持つべきであろうと、私は主張します。倫理観にはある程度の普遍性・客観性しかなく、どうしても個々人で異なる部分は生じます。

しかし。

無闇やたらに批判・反論する人がいる問題

いわゆるツイフェミ側には、あれもダメこれもダメ、あっちにはこんなのがある、そっちにはこんなのがあると、あるいはTwitterで待ち構えているかの如く、罠にハマったそれら画像晒しをシメタ!とばかりに批判し、延々批判側の立場を変えず、鬼の首でもとったかのように、批判し続ける人が珍しくありません。

一方、オタク側には、そうした批判がもう目障りにしか思えず、ツイフェミ攻撃だーとばかりに、一斉反論、それはもう叩いてるとしか言いようのない状況にまで発展し、少しでもそれらを反論を批判しようものなら、これまた叩いてぶっ潰すと言う勢いで、罵倒を繰り返し、「ツイフェミは滅ぼすべき」とまで主張する人がいます。

そうした争いが生ずるのはしょうがないんですけどね、でも、それってばかばかしいと思わないのかなーと。互いに一方に共感する人がいるとその人たちで勢力は広げられるかもしれません。そして、しょっちゅう同じ方向から批判や反論をする人は、フォロワーが増え、その人自身が考え方を考えるなんてあり得ない状態になるんだと思います。いいねはいっぱい付くし、RT拡散してもらえるし、賛同意見ももらえるし、言い方は悪いけど「調子に乗ってしまう」。人間ってば、そんなもんかなーとは思いますが。

でも、それはある意味、フェミナチズムであり、オタクナチズムなんじゃないでしょうか。お互い排他的である事は、否定されないと思います。果たしてそれは、いい事なのでしょうか。私は疑問です。

実際、攻撃ばかり受けるので止むを得ずTwitterを鍵垢にしたり、その人は悪態ついたかもしれないですけど通報されてアカウント停止されたり、という人もいる。調子に乗って、DMCA虚偽申請やる人までいる。状況としてそういうことが生じるのは仕方がないとはしても、私の目にはかなり不毛に見えます。

周囲に気を使うことも大事だけど、表現の自由も大事です。今は別に喧々轟々やってても実質的にはそんなに問題ないとは思うものの、もう少し自制心を持てないのかなーと。誰に向かって言っているわけではなく、ただぼんやりとそう思います。

但し、ひっどい人はいますので、そいうのはTwitterなら拡散、最悪は通報攻撃して、アカウント閉鎖まで追い込むべきではあります。悪意と断定すべきものは確かにあります

言語による表象批判の危険性。

実は、これが今回、一番述べたいことであった。以前note記事に書いたウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にあるのだけど、いつものことながら正確なその理解は別にして、「内的関係は語り得ない、ただ示されるのみである」というものがある。正確な理解ではないので、ただのヒントとして扱う。

言語による表象批判の危険性とは、例えば、

AならばBである

という場合に、この命題は、ただAならばBであるということを示すのみであり、これが正しいとか間違っているといことは、外的なものである、外的にしか語れない、という意味になる。「これはリンゴである」と書いてあったって、この命題自体それ自身で正しさなど証明は出来ない、という当たり前のことである。ところが。

巨乳(※貧乳でも足首でもなんでもいい)はダメだ

の正統性はこの文章自身は何も証明していない。外的に、例えば宇崎ちゃんの例で挙げたような「性的モノ化されている」から、と外的にしか正統性は証明し得ないのだ。ところが多くの場合、その条件でしか仮染めの正統性は証明できていないのに、「巨乳がダメだ」が正しいと証明されたと誤解され、一人歩きをするのである。

しかし考えてもらいたい。外的な正統性の与え方は、その外的な正統性自身が、それ自体で内的関係を持つことも同時に意味する。「性的もの化されている(ならばダメである)」これも、その正統性を語りようがない。私たちはただ、そのように仮定しているだけである。しつこいが、巨乳を例にとりもう少し解説する。

宇崎ちゃんのようなある萌え絵は、意図を持って描かれており、その意図は男性向け性的アイキャッチであると推定されることから、性的アイキャッチは女性を性的もの化することを意味し、性的な一表象と常識的に認められる巨乳が強調されている事は、性的もの化が倫理的に良くないとされることから、ダメである。

ここまでやっても、この文章は正統性を証明できない。これは全て、複数の仮定を真と認めなければならず、一つ欠いても正当性は得られないからである。そしてすべての仮定条件は、ただの仮定である。但し、偽でもない事は注意されたい。ただ、言葉はそう示すだけなのだ。・・・とまぁ、学者っぽく書いてみた(笑)

簡単にいうとね、言葉って一人歩きするんすよ。巨乳がダメだ、っつーと巨乳だと言われるようなサイズの胸の持ち主である女性が「え? 私ダメなの?」とこう思っちゃう。いやいや、そんなことは言うてない、萌え絵批判や、と言ったところで、巨乳(=ダメ)というキーワードで繋げられてしまう。前の記事でもチラッとやったけど、

「百円?」

という言葉は、「しかない」「もある」の何の意味にも取れるのに、読み手が勝手に意味を変えてしまう。ていうか与えてしまう。だから人は、わけがわからなくなる。あれはいいのに(峰不二子)、なんであれはダメなの(宇崎ちゃん)みたいにね。そして拡張して、「性的なら、ヌードの男性は?」とかこうなってしまう。

法律や論文など、ワードに厳格な定義を与えてさえ、例えば警察は牽強付会としか思えない解釈をつけてあり得ない逮捕をしたりする。これが言語の危険性ではないかと、ちょっと知っておいてくれたらなぁと思うのです。ですので、前述した群盲現象は、「萌え絵ならダメだ(の可能性がある)」だなんて、どう考えても思い込んでる節がある。はっきり言語化されていないとしても、言語として表すとそういうことではないかと思います。

男には性的眼差しがあることは否定できないし、さりとてそれを不快に思う女性も否定できない。

「男死ね」なんてな極端な人すらいます。そうした極論に走る要因は、背景には性犯罪などがあるのかもしれませんけど、論理が誤ってます。男の本能だとかまでは言いませんが、男性の性欲(他、男性的な常識的観念のようなもの)が性犯罪の要因としては欠かせないのは確かに事実です。ですが、それ自体を批判してもあまり意味はありません。そういう「男死ね」というような病的とも言える極端な主張を招くからです。疑いの目を持つ必要はあっても、極論に走る必要性はどこにもありません。

女性に対し、痴漢に抵抗しろという人がいます。抵抗しない女性が狙われるのに、抵抗しろは完全に矛盾です。現実的には、無理な抵抗はしないで、バッチやスマホアプリで抵抗する方法が現在広まっている段階ですが、実力抵抗は危険でもあり、止めるべきでしょう。で、ともあれ、そうした不快な思いをする女性は日本だけでなく世界中に普通にいる。女性一般の問題であり、男性が怖い、というのはあるかと思います。なので、性的表現が世間に色々あって不安がる女性が実際にいるという程度には、意識が必要なのではないかなとは思います。

私は常に両側で思考するため、どっちの味方でもあり、かつ、ないのですが、何れにしても、論敵の思考を知っておいた方がいいとは思います。議論では手加減しなくてもいいのですけど、ちょっとだけ頭に留めておいたらな、と。

私自身が、人を憎みすぎて失敗してきたこと多すぎ、というのがこうした文章を書く、その基本姿勢を齎しているのですが、危うく犯罪者になりかけたことがあるというのは、これは偽らざる事実です。自分自身が一番怖いというのが私の思想ではあります。

今後も続く戦いの行方は?

私一人が仙人のような達観したようななんやらわけのわからんことを言ったって、事態は何も変わらず、続くでしょう。多分、表現は萎縮する方向へと動くような気はします。企業はクレームを無視出来ない。でも、集客に有効である限り、使うかもしれないけど。どっちなんでしょうね?

でも、実質中国の金盾状態にはなって欲しくないですね。では駄文失礼。


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